私と喘息とのふれ合い
第二回
喘息 Vol.20 No.2, 75-77, 2007
呼吸器疾患の勉強 Children's Asthma Research Institute and Hospital(CARIH)には, 当時約150名の小児喘息の患者が全米から入院していた. 喘息が難治化するのは親子の葛藤が原因であり, 両親と患児を少なくとも2年間隔絶(parentectomy)すると患児に自立心が芽生え, 喘息の治療に好影響があるという. そのため, Dr. Peshkinらの考えに基づき, 隔離療法が行われていた. 入院患者は, それぞれ施設内の独立した寮で同僚とともに起床し, 小, 中学校に通学していた. 少なくとも入所中は, かなり良い治療成績が得られていたようである. National Jewish Hospital(NJH)では, この理念は成人喘息にも適応できるのではないかと考え, 患者の長期入院を方針にしていた. NJHの入院費用は一切無料で, 病院の経営は奇特な方の寄附金によってすべてまかなわれていた. NJHでの始めの1年間は, 主として結核の病棟の診療にあたり, 2年目から喘息や小児科の病棟もrotateした. 結核そのものは, 三者併用療法でうまくコントロールされていたが, 内科的な療法にもかかわらず, 菌が陰転化しない, 空洞が遺残しているというような症例では手術という一定のかたちに従って治療がなされていた.
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※記事の内容は雑誌掲載時のものです。