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わが国における骨代謝研究のあゆみ

ビタミンD研究の流れ

西井易穗

THE BONE Vol.20 No.5, 61-65, 2006

ビタミンDは, 20世紀初頭, くる病治癒因子として確立され, 1960年代に入り, 作用物質が代謝産物であることが浮上し, 1971年, Kodicekら, DeLucaらが1α,25(OH)2D3を同定し, ホルモンの仲間であることが明らかにされた. その発見は1αOHD3の医薬品化を生み出した. 1981年, 須田らが分化誘導作用を発見し研究者層を広げるとともに, 骨代謝研究を生化学的技法で可能にした. 一方, カルシウム作用と分化誘導作用の作用分離を行うことによる医薬品化研究の進展があり, 多くの医薬品が生まれることになった. 【ビタミンDの発見】20世紀初頭に, HopkinsとFunkはくる病が食事性欠陥に基づく病気であると推定し, 1919年にMellanbyは子イヌにくる病を起こすことに成功, タラ肝油中にくる病治癒因子があることを指摘した. McColumnは通気しつつ加熱することにより, ビタミンAを破壊してもくる病治癒効果は消失しないと報告した. Steenbockは食品, 動物の餌に紫外線照射すると抗くる病活性が増加することを示し, Askew1)とWindausら2)によりビタミンD2およびビタミンD3が純粋に単離, 同定された. ビタミンDと命名されたのは1925年であるが, 1952年にビタミンD2はergocalciferol, ビタミンD3はcholecalciferolと命名することが, IUPAC(国際純正, 応用化学連合)の生物学命名改正委員会で決定された.

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