Research & Development
~第一人者に聞く~

トラスツズマブ デルクステカン開発秘話と胃がん治療の展望

設楽 紘平 先生 国立がん研究センター東病院消化管内科 科長

がん治療に興味をもった医学部時代

 医学部に入学したのは、父親が医師であった影響と、将来について明確なキャリアが描けることが大きかったと思います。手先があまり器用ではないと自覚していたので、内科医になることも決めていました。

 そんな医学部時代のあるとき、TVで、ゲムシタビンのすい臓がんへの承認を求めて署名活動をしている患者さんを目にしたのです。がんは患者数が多く死亡原因の上位であることは認識していましたが、それに加え日本にはドラッグラグという問題もあると知り、がん治療の問題や薬の開発に目が向くようになっていきました。

 医学部を卒業したのは2002年ですが、当時、胃がん治療に使用できたのは5-FU系統とプラチナ系、タキサン系、イリノテカンの4種類のみで、けっして選択肢が豊富とはいえない状況でした。亀田総合病院で初期研修を受けるなかでも、さまざまな経過の患者さんを経験して、「薬物治療を突き詰めたい」という思いが沸き上がっていきました。そこで、がんの薬物治療では日本より先行していた米国への留学を念頭に置き、ECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)Certificateを取得したちょうどその頃、たまたま勉強会で坂田優先生(当時・三沢病院院長)に出会い、全身状態や臓器機能が低下した患者さんでの化学療法の成功例を拝聴したのです。即座に「米国ではなく三沢病院で学ぼう」と即座に決断し、医師4年目から三沢病院に勤務することになりました。

 三沢病院では、標準治療が適応できないような難しい患者さんをしっかり診ることを教わり、往診から看取りまで対応し、腫瘍内科医として濃厚な日々を送ることができました。同時に、手もちの薬剤を工夫しても限界があり、そこに新薬が登場するといっきに患者さんの経過が変わることをさまざまながん種で経験しました。

 そうしたなかで、よりよい薬物治療を目指す臨床研究の重要性を痛感し、愛知がんセンター薬物療法部へ移籍、室圭部長のもとで多くの臨床研究に携わらせてもらいました。2012年には日本のドラッグラグ改善に向け奮闘されていた大津敦先生のおられた国立がん研究センター東病院へ移り、数々の臨床試験に取り組んでいきました。


胃がん薬物治療におけるアンメットニーズ

 がん治療における薬物治療の進歩は目覚ましく、とくに肺がん領域では2000年代には分子標的薬、2010年第には免疫チェックポイント阻害薬が登場して、まさに個別化医療が実現していきました。このような肺がん領域の進展の背景には、がんの発生や増殖に直接的に関与するドライバー遺伝子変異が複数同定されており、遺伝子変異により生じるタンパクを標的とした薬剤の開発に繋がりやすかったためと説明できます。

 一方の胃がんにおいては、治療選択の指標となるバイオマーカーはHER(human epidermal growth factor receptor)2のみという状況で、新薬開発は停滞していました。

 HER2遺伝子増幅またはタンパク過剰発現は、乳がんでも比較的多く確認されており、そこを標的としたトラスツズマブ、第2世代の抗HER2薬であるペルツズマブ、抗体薬物複合体であるT-DM1(トラスツズマブ エムタンシン)、ラパチニブが開発され、実臨床で普及していきましたが、胃がんについてはトラスツズマブを除いて第Ⅲ相試験は失敗に終わっていました。

 その背景として、胃がんは乳がんに比べ、同一腫瘍内のHER2発現不均一性の頻度が高いことが挙げられます。そのため、2011年にHER2陽性の治癒切除不能な進行・再発胃がんに対してトラスツズマブが承認されていましたが、本剤による一次治療が無効となったあとの二次治療以降に関し、有効な治療選択肢の乏しいことがHER2陽性胃がんのアンメットニーズでした。