Research & Development
~第一人者に聞く~

「トラメチニブ」開発秘話

酒井 敏行 先生 京都府立医科大学創薬センター センター長/同大学大学院医学研究科創薬医学 特任教授

がん研究者を志し、京都府立医科大学へ

 私の出身は、醤油発祥の地とされる和歌山県有田郡湯浅町です。姉・私・弟の3人きょうだいで、2つ下の和彦はスポーツマンでバイオリンが上手、成績も優秀でした。しかし中学3年生の6月、骨肉腫と診断され、左下肢切断を受けましたが脳と肺に転移して亡くなってしまいました。亡くなる直前、「何も悪いことをしてないのに、なぜ死ななければならないのか」と言う弟に、私たち家族は答えようがありませんでした。

 そのようなこともあって、将来は抗がん剤の開発などをやってみたいと思ったのですが、そもそも私は受け身の勉強が大嫌い。2年の浪人生活を経てようやく京都府立医科大学に合格できたのでした。

 そして6回生になる直前、発がんメカニズムを研究されていた病理学教室の藤田晢也教授に面会し、卒業後教室に入ることをご快諾いただくことができました。ところがある夜、夢のなかでロビンス&コトランの病理学の教科書がページを開きながら降りてきて、私を押しつぶそうとするのです。汗だくで目が覚め、「しかしこれでがん研究をやめたら弟が化けて出てくる」と思ったものの、ふたたび同じ夢をみて、私にはもう無理だと諦めたという情けない顛末です。

 次にがん研究の拠点である国立がんセンター(現・国立がん研究センター)に行こうかと考え、つてがあると聞いた公衆衛生学教室の川井啓市教授(当時)に紹介をお願いに上がりました。すると、「いきなりがん研究をすると視野が狭くなる。いったん私の教室に入って2年間、ローテート研修をしたら紹介しよう」と言われ、公衆衛生学教室に入った次第です。

 最初の研修先が大阪鉄道病院で、そこで看護師をしていた妻の亮子と出会います。同院には「かつて寮に強盗が入り、看護師が捕まえて警察に突き出した」という伝説がありますが、その看護師が私の妻です。合気道の心得があり、暴れる強盗を寝巻姿でつかまえ、守衛室に突き出したと聞きました。念のため、合気道は護身術であり、こちらからしかけない限り攻撃されないことを確認して結婚しました。しかし、川井先生に結婚の報告に行くと、「何しに鉄道病院にいってきたんだ」と叱られました。


抗腫瘍性プロスタグランジンの研究

 大阪鉄道病院での研修を終える頃、ちょうど、生化学教室の西野輔翼助教授(当時)が、米国留学と国立がんセンターでの発がん予防研究を経て京都府立医科大学に戻っておられました。ならば国立がんセンターに行かなくてもと考え、公衆衛生の大学院に入り西野先生のもとで研究を始めました。そして、プロスタグランジンD2に種々のヒトがん細胞株に対し抗腫瘍効果を示すことを明らかにし、学位論文を取得しています。

 その頃、プロスタグラジンJ2を発見されていた福島雅典先生生が、癌学会での私の発表に関心をもち、先生が班長を務めておられたがん特別研究班に加えて下さいました。この研究班はプロスタグランジン研究で世界をリードすることとなり、私は超一流の研究者と交流しながら研究の進め方などを身につけていきました。

 その後、川井先生から、留学の約束と引き換えに2年間、京都府庁に出向を命じられ、8時半から17時半まで勤務、自宅で夕食をとったのち、夜中に京都大学薬理学教室で研究を行う生活を続けました。夕食をとって自宅を出る際、小さかった子どもに「今のおじちゃん誰や」と言われるなど、家庭人としては失格だったと思います。

 この頃私達は、Δ12-プロスタグランジンJ2が、N-mycを著明に抑制してがん細胞をG1期で停止させることを明らかにしました。すなわち、がん遺伝子の発現を低分子の薬剤で正常化させることで発がんに重要なG1期で細胞周期を停止させ、がん細胞増殖を抑制できる可能性を示したわけです。この方法を突き詰めれば、発がん原因をターゲットとした新規治療薬が開発できると夢を抱きました。実際、そのアイデアの延長が実際の創薬に結びつくことになります。