~第一人者に聞く~
バイスペシフィック抗体「エミシズマブ」開発秘話 ―血友病―
小児科医となった理由
私は子どもの頃は喘息がひどく、夜中に呼吸困難を起こすたび父に背負われ、家の外でやり過ごしていたようです。小児科の先生にもよくお世話になりました。小学生になると喘息キャンプに参加し、レクリエーションや遠泳などで楽しい思い出ができましたが、同行していた小児科医も優しく、憧れの存在として心のなかに残りました。
ただ、奈良県立医科大学(以下、奈良医大)に進学し、臨床実習が始まる頃には脳神経外科が第一志望でした。奈良医大の脳神経外科は有名で、優秀な医師の集まる医局だから、という理由です。5年生の夏休みに脳神経外科のエクスターンシップに手を挙げ、手術も見学して、「高度な技術を駆使する、すごい世界だ」と感激しました。ところがよくよく観察すると、手術中、顕微鏡を駆使して複雑な操作を行う医師はたったの1人です。その1人に自分は登りつめられるのか、あの繊細な作業を一生続けられるのかと考えた途端、トーンダウンしてしまいました。
その後も、「これからは心臓外科だ」「救急こそ」などと次々興味の矛先が変わり、進路を思いあぐねていました。そんななか、ふと友人に付いて小児科医局に話を聞きに行き、「やっぱり小児科だな」と腑に落ちたのです。当時の教授は、血友病Bを発見したことで有名な(故)福井弘先生でした。とても怖い先生でしたが、なぜか教室の雰囲気が良かったのです。「ここは自分の居場所だ」と感じて結局、小児科への入局を決心しました。
血友病の診療・研究の道へ
小児科には多岐にわたる専門領域がありますが、奈良医大小児科は全員、血栓止血の研究を行っていました。小児科医になるとだけ考えていた私にとって、ある意味特殊な世界でした。広く浅くではダメ、ニッチを突き詰めてオンリーワンになる。それが教室の伝統的な考え方だったのだと思います。しかも全員で実践していたからこそ実績を上げられたのでしょう。福井教授は海外では「Dr. Fukui」と呼ばれ、国際学会でも有名人でした。
そんな環境でしたから、私も研修1年目は臨床に没頭できましたが、2年目からはテーマを与えられ、夜遅くまで研究に従事する日々となりました。福井教授にはよく、「おまえいつまで病棟おんねん!はよ来んか」と叱られたものです。 私に与えられた研究テーマは、第Ⅷ因子を純化し、ウサギに免疫して第Ⅷ因子の抗体をつくるという、今思い返しても難しいものでした。はじめは先輩の藤村吉博先生(元・輸血部教授、現・名誉教授)の指導のもと、抗von Wille brand因子(VWF)抗体カラムに結合したVWFと第Ⅷ因子の複合体から第Ⅷ因子を分離純化する方法で挑戦しました。しかし、純化できた第Ⅷ因子のタンパク量は微々たるもので、ウサギに免疫してもまったく抗体はできませんでした。
あっという間に2年間の研修が終わり、奈良県南部の五條病院に赴任となり、終業後に大学で研究を続ける日々が続きました。同期入局者のなかにはすでに学位論文を完成している者もいて、「五條は良い所だし、皆さん親切だし、病院勤務医になるのも良いかな」と弱気になり始めていました。そこに、吉岡章先生(前・教授、前・学長)が英国留学から戻ってこられたのです。


