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MY TURNING POINT

内田淳正

~決断,そして最善を尽くす~

内田淳正

Arthritis―運動器疾患と炎症― Vol.9 No.2, 66, 2011

 人生は想定外の連続です.そういう言い方をすれば決断にかかわるすべてが自分のターニングポイントとなります.それも自らが強く望んで決めたというよりは,流れのなかで進んでいったというのが実感です.ただただ大切なことはどのような状況で決定したかではなく,決めた以上はそれが正しかったと信じて成果を得るために最大の努力を重ねることでしょう.

 学生時代に整形外科学に強い興味を抱いていたわけではありません.当時はどちらかというと経験的治療学が主で,論理性に乏しい学問分野と感じていた私にとっては面白くない領域でした.しかし,私が選ぼうとした心臓血管外科講座に希望者が集中し(そんな時代もありました),調整をしなければならなくなりました.いささか不謹慎ではありますが,クジ引きかじゃんけんで決めるしかないところまで追いつめられました.ポリクリ委員の1人だったのでその抽選に加わるわけにもいかずに,同じ学年で誰も希望者がいなかった整形外科医を目指すことにしました.このときの選択は受け身的でしたが,その後の整形外科学の躍進をみるとき,将来の展望を見据えた素晴らしい選択をしたことになるでしょう.
 整形外科の研修を大学病院や関連の病院で楽しく続けましたが,卒後5年頃では何か物足らなさを感じるようになっていました.いつかは故郷の田舎で父親のあとを継いで地域医療に貢献するつもりでしたので,若いときにしかできないことへの思いは募りました.そしてそれを基礎研究に求めました.私たちの時代は臨床講座では大学院をボイコットしていましたので,ある先生の薦めで歯学部の生化学教室の研究員となり,骨・軟骨代謝の研究を始めました.そこで臨床とは違った基礎研究の厳しさを知りましたし,多くの先生,友人の知遇を得たことはその後の私の考え方に大きな影響を与えてくれました.これも自分にとっての重要なターニングポイントであったと思っています.
 所沢の防衛医科大学校で8年間を過ごし,昭和60年の9月に大阪大学整形外科に帰ることになりました.このときほど決断に迷ったことはありません.臨床や研究は順調で,先輩,同僚,後輩にも恵まれ,何よりも真摯で礼儀正しくそのうえ使命感に溢れた優秀な学生達との触れあいは実に爽やかで楽しいものでした.そんな居心地のよいところからなぜ移ったかと聞かれると,新しい刺激や展開が欲しかったからとしか答えられません.大阪へ帰ってからしばらくは苦労の連続でした.あとで知ったのですが,あまり望まれて迎えられたのではなく,そのうえこれまであまり経験のない骨軟部腫瘍が私に与えられた課題でした.自ら選んだ道ですので,「成功するんだ」との信念での38歳の新たな挑戦でした.
 三重大学での教授,病院長,学長とそれぞれが面白いほどの劇場的ターニングポイントでした.紙面の都合で次回に譲りますが,現在私があるのはいずれのときも私を真から支えてくれた友人や後輩とのつながりの賜です.
 どのようななかでも最大の努力を惜しまず,多くの友人をもってください.

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