医療と哲学
第64回 死者とともにあることが強く意識される時代
―グリーフケアと日本人(8)―
THE LUNG perspectives Vol.28 No.1, 77-80, 2020
水俣病の被害者で,もっともよく知られている人たちのひとりに上村智子さんがいる.胎児性水俣病の彼女が21歳で亡くなったのは1977年,水俣で大規模な慰霊の集いが行われ,新たな絆の結び直しを意味する「もやい直し」のかわきりとなる吉井正澄市長の謝罪が行われたのが1994年である.翌1995年には,阪神淡路大震災が起こり,6,400人を超える方々が亡くなった.この1995年には,柳田邦男の『犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日』が刊行されている.そして,1985年の日航機事故の遺族らと地元の人々は,1996年から毎年,「ふじおか,おすたか,ふれあいの会」が灯籠流しを行っている.
1990年代が日本におけるグリーフケアの最初の興隆期であり,グリーフケアや「悲しみ」「悲嘆」を表題に含んだ書物が刊行され始めるのもこの頃である.若林一美の『死別の悲しみを超えて』(岩波書店)が1994年,A. デーケン・柳田邦男編『〈突然の死〉とグリーフケア』(春秋社)が1997年,トーマス・アティッグ『死別の悲しみに向きあう』(大月書店)が1998年の刊行だ.
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