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Meet the Boss

上島弘嗣×岡村智教

上島弘嗣岡村智教

The Lipid Vol.22 No.2, 98-105, 2011

“Boss”との想い出
 上島先生と初めてお会いしたのは約20年前のある研究班会議でした.私は当時,高知県の保健所で働いていて,分担研究者だった所長のお伴として会議室の隅で傍聴していました.

会議中に「滋賀医大の教授選の結果」と記載された怪文書?が回覧されており,その紙に上島先生のお名前がありました.その後,大阪府立成人病センター在籍時に上島先生から「滋賀医大に来ないか」というお誘いをいただきましたが,今から考えると冷や汗ものですがそのときはあまり深く考えずにお断りしました.ところが,その2年後に再度お誘いを受けて柄にもなく非常に感動し,今度は迷うことなく異動を決心しました.滋賀医大では約7年半直接お仕えしましたが,この間,本当に多くの仕事に恵まれましたが,反面,多くの困難にも直面しました.NIPPON DATAの最初の論文を通すのにとても苦労したこと,ポピュレーションアプローチを用いた介入研究を暗中模索で進めたこと,半年間で滋賀県の全市町の医療費のデータを集めたことなど多々あります.しかし,その度に上島先生の「最初からできないと決めつけるのではなくどうしたらできるのかまずみんなで考えよう」という言葉と姿勢に励まされました.また民主的でどんな立場からの意見でも真摯に向き合う上島先生の度量の大きさにも多くを学ばせていただきました.これからもお元気で大所高所からのご指導をいただければと考えています.

大病が縁で医学の道に.生き方に影響与えた法廷闘争

──先生は世界遺産の徒歩圏内に住んでおられますが,お住まいはずっとそこなんですね?
「じいさんが今の亀岡市,当時は京都市郊外の吉川村から,農業が嫌やと言って出てきたんです.おじいさん,絵が好きやってんね.廃仏毀釈で日本の芸術作品が流れた明治の時代に,掛け軸を描いて輸出したり,円山公園で絵描いて売ったりしとったらしいです」
「小学校は清水(きよみず)小学校で,うちのじいさんたちが作った学校です.京都の公立の小学校って町衆が寄付して作っているんですね.中学校は洛東中学で,同級生には片岡仁左衛門や永楽焼の永楽善五郎の何代目というのがいました.高校も,当時京都はここの小学校はどこの高校って決まってるわけです.だから僕は山科の洛東高校へ行きました」

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