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対談

研究とその背景を語る(40)

豊田隆謙佐藤譲

Diabetes Frontier Vol.22 No.6, 663-672, 2011

●佐藤
 本日は私の東北大学時代の恩師,豊田隆謙先生をお招きしてお話をお伺いいたします。よろしくお願いいたします。
 豊田先生は1961年に東北大学医学部を卒業されてから東北大学,鳥取大学,弘前大学を経て,1977年に東北大学に戻っていらっしゃいました。そのご経歴をたどりながら,研究の思い出話をお伺いできればと思います。先生は卒業後,東北大学の第三内科に入局されましたが,その当時は山形敞一先生の時代でしょうか。

出席者(敬称略・写真左から)
豊田 隆謙
(東北大学名誉教授/東北労災病院名誉院長)
佐藤 譲
(進行:岩手医科大学糖尿病代謝内科教授)

糖尿病研究のきっかけ─東北大学医局時代

●豊田 山形教授でした。初期研修(インターン)を秋田県立中央病院で過ごし1966年に東北大学に戻り,後藤由夫先生や大根田昭先生と出会って,糖尿病を研究することになりました。
 当時の時代背景としては中国の文化大革命が始まった年です。その頃の教室の状況は研究費が少なく,研究も大変困っていた時代だったと思います。当時,血糖測定を還元糖法で測っていたのですが,Hagedorn-Jensen法でね。それを酵素法に変えようということで日本の糖尿病研究者の主な人たちが検討し始めていました。
 大根田先生はその頃からインスリンのradioimmunoassayを始めておられました。山形教授に大根田先生のインスリン測定を手伝うようにと言われて,後藤先生の血糖測定の問題と併せて糖尿病の研究が始まったのです。まだ糖尿病のことをよく理解していなかったのでいろいろな本を読んでいたのですが,たまたま『ソビエトにおける実験的糖尿病研究の歩み』というロシア語の論文を見つけて,それを翻訳していました(図1)。

専門用語は後藤先生に日本語に直してもらいました。世界ではこういうことをやっているのだとわかりましたが,旧ソ連の糖尿病学はパブロフ犬の研究の流れがありますから,神経機能に糖尿病がどう影響するかというような論文でした。やはり英語で書かれた論文のほうが圧倒的に多いので,ロシア語はそれで終わったのですが,ロシアの医学はこんなものかということはわかったわけです。
●佐藤 ロシア語は勉強されていたのですか。
●豊田 学生時代にチェーホフの小説を原文で読みたいと思っていただけのことでやっていたのです。でも,私は語学の才能がないということに気がついてやめました。旧ソ連の医学がうんと進んでいれば続けたかもわかりませんが,やはり英語圏の医学研究にはかなわなかったです。
 1970年まで東北大学第三内科で後藤先生の指導を受けて,研究を終えました。その頃,教室は今のようにきれいなところではなく,閉鎖的な雰囲気があって,これ以上ここにいても仕方ないかなと思っていた頃に,鳥取大学の平田幸正教授に誘われ,鳥取大学第一内科へ行ったわけです。
 その年は大阪で万国博覧会がありましたが,1日に入場者が60万人入っていました。鳥取県の人口が60万人なので,その60万人という数字が印象深かったです。また,アポロ計画の月面着陸があり,国際的な変化をみながら鳥取大学へ行きました。平田先生には臨床糖尿病学をしっかり教えてもらいました。その傍ら,ラット膵臓の灌流実験を始めたのです。
●佐藤 鳥取大学時代に始められたのですね。

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