ポール・エールリッヒ(Paul Ehrlich:1854-1915)の名は,北里柴三郎,志賀 潔,秦佐八郎の自伝に頻回に登場するなど,日本人にもよく知られている.当時のドイツ科学界をけん引した偉大な学者であり,現代のがん免疫抗体療法への先導者と言っても過言ではない.多様な疾患に対する化学療法や抗体療法を実験室での裏付けから臨床応用し,そして深い洞察からがん免疫の多彩な基本概念を提唱した.医学生時代,解剖の講義では単純な名詞の暗記を嫌い,興味を持った組織染色のため独自に試薬を種々試しては組織特異的な染色形式に没頭し,魅了されていったという.酸性・アルカリ性の染色試薬で好酸球・好塩基球などに白血球を分類したのは20歳代前半というから驚く1).ロベルト・コッホの講義に影響を受け,結核など感染症の染色による診断法の開発に着手したが自身も結核に罹患し,1888年には1年間のエジプト転地療養を経ている.回復後は,コッホに直接師事することで日本人をはじめとする多くの研究者たちとともに菌毒素に対する抗血清の反応の解析という免疫学の分野に入り込むこととなる.エールリッヒは現代においても通用する先進性を持った多くの医学的概念を打ち立てている.その1つが「側鎖説」である2).側鎖を言い換えれば,レセプターやリガンドである.化学物質による組織特異的染色法の研究や,菌毒素と抗血清の抗原抗体反応から,これらの反応が単純な液体・固体間の反応ではなく,分子と分子の特異的反応ということを理解していた.たとえば抗血清には「抗体価」があることを見極めた.これらが,病気に対する化学療法の有効性の提唱につながる.微生物感染に対しては,特異的に染色し得る化学物質は体内でも特異的に病変部に集積し,毒性を併せ持てば対象疾患を駆逐できる.化学療法の創始者と言われる所以である.梅毒の化学療法剤として化学合成薬物サルバルサンを見出し,世間を納得させた.円熟期を迎え,がんの分野に踏み入れたエールリッヒにしてみれば,寄生虫もがんも治療法の基本は同じであり,組織特異性があればその手段は化学物質でも抗体でもよかった.エールリッヒはこのような臨床薬をMagic Bulletと呼んだ.ウェーバーの傑作であるドイツオペラ「魔弾の射手」から来た言葉であり,劇中,若い猟師が射撃大会で好成績を出すことで意中の女性との結婚の許しを得るために,悪魔に魂を売って得た百発百中の魔弾を指す.