夏目漱石の『行人』1)は,大正元(1912)年12月6日~大正2(1913)年4月7日まで東京朝日新聞と大阪朝日新聞に掲載された後,漱石の神経衰弱と胃潰瘍のために中断し,同年9月18日~11月15日まで再掲載されたという正に病の最中に執筆された作品である。したがって,『行人』の執筆時期には,『友達』・『兄』・『帰ってから』の3章が書かれた前半と,最終章の『塵労』が書かれた後半の間に5ヵ月ほど空白の時期があるのだが,こうした執筆事情を反映してか,大学教師である一郎の精神的な病の描き方にも,前半と後半では整合性の保たれていない部分があるように思われる。以下,この『行人』における前半と後半の乖離を中心に検討を加える。