父が横浜で胃腸科医院を開業していた1970年代初めの医学生の頃,当時東京医科歯科大学の星 和夫先生が来られて,父とともに胃癌の手術を行っていました。リンパ節をホルマリンに漬け,切除標本を撮影し,ベニア板に切除標本を虫ピンで留めるのが私の役割でした。検体は口側が右,肛門側が左,また陰を作らないようにライトを調節して写真を撮ることなどの指導を受けました。今振り返ると,摘出されたリンパ節は相当数あったので,十分な郭清が行われていたのだと思います。
父は早逝しましたが,当然のように胃癌の外科医になるため,1975年に日本大学第3外科(石山俊次教授)に入局し,大学院生として駿河台日本大学病院で勤務を開始しました。石山外科では,外科感染症の研究が盛んに行われていて,日本で開発された抗腫瘍性抗生物質であるマイトマイシンC(MMC)とのかかわりもあり,化学療法については同第3外科の坂部 孝教授が先頭に立って研究を指導していました。最初に与えられた胃癌関連の仕事は,胃癌研究会で発表するためのデータ作りでした。胃癌登録の用紙が山積みになり,現在のようにエクセルやFile Makerなども無かったので,B4版の用紙に自分で掛け線を引いて胃癌症例の一覧表を作成することから開始しました。以後,年2回の胃癌研究会は私が担当するようになりましたが,データベースの重要性を学びました。