大江健三郎の小説は,1963年の脳に障害のある長男の誕生を境に大きく変わり,父としての障害児の受容と葛藤が小説の主要なテーマとなった.医師から長男は「眼が見えなくなるかもしれない」と告げられ,大江は長男を「光(ひかり)」と名付けた.3歳になっても両親の言葉に反応することがなく,耳が聞こえないのではないかと疑われていたが,ある日ラジオから聞こえた鳥の声に反応を示した.大江は野鳥の声とその鳥の名を告げる人間の声の録音テープを流し続けた.1969年に最後の脳の外科手術を受けた翌年,長男が6歳のときに転機が訪れた.北軽井沢の森を家族で散策中にクイナが啼き,その直後に長男が「クイナです」と初めて人の言葉を話したのだった1)