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インタビュー 肺高血圧症診療 Best Practice

小児肺高血圧症の治療ゴール達成を目指して

福島裕之

Pulmonary Hypertension Update Vol.5 No.2, 57-62, 2019

―小児の肺高血圧症(PH)診療に取り組むようになった経緯について教えてください。
私は1988年に慶應義塾大学医学部を卒業後,小児科に入局して最初の4年間は小児科全般を学び,1992年に同大学に戻って小児循環器の道を選びました。ただ,小児科医になった当初は小児循環器領域に進みたいと考えていたわけではありません。卒業後3~4年目の長期研修で出向した済生会宇都宮病院は小児循環器,特に先天性心疾患の手術治療に注力している施設でした。そこで先天性心疾患をもつ子どもたちをはじめて目の当たりにし,心臓カテーテル検査などの専門的手技を学ぶうち,小児循環器に興味を抱くようになっていったのです。医師になった時点で患者さんの命を預かる領域に積極的に関わっていきたいと考えていましたし,何より手術治療によって心不全で動けない子どもが元気に退院していく姿をみて,小児循環器は希望のある領域だと感じていました。
4年間の研修を終えて慶應義塾大学病院に戻った私は,小児循環器を専門として子どもたちの診療に携わるようになりました。先天性心疾患に対しては手術治療が奏効し,元気に退院していくケースがほとんどでしたが,1990年代当時は原発性肺高血圧症(primary pulmonary hypertension:PPH),今でいう特発性肺動脈性肺高血圧症(idiopathic pulmonary arterial hypertension:IPAH)の有効な治療法はありませんでした。PPHで当科を受診し,手を尽くしても救命できなかった患者さんのことは今でも印象に残っています。
1人目は私が1996年に担当した中学生の女の子で,高校生で亡くなられるまでの数年間を診させていただきました。治療法がないまま病勢は進行し,やがて心不全でベッドから動けなくなり,起坐呼吸のために身体を横にすることもできなくなりました。教科書で習ったPPHの疾患知識はありましたが,小児科の患者さんが重症心不全になってベッドテーブルに突っ伏し,呻いている姿は私にとって大きな衝撃でした。苦しむ姿を前に何もできなかったという思いが強く,彼女が病床でつくってくれたクラフト手芸の額装は今も自分の部屋に大事に飾ってあります。
その後,当科を受診したPPHの患者さんを2名担当しましたが,治療法がない時代で診断から2~3年で亡くなってしまいました。この年数は当時の小児PPHの生命予後とほぼ同じです。こうした経験を通して,PPHのような難治かつ希少性の高い疾患の子どもたちの人生を長く診ていくことが,小児循環器医の重要な役割の1つではないかと考えるようになりました。

※記事の内容は雑誌掲載時のものです。

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