幼少時は病弱で,周期性嘔吐症や小児喘息でしょっちゅう通院している子どもでした。苦しいときに診てくれる医師の存在は頼もしく,憧れの対象であったように思います。地元である鹿児島県の進学高校に進むと,医師を目指す同級生が多いことにも刺激を受け,1989年に九州大学医学部に入学しました。
ところが,私は幼少時から大の読書好きで,どちらかといえば文系寄り。医学部に進んだものの解剖や基礎実験の授業になじめず,「本当に自分に向いているのか」と思い悩むようになりました。それから若干,モラトリアム気味に学生生活を送る日々が続きます。
それが5年生になり,ベッドサイドの臨床実習が始まると,精神科病棟の風景に大きく心惹かれるものを感じたのです。病棟ではゆったりと時間が流れ,医師をはじめスタッフと患者さんの会話は非常に豊か。とにかく雰囲気がよいのが印象的でした。
医療のなかでも,私自身にはそのような心を診る仕事が向いていると考え,精神科の道を進むことを決めました。
ところが,私は幼少時から大の読書好きで,どちらかといえば文系寄り。医学部に進んだものの解剖や基礎実験の授業になじめず,「本当に自分に向いているのか」と思い悩むようになりました。それから若干,モラトリアム気味に学生生活を送る日々が続きます。
それが5年生になり,ベッドサイドの臨床実習が始まると,精神科病棟の風景に大きく心惹かれるものを感じたのです。病棟ではゆったりと時間が流れ,医師をはじめスタッフと患者さんの会話は非常に豊か。とにかく雰囲気がよいのが印象的でした。
医療のなかでも,私自身にはそのような心を診る仕事が向いていると考え,精神科の道を進むことを決めました。