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糖尿病入門

糖尿病経口治療薬の変遷―インクレチン関連薬の登場まで―

黒瀬健清野裕

DIABETES UPDATE Vol.1 No.2, 28-31, 2012

はじめに
 糖尿病治療薬に関する歴史を紐解くと,人類の文明史の初期からの糖尿病とのかかわりが見えてくる。決して現代にみられるような糖尿病の流行はなかったが,糖尿病の病態を写す記述の中から,この病気と闘う古代人の姿がみえてくるのである。糖尿病治療に関する歴史には,この治療に携わる現代の医療者に役立つ様々な示唆を与えてくれるものがある。本稿では,糖尿病治療に大きなインパクトを与えたインクレチン関連薬が登場するまでの経口薬治療が辿った道筋をまとめ,今後の変化を見据えた現在の治療のあり方を考える一助となることを願っている。

古代文明の治療

 ギリシャが生んだ医学の父,ヒポクラテスが活躍した時代よりさらにその2,000年ほど前の初期王朝の古代エジプトでは,エーベルス・パピルスに,多尿に用いる処方が記されていた1)。「計量グラス1杯の水,エルダーベリー(セイヨウニワトコ),the asit plantの繊維(食物繊維),新鮮なミルク,ビール(beer-swill),キューカンバーの花,green dates(ナツメヤシの実)」が多尿治療に用いられた。大人の排尿障害にはオリーブオイル,蜂蜜,sweet beer,海の塩,wonderfruitの種の処方を用いたとある。このようなエジプト医学は古代のギリシャ医学にも大きな影響を及ぼした。しかし,ヒポクラテスの記述の中に糖尿病と推定される症状や症候の記述があるが,彼の著述には糖尿病に関する特別な記述は残されていない。彼は予防医学の概念を推進し,食事,運動や健康についての生活習慣の重要性を説いた。
 古代ローマ帝国の時代のアレテウスとガレンはともに糖尿病に関する記述を残しているが,特にカッパドキアのアレテウスによる糖尿病の病状にかかわる深刻な記述は有名で(参照),しかも彼は糖尿病をギリシャ語のサイフォンを意味するdiabetesと名付けたことでも有名である2)。
 【参照】‘The flow is incessant... the patient is short-lived... for the melting of the flesh is rapid, the death speedy. Life is disgusting and painful...(中略)the disease appears to me to have the name diabetes as if from the Greek word διαβητηç(which signifies a siphon), because the fluid does not remain in the body...’
 トルコ西方の古代ギリシャ都市ペルガモンに住んだギリシャ・ローマ時代のガレンは,糖尿病に関する記述を残しているが,彼は2名の患者しか診ていないと述べている。ガレンと同時代のPseudo-Galenによる文献には,「雄鶏の腹部からとった薄い膜を天日で乾燥して,食べよ」とある。もしこれが手に入らぬときは「山の銅と乾燥どんぐり,野生のざくろの花,オークの木に付く虫こぶをすりつぶして,バラの蜂蜜と冷水を加えた混合物」を飲むように勧められていた。

糖尿病治療に用いられた民間の薬草

 中世ヨーロッパから用いられた薬草にgallega occifinalis(フレンチライラック)があるが,他にも既に400種類以上もの植物やその抽出物が糖尿病によいと評価され,記述されてきた。しかし,多くの記述は血糖値が下がるとするものであるが,そのほとんどは裏づけに乏しく,科学的あるいは医学的に評価されたものは少ない。しかし,これまで評価されたものの中には,①血糖値を下げる効果がはっきりしており,また,血糖値を下げる効果が確認された成分が一部確立されているもの,②血糖値を下げる効果は報告されているものの活性のある成分が確立されていないもの,③血糖値を下げる効果がよいと報告されているが,科学的根拠が曖昧であるものの3種類に分けられる3)。
 ①に分類された代表的な植物・食品で効果に関する報告の多いものはallium cepa(オニオン)とallium sativum(ガーリック)である。既に食事のサプリメントとしてアジア,ヨーロッパあるいは中東で伝統的に糖尿病治療に用いられてきており,インスリンの発見・開発で有名な生化学者のCollipも1923年にオニオン抽出物の血糖降下作用を報告している。オニオンからの抽出・濃縮物(alkyldisulfidesなど)により糖尿病ラット,ウサギ,イヌおよびヒトで血糖値を下げる効果が認められているが,いずれも弱い効果である。膵摘動物やストレプトゾトシンによる重症の糖尿病には効果がなく,インスリン分泌促進による作用ではないと考えられており,最近の研究ではオニオンの抽出物が2糖類水解酵素のスクラーゼを阻害する可能性も示唆されている4)。また,アフリカ,アジア,ヨーロッパ,オーストラリアなどで伝統的な2型糖尿病治療用植物としてcatharanthus roseus(ニチニチソウ)が用いられてきたが,葉に含まれるいくつかのアルカロイドに弱い血糖降下作用が報告されている3)。しかし,いずれも正常ラットにおける効果で,更なる研究には耐えるものではなく,実際には行われていない。他に,lupinus(ハウチワマメ),tecoma stans(キバナノウセンカズラ),trigonella foenumgraecum(フェヌグリーク),momordica charantia(ニガウリ)などに血糖降下作用の報告があるが,いずれも用量も様々で効果も弱い。

経口血糖降下薬の開発史

 民間伝承の薬草や食品は,現在もなお盛んに研究されているが,このような植物とは異なり,特定の化学構造式を持った物質として同定あるいは合成され,薬剤として開発されてきたのが,現在も使用されている糖尿病治療用の経口血糖降下薬である。

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