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Special Article 総説

わが国における運動器慢性疼痛の診療体制―実情と課題―

牛田享宏

Locomotive Pain Frontier Vol.1 No.1, 24-27, 2012

運動器慢性疼痛の頻度は高く,多くの国民のADLやQOLの低下の要因となっている。これらに対してはこれまで「生物医学的な考え方」の下に疼痛部位である局所の治療に重点が置かれてきている。しかし,慢性化した痛みの多くは,心理社会的な背景を有することが多いことがさまざまな調査で明らかになってきている。したがって,今後は「生物心理社会的な考え方」の下に広く・多方面から痛みを分析し,対応するための集学的・学際的な痛みケアユニットなどの充実も必要と考えられる。

 運動器は人間らしく生きるための要となる重要な器官であるが,本邦においては非常に多くの人口が腰痛など運動器の慢性的な痛みに苛まれている。厚生労働省研究班が全国で行った1万人規模のアンケート調査では,① 人口の15.4%が3ヵ月以上続く運動器の痛みを有していること,② 腰,肩,頚,膝などの痛みの頻度が高いこと,③ 治療を受けても満足度が低く半数が治療機関を変えていることなどが明らかにされてきている。また,これらに加えて,生産年齢である30~50歳代の比率が高く,林業漁協という一次産業よりも事務職・専門職などの業務が痛みを有する割合が高いこと,さらには大都市圏のほうが郡部よりも有痛者の率が高いことが明らかになってきている1。また超高齢化社会を迎えている本邦では,加齢に伴う運動器の障害やそれに伴う痛みによって要介護に至ったり,寝たきりになるなどの問題が生じてきていることも明らかとなっている。すなわち,これらのことから運動器の慢性の痛みは個人レベルでADL,QOLを低下させているだけでなく,痛みが引き起こされる背景に運動器特有の問題と社会的な問題や心理的な問題が背景にあることが考えられる2。したがって,運動器慢性痛の診療体制はこれらの課題を含めた対応が必要でありその為のシステムが望まれる。本総説では,運動器の医療をシステムとして考えていくための問題点と必要と考えられる方向性について述べたい。

急性痛と慢性痛および生物医学モデルと生物心理社会的モデル

 日常診療で遭遇する運動器の痛みの多くは急性に出現し,明らかな要因(外傷や関節痛あるいは筋痛など)による痛みであり,NSAIDsなどの消炎鎮痛剤あるいは手術加療で症状の改善が得られることが多い。これら急性痛は神経終末に存在する侵害受容器が炎症などで刺激されて引き起こされる3。急性に出現する神経痛の場合でも,神経の周囲の圧迫に伴う炎症などが契機となって症状を出現させるものであり,神経ブロックや除圧によって改善する。このように急性疼痛疾患に対する治療の目標は,痛みを起こす原因となっている局所の器質的な問題を取り除く,もしくは改善させることであり,これは「痛みには必ず生物医学的な原因があり,その原因を物理的治療法で取り除けば,痛みは寛解し,患者の機能障害は減少する」という生物医学モデル(biomedical model)と呼ばれる考え方に基づいている。
 一方で,運動器の痛みが慢性化した場合,有痛部位である局所や神経機能異常などの治療が困難あるいは現状では不可能なことも多い。これらには加齢などによる関節変形や姿勢異常,筋萎縮や筋・軟部組織の瘢痕や線維化,神経の長期間による圧迫に伴う機能的問題など,さまざまな問題がある。したがって,運動器の治療にあたっては,このような問題をどのように改善し,元に戻せなくても痛みや機能障害をどのように緩和できるかが課題となる。近年の医療技術の進歩は,人工関節や脊椎インスツルメンテーションなど少なからずこれらの問題の解決への道を開いたと考えられるが,外科治療などにおいては侵襲の問題もあり,未だ課題も多い。今後は小侵襲治療の開発4-6や再生医療7,8も含めて今後新しい医療技術の開発が期待される。
 同時に,長引く運動器の痛みにおいては,罹患部位の器質的異常や身体機能の問題だけにとどまらず,精神医学的要因,心理学的要因,社会的な要因などが関与して,痛みが増悪,遷延化していることも多い9,10。これらに関わる代表的な問題には,オペラント条件付けなどに基づく疾病利得の問題,医療や社会などへの恨みが関するもの,認知異常,発達障害(アスペルガー症候群等も含む),パーソナリティ障害(ミュンヒハウゼン症候群11を含めて),Kinesiophobia(動くこと恐怖症12),うつ病そしてこれらの結果として破局化思考パターンの形成などがある。業務災害や事故などにおいて疾病利得が存在することはよく知られているが,オペラント条件付けという概念の基に運動器の慢性痛を抱えている労働者は多い。例えば,慢性痛があるために厳しい労務から免除されるなど,それによって社会あるいは家庭のなかで患者にとって都合のいい環境が得られる場合(労務内容,収入,愛情など)は,本人の自覚症状とは別に痛みのために通院していること自体もサイクルのオペラント条件付けの一部になっている可能性がある。また,事故の被害者としての感情,不適切な説明などに起因する医療や医療従事者への恨みなど,negativeな感情は痛みの慢性化に大きく関与していることが多い。完全に元通りにしてもらわないと納得できないなどの感情は,しばしば現状の医療(医療者)・社会などへの不信や不満に繋がっているものと考えられる。無論,これらが引き起こされる背景には,マスコミなどによって誘導された現代の医療技術への過信があることは言うまでもない。
 また,「痛い時は安静にしていれば改善する」という“急性痛”的な考え方は,慢性痛ではむしろ症状の増悪因子になることについても留意しておく必要がある。運動器を廃用状態に陥らせると,筋の萎縮のみならず神経機能異常を引き起こすことも研究されてきているところである。これらと関連して,“再び痛みが出ると困るという恐怖のために動かない”というKinesiophobiaについては背景にある精神心理的な問題にも考慮しつつ,動くことが有する意味・意義について教育しつつ動くことへの自信を回復させるよう実践させていく必要があるものと考えられる。
 ここまで述べたようなケースに代表されるように運動器の慢性痛は,医療を受ける側の身体以外の問題(心理社会的問題)がしばしば運動器自身の問題よりも大切な問題となっている。したがって,運動器以外にどのような問題が潜んでいるのか? それは対処できるものなのか? などは治療戦略上重要であり,従来の生物医学モデルを超えて,生物心理社会モデルという概念の基に取り組んでいく必要がある。その際,ゴールの設定は重要であるが,痛みの緩和(除痛)は基質的な要因から困難なことが多く,ADLを改善させることで患者が本来していきたいことなどができる状況を作ることが目標として大切と考えられる。

運動器慢性痛の医療現場の現況

 運動器の痛みの診療では,急性痛も慢性痛も大多数の患者は整形外科を受診し加療されている。先にも述べた如く多くの患者は生物医学モデルに基づいた対応が有効であり,整形外科クリニックなどでは理学所見や神経学的,画像やその他の検査・診断に基づいて治療方針が決められていくこととなる。手術適応のある病態でなければ,症状の改善/緩和の目的に投薬や理学療法・物理療法が施行されるが,永続的に症状の改善が得られないあるいは満足できないケースも多く,慢性の痛みの患者の約半数が医療機関を変更するいわゆる“ドクターショピング”が行われているのが現状である。したがってこれらの患者の診療形態をどのようにコントロールしていくかは,医療経済的にもシステムとしても非常に重要である。現在の国民皆保険制度のなかでは直接専門家を受診することができることが認められているが,一方でGeneral Practitionerがいないため,幅広い視点からの対応が行いにくい弱点がある。慢性の痛みは生物的な問題に加えて社会,心理的な要因をもつ多因性であり,治療抵抗性の慢性痛の場合はこれらの要因が複雑に絡み合っていることが多い。そのため難治例では単科のみで対処することは難しく,専門的な診療科の枠組みを超えた複数の学問体系(multi-discipline)の共同作業,すなわち集学的あるいは学際的と呼ばれる包括的な対応が必要とされ,海外では導入されている。
 学際的ペインケアにはマルチディシプリナリー(multi-disciplinary)とインターディシプリナリー(inter-disciplinary)があり,患者に対する関わり方が異なる。マルチディシプリナリー(集学的)痛み治療は,複数の異なる分野の専門家がそれぞれ独自に患者を評価し治療することで,各専門間に連携がある必要はない。それに対してインターディシプリナリーな痛み治療はさまざまな分野の専門家が1つの場所に集まってチームとして患者を評価し,全員の意見を協議したうえで,チーム医療としての治療方針を打ち立てる。このような疼痛治療システムを構築するためには,疼痛医療の専門家として器質的な診断治療を行う専門家(整形外科,麻酔科,理学療法士など)と精神心理ケアを行う専門家(精神科医,臨床心理士)に看護師やソーシャルワーカーなどが集う学際的・集学的なペインセンターの存在が必要となる13,14。国際疼痛学会(IASP)では,Multidisciplinary Pain Centerを,幅広い分野の臨床スタッフが痛みの治療と患者ケアサービスを実践し,痛みに関する研究と教育活動を行う場所と定義している。

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