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Trend & Topics 痛みを癒す

痛みのカウンセリング:受容を目指した治療的対話の創造

田代雅文細井昌子

Practice of Pain Management Vol.4 No.3, 20-27, 2013

はじめに
 慢性疼痛の治療においては,治療者が「科学的,分析的,客観的な態度であろう」とすればするほど泥沼の様相を呈することがある.さらなる検査,さらなる鑑別診断,だんだんと侵襲的になっていく治療.それで治ればよいが,治らなければ「喧嘩別れ」となるか,「見捨てて(見捨てられて?)」患者さんは次の神の手(名医)を探す旅に出ることになる.
 こんなケースでは,いったい何が起きているのであろうか?

心理社会的背景を尋ねる意味

 「心理社会的背景を聴取するのが大事なことはわかっているけれど,時間はないし,面倒だし,医学以外の問題が出てきても対処できないし…….」といった印象をおもちではないだろうか?

1.主訴は主訴でない(ことがある)
 実は,主訴(現在の症状)は文脈と切り離して考えることはできない.現在の症状のみを「その症状をもつ人間が生活している背景」から切り取って,医学生物学的モデルだけで解釈しようとすると,理解不能な症状を呈する「わけのわからない患者さん」にみえることが多いと感じる.
 生活史や心理社会的背景を尋ねることで,症状を訴える文脈がわかると,理解可能になることがある.はじめに少々時間がかかるが,難治例では検査や薬のやりとりにも膨大な時間を費やすことになると考えていただき,すこし興味をもって尋ねてみていただきたい.「この患者さんは,どの場所に生まれ(風土・文化的背景),どんな家庭に育って(親子葛藤・兄弟葛藤・教育歴・人生脚本),どういう仕事・生活をしていて(人間関係・経済的背景・現在の家庭環境),今回の症状は彼(彼女)にとって,どんな(実存的な)意味合いをももつのであろうか?」と.
 これらがわかってくると“本当の主訴”を語り合えるようになり,そして,本当の主訴を取り扱うことで心身ともに快方に向かう治り方がある.

痛覚から痛みへ
─感覚 vs. 感覚・感情・認知(思考)─

 患者さんは,痛みについて単に「どこが,どんなふうに,どれくらい痛い.」としか表現しない.痛覚には鎮痛薬,神経ブロックが有効だが,感情・認知(思考)には影響しないことがほとんどである.ここで問題とするのは「痛覚のカウンセリング」ではなく,「痛みのカウンセリング」である.感覚のみでなく感情や認知を含んだ体験である「痛み」を考えるにあたり,痛みをもつ人の感情をどう扱ったらよいのか,認知をどう修正したらよいのかを考える際に,いきなり感情調節スキルや認知行動療法などに手をつけて,皆目見当がつかないで困っている先生方もおられるのではないだろうか.以前の筆頭著者(田代)がその状態であった.

心理面接技法の分類(図1)

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