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Trend & Topics 痛みとともに生きる~現場での取り組みと実践

慢性痛グループ『くろぱんの会』で学んだこと

本間真理

Practice of Pain Management Vol.2 No.4, 16-19, 2011

はじめに
 最近は日本でも,痛みの治療に認知行動療法など心理的介入の有用性が知られるようになりました.しかし,自分の診療に取り入れるには具体的にどのように実践したらよいのでしょうか? 私は2011年6月に「慢性疼痛集団精神療法─ 11年間のグループプロセスについて─」と題して,『集団精神療法』(第27巻1号)の医療におけるグループという特集中に論文掲載させていただきました1).年齢はベテランですが,疼痛患者さんとのコミュニケーションは対等の目線で,医者らしくない真理ちゃん先生と患者さんから呼ばれています.このたび,グループセッションの録音記録のテープ起こしが完了しましたので,前述の論文に少しの変更を加えて紹介させていただきます.

慢性痛集団精神療法『くろぱんの会』の概要

 グループの名は,英語のchronic painを覚えてもらいやすいよう,ローマ字読みして『くろぱんの会』と命名されました.

1.『くろぱんの会』発足の経緯

 私は札幌医科大学の麻酔科で研究生をして,ペインクリニックにも興味をもっていました.当時,麻酔科入院患者の半数以上は慢性痛注1)でした.患者さんのなかには不安やうつ状態のために,医療スタッフにやりきれない怒りをぶつける方が少なくなく,中枢神経の関与を疑う医師もいました.心理検査では,うつや神経症の傾向があり,自殺願望や薬物依存に対する不安が予想以上に大きいという結果でした2,3).当院神経精神科に相談したところ,リエゾンカンファレンスで症例検討としてとりあげてもらうことができ,『本間のプレゼンによると,疼痛患者さんは身体症状に敏感で鎮痛剤などの薬物を使用し,うつ状態や神経症傾向があるようですので,芦澤健先生に相談してはどうですか?』とアドバイスされました.芦澤先生はアルコールや薬物依存症治療グループ注2)を実施しておられました.慢性痛の患者さんのためにも指導してくださることになり,準備会には病棟麻酔科医,看護師と精神科医2名が参加しました.場所や時間は一定とし,会の途中で部外者による中断やプライバシー侵害が起こらないように配慮することを確認しました.また,会の基本理念としては森田療法,認知行動療法を治療の中心とし,オープンサポートグループ,臨床研究で,会費,医療費はなし.約10年間を期限に行うことが確認されました.会の案内文や印刷物などの費用は各教室や学会の援助などがありました.

2.グループの経過

① グループ初期の不安と緊張
 1997年1月13日水曜午後1時に第1回ミーティングに25名が参加.最初に芦澤から参加者に対して森田療法的集団療法について説明があり,次に痛みを克服して社会復帰している男性患者Aさんの経験談を聞きました.ところが普段はやさしく,か弱そうな感じの女性患者B,Cから演者に対して攻撃的な発言がなされました.今考えると,初対面の人が多いグループ初期によくみられる,参加者が感じている不安と緊張の表現のひとつであり,コンダクター(司会者)は出席記録ノートをつけるほかに,最初から予想して参加者がはやく防衛を緩めて発言ができるように,考えておくことが必要であると思います.2回目以降は,できるだけコンダクターがかじ取りをして参加者全員が発言できるようになりました.ほかの医療スタッフはコンダクターを補助して,和やかな雰囲気をつくるようにつとめました.
② 共感と期待
 その後しばらく参加者が1~5人の時期が続きましたが,精神科芦澤健,リハビリテーション科成田寛志,麻酔科本間真理の3名のスタッフが小さな部屋で患者さんの物語をゆっくり聴きました.辛抱強く続けるうちに患者さんが「痛いのは自分だけではなかった」と自然に気づき,参加者間の共感や信頼も生まれました.次第に出席者が増加して手狭になったので会場を麻酔科外来に変更しました.そうなると麻酔科外来に来ていた患者さんも気軽に参加するようになり,毎回20名前後の参加者でいっぱいで,神経ブロックの邪魔にならないかと心配になるほどでした.集団療法だけでなく,麻薬性鎮痛薬や副作用調査などに,患者,看護師,麻薬担当の薬剤師の方が今までよりも積極的に協力してくれるようになりました.一方で,私は心理療法のために患者の評価にバイアスが加わらないか,また参加者同士でカップルができたという噂話を聞き,責任上注意が必要と感じました.
③ 司会(医療者)に対する期待と妄想(過剰な期待)
 3~5年目ころになると,患者さんから「くろぱんの会では自分の痛みを理解して(信じて)もらえる」,「医療スタッフが慢性痛について詳しい」,「『治らないからあきらめなさい』とか『心因性だから診ません』といわないで治療してくれる」と信頼され期待されるようになりました.麻酔科外来を受診する患者数も増加し,会場をリハビリ科などと共用のカンファレンスルームに変更しました.このことで会場の準備の時間がいらなくなり,専用の棚,参考書籍やビデオ,モニター,スクリーンなどを常備することができるようになりました.そのころの私はペインクリニシャンとして,もっと患者の期待にこたえることのできる医者になりたい,もっと成長したいと思うようになっていました.患者の闘病生活に『くろぱんの会』がどの程度有益であるのか,どのようにして検討していくべきだろうか? 海外の文献にあるようなRCTを計画する力もなく,患者や同僚の期待にこたえられない自分にあせっていたのかもしれません.芦澤は医師であっても病気にかかることがあり万能ではないこと,人間関係や子育てに悩む普通の人間であることを近況報告で自己開示しました.成田は青森へ異動していきました.しかし,その頃から集団療法や森田療法を勉強する仲間のおかげで知識と経験を補い,グループに対する私の不安や疑問が徐々に薄れていきました.
④ 構造化
 病棟看護師が毎回参加するようになり,会終了後に感情が昂ぶり帰室後ずっとベッドに正座していた患者さん,不眠で夜間歩き回った患者さんなど,『くろぱんの会』参加後の一部の患者さんの反応について報告が入り,それについて話し合うことができるようになりました.新たに作業療法士教員の池田望が参加してくれるようになり,ウォーミングアップ,他己紹介,架空のプレゼント,笑顔づくりなど精神面のリハビリテーションを経験しました.また,新年会,野外活動(花見,パークゴルフ,釣堀),コラージュ作成,他グループとの交流(がん克服落語会)などのイベントを協力して成功させる体験を通じて,闘病中でも何かできることを気づかされて,とかく破滅思考や低下しがちといわれる慢性痛患者のセルフエスティームが自信と希望に生まれ変わりました.麻酔科の松本真希は,痛みの講義で広いジャンルからわかりやすく患者さんに説明してくれました.7年目ころより,10名前後の常連の患者さんによって,あまりコンダクターが介入に動かなくとも会は進行し,深刻な話題や涙がみられず,笑顔もみられ,会の雰囲気も落ち着いていました.臨床心理士など他職種からも幅広く応援がきてくれました.新規に参加する患者数は毎回1~2名おり,1~数回で来なくなることが多かったです.比較的若手で会の中心になる患者さんも現われました.
⑤ 依存と失望
 『くろぱんの会』で話すテーマは,痛みにとらわれずに自分ができたこと,夢,希望が多くなっていき,痛みの辛さ,苦しさ,悩みなどの辛い話は初参加の人が話す程度でした.コンダクターをやっていてもあえてそれらの感情を思い出させるようにはしませんでした.そろそろ私の(コ)コンダクターの役目を終了してもよいのではないかと思いました.実際,会員名簿の管理やニューズレター,ホームページ,年々ふくらむイベントの希望にこたえること,通信物の準備と発送などの事務仕事がしだいに負担になってきていました.
 9年目のある日,私はサポートグループから自助グループに移行することを提案しました.その準備としてコンダクターや野外活動の準備を分担してもらいました.しかし,誰がコンダクターになるのか? 会費の金額,会場選びなど現実問題で患者さん同士の対立が出現してしまいました.そして「患者だけでくろぱんの会を行うことは無理です.くろぱんの会がないと困ります.これまでのように先生方で運営してください」といわれてしまいました.『くろぱんの会』では退行を示す患者や感情コントロールができなくなってしまう参加者がいたとき,「わたしも痛くて一日中家に閉じこもって泣き,自殺するといって家族を困らせたこともあったのよ」と自分の体験を話して安心させてくれる先輩患者さんがいました.スタッフの言葉より患者さん自身の言葉のほうが当事者の心に大きく響くようでした.『くろぱんの会』は患者とスタッフが互いに少しだけ甘え寄りかかりあう,家族のような存在だったのかもしれません.
 10年目,『くろぱんの会』で父親のような存在だった高齢の参加者F氏が体調不良となり,もはや入院先からやって来ることができなくなり,F氏の面白い話や手品で笑うことがなくなってしまいましたが,新年会はこれまでの参加者で回復した方や社会復帰者も多数参加して,一見,大変盛り上がったようにみえました.しかし,その後常連参加者の欠席が目立つようになり,ビデオやICレコーダに録音していることに関して,会で話していることをほかの人が聞いているのではないかなどと疑う方まで現れるようになってしまいました.
⑥ サブグループ化
 患者同士の交流は外来待合室など『くろぱんの会』以外でも見られるようになり,気の合う仲間でサブグループができたようでした.
⑦ 新たなグループへの旅立ち,解散
 たまたま私の入院などスタッフの不在期間があり,再び私が『くろぱんの会』に参加したときは,悲痛な涙で迎えられて,誤解はあったにしても大変申し訳なく感じました.加齢や死の恐怖などのために,患者個人ごとの存在より『くろぱんの会』という抽象的なものの維持に一生懸命になっているのではないかと推測して,どうにも居心地悪く感じられました.第583回のミーティングでは「くろぱんの会をこのまま続けてよいのか?」「別な進め方にしたらどうか?」「いや先生が決めた会のルールは守ったほうが良い」など真剣な話し合いがなされました.しかし,メンバー間の葛藤もあらわになり,患者Gが「会をやめて個人治療だけ続ける」と言い残して退室してしまいました.そして第584回,参加者6名によって『くろぱんの会』の終了を決定しました.

注1:慢性痛と慢性疼痛 英語のchronic painは,日本語では慢性疼痛と翻訳されることが一般的と思われますが,麻酔科やペインクリニシャン以外の特に精神科医は,DSM Ⅳの身体表現性疼痛障害を限定的に想起することが多いようです.ここでは熊谷にしたがい,慢性痛という言葉を使用しました.

注2:グループ 患者さんを支えるグループは,1905年にボストンでジョセフ・プラットという内科医が結核患者を対象に始めたといわれています.プラットは20~30人のグループを作り,1週間に1~2回勉強会を開いて結核患者を力づけました.その後,モレノ,フロイト,アルフレッド・アドラーらが次々と集団療法に関する研究を発表し,アメリカン・グループセラピー・アソシエーションができてからは,理論的,分析的な傾向になりました.現在の米国における集団療法には,スタッフがサポートしながら運営するグループ(死別,糖尿病,慢性病,アルツハイマー病に対処する配偶者,がんを支える家族,心筋梗塞後リハビリテーション)と自助グループ(膠原病,レイプ危機,退役軍人,治療者を対象とするグループ)があります4,5).

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