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Think about Pain

慢性疼痛と脳 第2回

半場道子

Practice of Pain Management Vol.2 No.1, 38-43, 2011

前号まで
 連載1 1)では,慢性疼痛の謎解きに新しい展望を開きつつある機能的脳画像法を紹介し,研究の実際例として次の2つを示した.

 ①慢性腰背部痛患者のfMRI(functional magnetic resonance imaging)画像2)では,側坐核(腹側線条体)の脳活動が健常者に比して低下していることが特徴としてみられる


 ②女性はestrogen分泌が低いfollicular phase初期には,痛みに対し脆弱であるが,この時期の脳内μ-opioid動態をPET(positron emission tomography)画像3)で調べると,側坐核,腹側淡蒼球,扁桃体におけるopioidの活性が低いことが明らかになった



1 慢性疼痛と辺縁系・大脳基底核

 痛みを経験した誰もが慢性疼痛に転化するわけではない.多くの人は一生のあいだに大小さまざまな痛みを経験するが,適切な治療を受けて痛みが軽減し,やがて何事もなかったかのように静穏な日常生活に戻る.しかし,同程度の外傷で同じ治療を受けたにもかかわらず,一部の人は痛みが軽減しないまま慢性疼痛へ転化してしまう.両者の明暗を分けるものは何か,どこに原因があるのか……これは昔から痛みの謎であった.
 最近,このような慢性疼痛の謎を解く焦点として,辺縁系注1・大脳基底核注2の神経核,ことに側坐核(NAc)や腹側淡蒼球(VP),扁桃体(Amyg)などの機能に注目が集まっている.前号で取り上げたのも,これらに関連する事柄であった.図1にNAc,VP,Amygなどと中脳や橋とのおおまかな位置を示した.連載1では誌面の関係上,神経核の位置や機能的説明は省かざるを得なかったので,前号の記述と照合のうえ,お読みいただければ幸いである.

 さて,講演時に図1を示すといつも質問されるのは,急性痛のメカニズムとして従来示されてきた脳の模式図,痛覚投射経路と違うのはなぜか?…というお尋ねである.急性痛の機序を示す模式図では,末梢組織→脊髄後角細胞→脊髄視床路→外側視床→大脳皮質体性感覚野,という痛覚投射経路が焦点になる.脊髄視床路は,どこがどのように痛むか,侵害情報を速やかにかつ正確に伝える「速い体性感覚投射経路」であって,進化の過程で系統発生的に新しく発達した外側上行系である.
 しかしながら,痛みは本来,不快な情動的要素を含む感覚であって,どこがどう痛むかという感覚・弁別的要素だけではない.ことに慢性疼痛の場合は,情動的要素が大きく症状の全面に表れることが多い.痛みがあるという点は急性痛と同じであっても,末梢組織にすでに傷口はなく,警告信号を発しているわけではない.慢性疼痛では,深刻な病気かもしれないという不安,脳裏から離れることのない漠とした恐怖感,睡眠障害,食欲不振,イライラした精神状態,絶望感など,不快情動に問題の焦点がある.
 痛みの臨床心理学のMelzack R注3は,行動学/生理学研究に基づいて,痛みには3つの要素が含まれると述べている4).すなわち,
 ①痛みの局在や強さを弁別する感覚・弁別要素
 ②生物を行動に駆り立てる強烈な情動・動機づけ要素
 ③感覚性入力を以前の経験に照合して評価する認知・評価要素
の3つである.いいかえれば,痛みとは不快感を引き起こし,厭な思いをさせる主観的感覚ということになる.
 このような不快な忌避感情,情動・動機づけ要素に大きく関与しているのが,辺縁系や大脳基底核などの古い脳器官注4であり,それらの神経核に感覚情報を伝えているのが,「遅い体性感覚投射経路」である.この投射経路は,局在のはっきりしない残酷な痛み情報をノロノロと上位脳に伝える系であって,内側上行系とよばれ,系統発生的に古い,原始的な系である.慢性疼痛を理解するためには,情動や動機づけ要素を含めた古い脳器官の神経核の機能を研究する必要があって,NAc,VP,Amyg,帯状皮質などに注目が集まっているのである.
 機能的脳画像法では,被験者に痛み刺激を加えて神経核の応答を記録する手法がとられる.痛み刺激を加えるとfMRI脳画像上では,連載1で述べたように,健常者でも慢性疼痛患者でも,急性痛に応答する神経核が賦活する.体性感覚野SⅠ/SⅡ,視床,前帯状皮質,島皮質,前頭皮質(PFC)など,痛みのmatrix5,6)とよばれる部位であって,この点では健常者と慢性疼痛患者のあいだに差異はみられない.慢性腰背部痛患者の脳活動が健常者と明らかに異なる点は,NAcにおける脳活動の低下2)という点であった.
 前号からたびたび取り上げてきたNAcであるが,この神経核は「快の情動系」や動機づけと関係し,dopamine代謝や薬物耽溺とも密接に関連する.そのため,以前から心理学,薬理学,精神医学,精神薬理学の分野でよく研究されてきた.dopamineは,情動,報酬,学習,運動などの高次脳機能に関係する神経伝達物質である.心理学や精神医学で盛んに研究されてきたNAcが,痛みの制御と関連するとは最近までほとんど知られていなかったのであるが,dopamine代謝に多数の学問領域が交差した結果,NAcが痛みの制御と「快の情動」の双方に,深くかかわっていることがわかり,慢性疼痛と情動の関係が脚光を浴びるようになった.

注1:辺縁葉または辺縁系limbic system.大脳半球の周辺を縁どる皮質組織と関連する皮質下の構造─扁桃体,海馬,中隔核,帯状皮質─を指す.視床下部とともに情動の形成と表出に関係する.嗅覚は,両生類以上の動物が陸に上がって生存していくために重要な感覚であった.本能的な営みは嗅覚から発した神経機構で形成された.その神経機構の領域が辺縁系と説明されている.


注2:大脳基底核(basal ganglia)は,左右の脳の5つの神経構造を指す.尾状核(caudate nucleus),被殻(putamen),淡蒼球(globus pallidus)と,これと機能的に関係する視床下核(subthalamic nucleus)および黒質(substantia nigra)である.尾状核と被殻を合わせて線条体(striatum)という.


注3:Melzack RとWall PDは,『The Challenge of Pain』(邦題『痛みへの挑戦』)を著した.痛みの臨床生理のバイブルと称される名著である.「痛みの3要素」は第11章に,「体性感覚投射経路」は第7章に,戦場の兵士に関するエピソードは第2章に記述されている.


注4:ヒト大脳には,系統発生的に最も古い原始皮質(archiocortex)から,古皮質(paleocortex),新しく発達した新皮質(neocortex)の階層性がみられる.ヒトでは新皮質が著しく発達し,旧皮質(原始皮質と古皮質)は脳深部底面や側面,内側に押し込められている.

2 mesolimbic dopamine systemと痛みの制御

 私達が恋をした時,いい音楽を聴いた時,仕事をやり遂げた時など,中脳の腹側被蓋野(VTA)(図1参照)から側坐核(NAc)や腹側淡蒼球(VP)に向けてdopamineが放出される.

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