Trend & Topics 痛みを知る
痛みからの解放の歴史
―戦争がもたらした痛みを巡って―
Practice of Pain Management Vol.1 No.1, 22-25, 2010
はじめに
痛みに苦しむことはいつの時代でも変わるはずはなく,人類は痛みからの解放に取り組んできたことだろう.痛みからの解放の歴史についてたどることは駆け足でも誌面の関係で無理があるので,ここではたび重なる戦争によってもたらされた物語をWEBなどから拾うことにした.
16世紀:イタリア戦争―Ambroise Paré(1509~1590)
Ambroise Paré(写真1)は中世絶対王制下のパリの床屋外科医であったが,止血法,縫合法,義肢などの発明により多大なる功績を残したことから,「近代外科の父」とよばれている.ヴァロア家とハプスブルグ家は領有権を巡る戦争を繰り返し,Francis I世と宿敵Charles V世は1536年にミラノ継承を争う第三次イタリア戦争を勃発させた.日本への鉄砲伝来は1543年であるが,ヨーロッパの戦場では15世紀から火縄銃や大砲が使われていて,兵士たちは惨たらしい銃創に苦しめられることになった.Paréもフランス軍とともにアルプスを越え,負傷兵の治療にあたった.当時の銃創の治療は煮えたぎる油を傷口に注ぐという治療であり,これはローマ法王Julius Ⅱ世の主治医であったGiovanni da Vigoによる「銃創は火薬で焼かれて毒されているので,焼灼しないと毒がまわって死ぬ」という説に基づくものであった.膿と一緒に毒も出してしまうという点では現代での考え方と似ているが,炎症を強めることにもなっていた.トリノでの戦いは多くの死傷者を出したため,ニワトコ油は底をついてしまい,Paréは卵黄,バラの香油とテレビン油をかき混ぜて軟膏をつくり,傷口に塗り込んだ.翌朝患者を診にいくと,ニワトコ油で治療した3人の兵士の傷口は赤く腫れあがり,2人はのたうち回り,1人は死んでいた.軟膏治療を受けた兵士は炎症も軽く,眠っていた.パリに戻ったParéは恩師のFrançois-Jacques Dubois(解剖学者Andreas Vesaliusの師である)の勧めにより,フランス語の著書『銃創の治療法』を1545年に出版し,軟膏療法を推奨した.Francis I世が死去したのちに王位についたHenri Ⅱ世が指揮した遠征にもParéは従軍した.砲弾や銃弾で骨が砕け散るので,多くの四肢切断手術を行った.当時の止血法も焼灼止血法が一般的であったが,血管を直接糸で縛って止血するというGalenus(古代ローマの名医)が行っていた血管結紮法を復活させ,Paréはより出血と炎症の少ない手術を行っていた.
17世紀:ドイツ三十年戦争―René Descartes(1596~1650)
René Descartes(写真2)はフランス生まれの数学者,科学者であり,哲学者でもあった.Descartesが生きたのは旧教徒と新教徒の対立から発生した戦乱の時代であり,三十年戦争(1618~1648)では旧教軍の一翼を担ったバイエルン公Maximilian I世の軍に入隊した.Descartesは1641年に出版した『省察』の第六省察のなかで幻肢痛を介して痛みについて記述している. 「なぜなら,痛み以上に内的なものがありうるだろうか?しかし私はある時,脚や腕を切断した人々が,今でもときどき,なくした身体のその部分に痛みを感じるような気がする,ということを聞いたことがあるからである.したがって,たとえ私が身体のどこかに痛みを感じていても,その部分が私に痛みを与えたのだと確信するわけにはいかないように思ったのである.」
19世紀:ナポレオン戦争―Dominique Jean Larrey(1766~1842)
William Thomas Green Mortonによるエーテル麻酔の発明は1846年であり,それ以前の外科手術は患者にワインを飲ませたり,昏倒させたりしても,大男が体を押さえつけなければできなかったので,迅速な手術ができることが名医の条件だった.Napoléon軍の軍医であったDominique Jean Larreyはスペイン戦争(1808年)では多くの下肢切断手術を経験して,腕を磨いた.スペイン兵が退却の道に地雷を敷設したために,多くの兵士が下肢を負傷したからである.ロシア遠征では,凍った足は切断中でも痛みを感じにくく,さらに切断後も切断部を雪や氷で冷やすと痛みを緩和できることを知り,冷却麻酔を施して,ボロディノの戦い(1812年)では24時間に200例,ベレジナの戦い(1812年)でも300例もの四肢切断術を施したとされている.Larreyは救急車の原型を考案したことでも有名で,1796年にスプリング付きの馬車を走らせて傷兵救護にあたっていた.
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※記事の内容は雑誌掲載時のものです。