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私のモチベーション

未知数であった胎児へのアプローチ

左合治彦

Fetal & Neonatal Medicine Vol.10 No.3, 41-43, 2018

祖父の代から続く産婦人科開業医の家系で,特に母は私が幼い頃から跡を継いで欲しいと強く願っていました。幼い頃は医師になることよりも数学に興味があり,将来は数学者になろうと思っていた時期もありましたが,祖父や父と同様に県立岐阜高校から東京慈恵会医科大学へ進学しました。産婦人科に限らず幅広い領域を診ることができる医師を目指し,三井記念病院の外科で臨床研修を受けることにしました。レジデントの2年間は,毎日朝6時に採血,7時半にカンファレンス,手術を数件行った後は深夜まで標本整理,その間に昼夜を問わず救急対応という生活で,2週間の夏休み期間を除けば1年のほとんどを病院で過ごしていました。シニアレジデントの2年間も相変わらず同じような状況で,5年目にチーフレジデントとして働きました。外科医として心臓外科や消化器外科などさまざまな手術に携わりました。そして,研修が終わるとその後の進路について悩みましたが,次第に人生の終りではなくはじまりに携わりたいと考えるようになり,母校の産婦人科に入局しました。

※記事の内容は雑誌掲載時のものです。

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