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胃癌診療の歴史

第26回 麻酔法の発見と変遷

岡島邦雄

胃がんperspective Vol.10 No.4, 66-71, 2019

医療の歴史をひも解くとき,19世紀に入って外科領域の治療分野で大きな変遷・進歩を遂げたのは,麻酔法と防腐法であろう。
それまでの手術には殺人的な疼痛とその後に発生する感染・敗血症により死亡する患者が非常に多く,およそ治療とよべるものではなかった。特に開腹術は禁忌とまで言われた。手術時の疼痛は,長く患者に与えられた不可避な宗教的苦難とされた時代であり,Hippocratesは疼痛について患者への同情は殆ど示さず術者のやりやすいように手術部位を動かさないことを指示した。ローマ時代シシリーの軍医で植物学者のPedanios Dioscorides(AD 40-90)は手術にはマンダラゲとワインを用いた。19世紀初めになっても,マンダラゲ,インド大麻,アルコールの飲用,催眠術が行われていた。
しかし,ようやくこの悲惨な疼痛とそれによる体力の消耗は死亡率を上昇させるため手術時の疼痛対策は蔑ろにしてよい問題でないとの考えのもと,積極的にこの対策を探求する動きが出てきた。現在からみると麻酔の理論を進めるには,血液循環の原理,呼吸生理,疼痛の神経伝導路などを総合的に考えねばならないが,18世紀初めはこれを包括的に探究することはできなかった時代であった。そのため研究者は自分自身あるいは動物を用いて体験的実験で探究するのが実情であった。
なお,現在では吸入麻酔薬として知られる亜酸化窒素(笑気ガス)やエーテルは,医療用に用いられる前に,これらのガスを見物人に吸入させて異常体験をさせる娯楽ショーとして,アメリカの巡回興行師に用いられていた。この無謀な実験ともいえる娯楽ショーが,期せずして後に医療用麻酔として実地臨床で用いられるきっかけにもなっており,僥倖であったというべきであろう(後述)。
ここでは主として全身麻酔薬開発初期の歴史を繙いてみたい。

※記事の内容は雑誌掲載時のものです。

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