シリ・ハストヴェット(Siri Hustvedt)(写真)は1955年に米国ミネソタ州ノースフィールドに4人姉妹の長女として生まれた.父親はミネソタ州生まれの米国人であるが,ノルウェーからの移民3世で,大学院学生の時にオスロ大学に留学し,後に妻となるノルウェー人女性と出会った.シリが生まれ育ったノースフィールドは,「牛と,大学と,満足の町」といわれる人口8,000人の小さな町で,ハストヴェット家はプロテスタント・ルター派の敬虔な一家であった.父親はセント・オラフ大学でノルウェー語とノルウェー文学の教授をしていたが,男子寮の寮長でもあったため,シリは子どもの頃大学のキャンパス内に住んでいた.母親はシリについて「いろいろなことに敏感な子ども」だったと語っている.光や色に敏感で,感じやすく,感情移入が極端に強かったという.洗礼の日,熱が41℃まで上がり熱性けいれんを起こしたことがあった.11~12歳の頃には,同じフレーズを何度もくりかえす合唱の声が聞こえ,そのリズムに圧倒されるのではないかと恐怖を感じたことがあったとシリが述べている.
シリは父親が教鞭をとっていたセント・オラフ大学に進学して歴史学を専攻した.大学卒業後はニューヨークで一人暮らしを始め,コロンビア大学の大学院で英語学を学び,詩を書き,ディケンズ論で文学博士を取得した.26歳の時にポール・オースター(Paul Auster)と出会い,その後結婚した.ポール・オースターは,日本では米国の小説家として有名で,多くの小説やエッセーが邦訳されている.ポールの自伝的エッセー1)のなかで,妻シリについて「やせて背が高く,崇高で美しい金髪女性で,外交的で奔放で温かい」と紹介し,「他人の心を読み,他人の魂のなかを見抜く超自然的な能力がある」と述べている.シリは28歳の時に最初の詩集を公表し,37歳の時には処女小説『目かくし』(2000年邦訳)を出版し,その後現在までに5編の小説を発表している.50歳の時にエッセー集『フェルメールの受胎告知』(2007年邦訳)2)を,そして54歳の時に闘病記ともいうべき『震えのある女』(2011年邦訳)3)を出版した.『震えのある女』の原題は『The Shaking Woman』で,副題に『A History of My Nerves』(私の神経の物語)とある.本稿ではシリの体験した「震え」についての自己探求を紹介する.
シリは父親が教鞭をとっていたセント・オラフ大学に進学して歴史学を専攻した.大学卒業後はニューヨークで一人暮らしを始め,コロンビア大学の大学院で英語学を学び,詩を書き,ディケンズ論で文学博士を取得した.26歳の時にポール・オースター(Paul Auster)と出会い,その後結婚した.ポール・オースターは,日本では米国の小説家として有名で,多くの小説やエッセーが邦訳されている.ポールの自伝的エッセー1)のなかで,妻シリについて「やせて背が高く,崇高で美しい金髪女性で,外交的で奔放で温かい」と紹介し,「他人の心を読み,他人の魂のなかを見抜く超自然的な能力がある」と述べている.シリは28歳の時に最初の詩集を公表し,37歳の時には処女小説『目かくし』(2000年邦訳)を出版し,その後現在までに5編の小説を発表している.50歳の時にエッセー集『フェルメールの受胎告知』(2007年邦訳)2)を,そして54歳の時に闘病記ともいうべき『震えのある女』(2011年邦訳)3)を出版した.『震えのある女』の原題は『The Shaking Woman』で,副題に『A History of My Nerves』(私の神経の物語)とある.本稿ではシリの体験した「震え」についての自己探求を紹介する.