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第24回 ソクラテスのてんかん説について

Epilepsy Vol.12 No.2, 49-54, 2018

ソクラテス(前 470~399)は,紀元前399年に70歳で死刑判決を受け,毒杯を仰いで亡くなったということ以外には確実な資料が乏しい.「ソクラテスの弁明」1)は,ソクラテスにとっては身に覚えのないメトレスらの告発に対して,裁判で語った自らの想いを弟子のプラトン(前 427~347)が刑死からまもない時期に書き記した書物である.それによれば,ソクラテスは「私には何か神と神格に関わりのあるもの(ダイモニオン)が生じるのです…それは子供の時以来私につきまとい,ある種の音声として生じるのです…私がまさに行おうとしていることを私に止めさせようとするのです」とあり,言語性の幻聴があったことを示唆している.また,プラトンが40代になってから書いた「饗宴」2)には,ソクラテスが同じ場所に数時間から一昼夜にわたって立ち尽くしていたというエピソードが書かれている.これらのエピソードから,ソクラテスはてんかんではなかったかという議論がある.
ソクラテスは自らの言行については文書を全く残していない.そこで,プラトンが書いたソクラテスの発言は,本当にソクラテスが語ったことかどうかという問題がある.プラトンはソクラテスを深く敬愛し,ソクラテスが刑死したときは28歳で,「ソクラテスを完全なまでに描写し,後世に残し,伝えなければならない」と思い定めていたという3).特に「弁明」などの初期対話篇ではいまだプラトンの思想が十分に成熟しておらず,生前のソクラテスの言動を見聞きした人が大勢いる時期に書かれており,ソクラテスの発言をありのままに伝えていると考えてよい.「饗宴」などの中期対話篇では,ソクラテスの言動とプラトンの見解は互いに分かちがたいと考えられる.一方,後期の作品ではプラトンの思想が成熟してソクラテスの言動は背景に退いている.そこで,プラトンの初期と中期の対話篇に記載されたエピソードを中心に,改めてソクラテスのてんかん説の異論・異説について考えてみたい.

※記事の内容は雑誌掲載時のものです。

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抄録