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編集長のページ

被災地支援とアンチエイジング医学:MVV プロジェクトのお話

坪田一男

アンチ・エイジング医学 Vol.7 No.3, 101-104, 2011

東北地方太平洋沖地震と福島原発
 まずは恥ずかしい話をしよう。3月11日に大地震が起き,津波によってたくさんの町が破壊され,そして福島原発が問題になったときにどう感じたのか?たくさんの方が津波によって流されて亡くなられ,本当にお気の毒だ。被災された方はどんなに辛いだろうという自然な気持ち。これはナチュラルだ。しかし,次が問題。“これはアンチエイジングにとってマイナスだ”と思ってしまったことだ。放射能汚染が東京にまで及べば,子供たちに大きな影響が出る。自分自身にも放射線障害が出る可能性がある。ご存知のようにエイジングの酸化ストレス仮説は,1956年にハーマン先生が放射線を照射したマウスはエイジングが早いという観測から導きだした仮説だ。強い放射線=エイジング。これはよくないことが起きた,と思うととても心配になり,いつもの元気な自分らしさが消えていくのを感じた。とともに,こんなことを考えている自分がいやになった。ごきげんレベルも下がる。これはよくない。だって僕はいつもごきげんに過ごしていたいのだ。自分のことばかり考えていると人はごきげんじゃなくなる。

何かお役に立てるかと考えたら急に元気になった

 僕たちはアンチエイジング医学に興味があり,そしてそれを実践する学会に所属している。アンチエイジングによって健康寿命を伸ばすことが一つの大きな価値である。でも,それは人生の目標なのだろうか? 今回の大震災によって自分の価値観をしっかりと見直すチャンスが訪れたような気がする。何人かのリッチな友人たちは早々に国外に脱出し,「坪田先生もアンチエイジング的には早く国外脱出したほうがいいよ」と言ってくる。アメリカの友人も「Kazuo,すぐにアメリカに家族を連れて来いよ」と言う。確かに,3月11日から1週間くらいの日本は暗雲立ち込めていた。単純な考え方からすると,安全な場所に移動したほうがよいということになる。でも待てよ。自分はそこまでしてアンチエイジングをして長生きしたいのだろうか。東北地方の方々がこれだけ困っているのに,医師である自分が何かお役に立たなくていいのか? 何かお役に立ってこその人生じゃないのか?と考えるようになった。たとえ寿命が短くなったとしても,今何かやらなくてどうするんだ!という気持ちである。“よーし,自分も被災地支援を積極的にするぞ”という決意ができた途端,一気に元気になっていく自分を感じた。心配がなくなる感覚である。攻めの感覚である。何かお役に立ちたいと思った途端に不安は消え,元気が出る。これこそ自分の感覚だと思った。では,何ができるのか?

被災地を訪れ戦略を練る

 地震から3日後の3月14日に医学部教授会があり,そこで慶應義塾大学として被災地支援を積極的にやろうという発言をした。これが契機になって「じゃあ,坪田先生,慶應として何ができるか見てきてください」ということになった。話の展開は早い。18日には岩手に入りたいと考え,当会の評議員でもある岩手医科大学外科の若林 剛教授,同眼科の黒坂大次郎教授に連絡をとって調整したが,ガソリンが全く調達できずに断念。翌週の24日に,遅ればせながら2人の教授と陸前高田,宮古,山田町,大槌,釜石を訪れた。テレビや新聞で被災の状況は理解していたものの,根こそぎ町全体がなくなっている状況に改めてショックを受ける。数日前までにそこには家があり,家族があり,生活があり,お店や学校があったと思うと涙を禁じ得ない。これは何かしなければ!でも,病院も流されてしまっているし,眼科クリニックも流されてしまっている。眼科医として何かできないのか!

Vision Vanを思いつく

 被災地入りする前に少し考えていたことがある。2005年アメリカ・ルイジアナ州をハリケーン・カトリーナが襲ったことだ。ニューオーリンズの都市機能を完全に破壊し,たくさんの避難民を出したのはまだ記憶に新しい。津波がたくさんの都市を襲い,大水害をもたらしたのに似ている。思い浮かべたのはマイアミ大学,バスコンパーマー眼研究所が作ったVision Vanである。Vision Vanは眼科検査器械がバスの中に設置されていて,動く眼科診療室として働く。ハリケーン・カトリーナ被災のとき,眼科診療のために大活躍したことはよく知られている。そうだ,もしあのバスを日本にもってくることができたら,きっと被災地においても眼科診療のお役に立つに違いない。
 ちょっとバスだから重いよね,飛行機で運んだら大変だよね,費用ってどのくらいかかるんだろう,まず第一アメリカが貸してくれるかわからないし,もってきても日本で車検とか通るのだろうか?などなど,いろいろ考えていると前に進めない。ただ自分の性格でいいなと思うところは,やってみないと気が済まないところ。そこで,国際秘書のキャサリンにVision Vanが借りれないか調べてみてほしいと頼んだ。
 すると,なんとVision Vanは僕の親友のEdualdo(Eddie) Alfonso先生が管理しているという。Eddieは,26年前にハーバード大学で角膜フェローシップを一緒に取った仲間だ。以来とても仲良し。最近バスコンパーマー眼研究所のチェアマンになったことは知っていたが,Vision Vanとは僕の頭の中では結び付いていなかった。そこで早速電話をしてみた。「一男,津波がすごくて原発も大変そうだけど大丈夫か?すぐにマイアミに引っ越して来い!」と,すごい勢いでいつものように話が始まる。一段落してから「Vision Vanをしばらく被災地支援のために借りることはできないだろうか?」と聞いてみる。「もちろん,日本のためになるなら,今アメリカ人は何でもやってあげたいと思っているんだ。絶対に大学から許可を得るので,この話は先に進めてくれ」とうれしいお返事をもらった。
 さあ,話が前に進んでしまった。ところで,どうやってあのバスをもってくればいいんだろう。そういえば,どのくらいの大きさなんだろうか。電話で聞いておけばよかった。

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