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MY TURNING POINT

長澤浩平

長澤浩平

Arthritis―運動器疾患と炎症― Vol.11 No.2, 72, 2013

 昨年(2012年)夏,1人の中年女性が私の外来を受診しました.それが何と,今を去ること42年前,私が研修医だった時代に高熱を発して入院し,診断,治療に大いに苦慮した患者さんだったのです.いわば42年ぶりの再会です.この思いもしなかった再会に鳥肌が立つような感動を覚えました.というのも,私の研修医時代を通じて最も印象に残り,その後も気になっていた患者さんだったからです.当時16歳の高校生だった彼女も今や58歳.しかし,小柄ながら,くりくりと動く大きな眼や快活な喋り方はまさに当時のままでした.

 当時(1971年),研修医時代の私は,将来,内科医になるためにいわゆるナンバー内科をローテートしていましたが,さて専門を何にするかで少々迷っていたところでした.学生時代から研修医時代にかけて循環器の分野にいくらか興味をもち,心電図などの勉強で循環器の検査室に出入りしていたこともありました.そしてもうひとつの興味が膠原病の分野でした.ただ,膠原病といっても,当時はわかっていることはきわめて少なく,いわば未知の魅力でした.「自己免疫」という概念もバーネットが提唱してまだ年月が浅く,ちょっと神秘的な響きをもっていました.免疫学という新しい学問分野では,リンパ球にはTリンパ球とBリンパ球の2つの種類があることがやっと明らかにされ,「ほう,面白いものだな」と感じていた時代でした.当時,私の大学(九州大学)の細菌学教室では,マウスの新生児期に胸腺を摘出すると,移植に際し,拒絶されることなく,生着することを明らかにして注目を集めていました.
 そのようなときに,16歳の女子高生が高熱を発し,青息吐息で入院し,私が主治医に指名されたのです.高熱ですから,まずは感染症を疑って細菌学的検査をくり返しますが,何も捕まりません.抗生物質を投与しますが,さっぱり熱は下がりません.当時の血液検査で可能なのは,CBC,一般生化学検査と血沈,CRP程度で,自己抗体ではRAテストくらいのものでした.指導医などとも議論の末,「膠原病みたいなものだろう」との不確かな診断を下し,“思い切って”プレドニン®30 mgの投与を始めました.その頃はステロイドを使用するには相当の勇気が要ったものでした.するとどうでしょう,数日後には見事に解熱し,一般状態も徐々に改善して退院に至りました.何年も経って考えるのは,診断はやはりSLE(全身性エリテマトーデス)だったのではないかという結論です.
 私は,この症例を担当して,当時数少ない自己免疫の書物などを読みました.そして,これからは免疫に関する疾患が面白いのではないかという考えに至り,その年の春から細菌学の大学院に入りました.こうして私の進路が決まったのです.それから5年後,内科に戻った私は膠原病の研究室に入り,現在に至っているのです.
 幸いなことに,現在の彼女にはSLEらしさはありません.他の慢性の自己免疫疾患をもっていますが,すっかり落ち着いた状態で,車で1時間以上のところを2~3カ月に一度通院しています.今は診療しているというよりも,会話を楽しんでいるといったほうがよいかもしれません.
 人が一生の仕事を決める場合,自分の強い意志か,あるいはそうでなければ,なんらかのきっかけというものがあるでしょう.私の場合,この不明熱の少女が進路決定を大きく後押ししてくれました.ターニングポイントになったのです.忘れられない若き日の想い出です.

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