誰でもその長い人生行路のなかで,いくつかのターニングポイントをもっているものです.


 私にとって少年時代のターニングポイントは,高校生のとき,医師になろうと決心したときでした.以後,オンリーワン・チャンスの受験に向けて猛チャージを開始し,金沢大学医学部に合格して今の私があることになります.中年:整形外科教授になってからのターニングポイントは,開発・発表したばかりの脊椎がん全摘出術をアメリカから依頼され,退路を断つような悲壮な覚悟で渡米し,手術に成功して実証したときだろうと思います.しかし,自分の医師人生の方向を大きく変えた青春時代のターニングポイントは,なんといってもアメリカ留学中の大陸横断一周であり,これこそ一番自分らしく心の内なる叫びに応え,燃え輝いた象徴的な行動であったように思います.

 ちょうど30歳のとき,整形外科開業を夢見ていた小生に,教授から「1年だけで良いから,アメリカへ留学するように!」と言われ渡米(Buffalo,NY)しました.手術の腕磨きに飢えていた私が,タイムマシーンに乗ったように急にアメリカの狭い実験室にこもり,毎日明けても暮れても,ただネズミのしっぽに抗がん剤の点滴ルートを確保しようと奮闘している姿は我ながらみじめでした.英会話する機会もなく,実験の見通しも立たず,成果も挙がらず,どんどん手術から遠のいていく虚しさと焦りが募って,遂に目に見えない大きな壁にぶつかってしまいました.

 「開業を決心している自分にとって廻り道となったのは仕方がないとしても,アメリカへ来るのはこれが人生“初めで終わり”のチャンスだろう.それなのにこれでいいのか?」.どうすれば悔いが残らないかと熟慮した挙句,「アメリカの広大さを目と肌で実感して帰りたい!」という,実験とはまったく関係のない方向への強い衝動に駆られました.そこで一大決心をしました.妻に車の運転をスーパーマーケットの駐車場で教え,試験も受けさせてcar licenseを取らせ,教授に「1週間の休暇がほしい」と頼みました.「アメリカは危険なのを知らないのか,crazy!」と止められるのを背に,ポンコツ自動車に小さなテントと毛布を積み込み,Niagara fallsを始まりに「行ける所まで行こう!」と旅に出かけました.

 朝4時にスタートし,西へ西へと妻と交代で車を走らせ,21時間後の夜中1時にChicagoに着き,高速道路の脇で仮眠し,翌朝また走り続けました.車窓の両サイドとも広々としたトウモロコシ畑のみ,あるいはインディアン居住地の荒野だけ,それが延々と地平線にまで続く単調な風景! しかしこれこそ日本ではみられない風景だ,と感動しながら3日4日と走り続けました.そしてついに遠くに映画「シェーン」で名高いワイオミングの山波と,頂きに雪を冠ったAmerican Rocky mountainsを臨んだとき,これで帰れば約束の1週間でしたが,納得いくまでもっとこの大陸を見たい,と前進を決心しました.それからはYellow Mts. National parkのなかを駆け巡り,車の故障を何度も乗り越え,コヨーテやクマにおびえ野鹿に癒され,あるいはキャンプの人に励まされたり情報を教えてもらったりしつつ旅を続けました.さらにCanadian Rocky Mts.をJasperまで北上した頃には自然の美しさ雄大さ,氷河の神々しさにすっかり心が洗われて,アメリカへ来てよかった,冒険旅行してよかったという満足感に浸されました.その後,帰路はカナダ大陸を東へ東へと車を走らせて横断し,12日後にBuffaloへ帰還しました.この間のキャンプテント生活を通じて,アメリカ人の逞しくも優しい姿・考え方と接し,native Englishにも慣れ,自分もアメリカ人になったような気持ちになってしまいました.アメリカの友人たちは皆,このアドベンチャーに大変驚いてヒーロー扱いとなり,なぜか以後の実験もトントン拍子に進みました.

 その後も,いろんなターニングポイントがあって整形外科教授・病院長となりましたが,脊椎がん全摘術(TES)の開発や,それをキーに海外出張手術・講演など活発な国際活動ができたことも,無謀と言われた大陸横断一周を敢行したときの,あの青春の爆発で自分に自信がついたからこそと思っています.人生,何かに行き詰まったときには,静かに自分の内なる叫びに耳を傾け,己を信じて全力で努力すれば,道は拓かれると思っています.

 “金剛石も磨かずば,珠の光は添わざらん”,これが小生の座右の銘です.



金沢大学附属病院病院長/金沢大学整形外科名誉教授

富田勝郎 Tomita Katsuro