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疫学(インフルエンザ)

新型インフルエンザの流行を振り返って

谷口清州

インフルエンザ Vol.12 No.3, 31-36, 2011

 わが国の新型インフルエンザへの対応を振り返ってみれば,いろいろと議論はあるものの結果は世界で最小の死亡数であった.これは計画時に病原性の高いものを想定していたことによる意識の高さ,医療従事者の献身的な努力により平常時の医療体制が機能したこと,学校閉鎖をはじめとする平常時からのインフルエンザ対策などに支えられていたものと考えられる.しかしながら,平常時にできないことは危機時に行うことは容易ではなく,これまでにも議論されてきているように,平常時よりSurge CapacityやCommand and Controlなどの危機管理体制が重要である.

KEY WORDS
■新型インフルエンザ ■パンデミック(H1N1)2009 ■健康危機管理

はじめに

 2011年5月末の現在,日本では,3月11日に発生した東日本大震災およびそれに引き続く津波,そして原発事故への対応が続けられており,くりかえし危機管理という視点からの議論も行われている.思い起こせば,世界でパンデミックへの準備が始められていた1999年頃,われわれが日本でのパンデミックに対する準備の必要性について予算当局に説明にいくたびに,それは大震災とどちらが発生する確率が高いですかと問われた.そんなにたくさん備蓄して発生しなかったら誰が責任取るんですか……,だいたいわれわれが生きているうちに起こるんですか……云々.奇しくも,めったに起こらない危機の代表選手のごとくいわれたものが連続して起こったのである.国家の基本的な役割として国民の生命を守るということは最優先事項である.であれば,それがめったに起こらないことであっても,起こる可能性があれば,それがたとえ100年に一度のことであっても準備をしておく.これが危機管理であって,まあ起こらないだろうというのは危機管理ではない.想定外だったというのは,明らかにリスクの過小評価である.日本におけるパンデミック(H1N1)2009への対応についての総括は,各テーマについてすでにいろいろなところで報告されているので1)2),本項では健康危機管理という視点から記載してみたい.

1 パンデミックのインパクトの想定

 日本のパンデミックプランは,1997年(平成9年)5月に国としての新型インフルエンザ対策検討会が設置され,同年10月24日に具体的な報告書を発表した.その後の一連の鳥インフルエンザウイルスH5N1によるアウトブレイクののち,2003年10月に厚生労働省新型インフルエンザ対策検討小委員会が設置され,新たな知見の集積と世界的な趨勢を考慮して,2004年8月31日,1997年の報告書を改訂するかたちで,新型インフルエンザ対策報告書がまとめられた3).その後2005年10月28日に,厚生労働省新型インフルエンザ対策推進本部が設置され,同日鳥インフルエンザ等に関する関係省庁対策会議を開催し,翌11月14日に新型インフルエンザ対策行動計画を公表するに至った.2005年度末に新型インフルエンザ専門家会議が,サーベイランス,公衆衛生対策,ワクチン及び抗ウイルス薬,医療,情報提供・共有の5つの部門として設置され,2006年4月より具体的な議論が開始され,2007年3月26日,「新型インフルエンザ対策行動計画」の一部改訂とともに「新型インフルエンザガイドライン(フェーズ4以降)」が策定された.そして2008年9月から再びガイドラインの改定作業がはじまり,2009年2月に最終的な行動計画とガイドライン4)の完成をみている.
 国家としての被害想定は,米国疾病管理センター(Centers for Disease Control and Prevention;CDC)のFluAid 2.0を用いて,全人口の25%が新型インフルエンザに罹患すると想定した場合に医療機関を受診する患者数は,約1,300万人~2,500万人(中間値約1,700万人)と推計されている.また,その重症度については,アジアインフルエンザを中等度(致死率0.53%),スペインインフルエンザを重度(致死率2%)として,中等度の場合では,入院患者数は約53万人,死亡者数は約17万人,重度の場合では,入院患者数は約200万人,死亡者数は約64万人と推定されていた.また,全人口の25%が罹患し,流行が8週間続くという仮定のもとでの,中等度の場合の入院患者は,流行発生から5週目に最大で1日当たり10万1千人と推定されていた4).
 また,研究レベルでも数理モデルを使用した被害想定が多数報告されていた5)-9).日本においては大日らが,Individual base modelを使用して日本国内での感染伝播の状況のシミュレーションを行い,初発例から14日目に東京では322,000例の患者が発生すると推計していた9).
 これらの想定,推計については当時もさまざまな議論があり,あまりにもオーバーな想定であり,いたずらに不安をあおり立てているとの議論があり,致死率2.0%とすると,推計入院患者数は現状の医療キャパシティをすでに凌駕しており,思考停止となるとも揶揄された.一方,本当にH5N1がヒト─ヒト感染能力を獲得した場合には,想定より病原性が高い可能性もあり,そういう場合も見据えて考えなくてはいけないとする議論,人類が把握できている範囲では過去H1,H2,H3の亜型以外のパンデミックは発生していないことからH5によるパンデミックは考えにくいであろうとの議論もあり,被害想定の議論には多大な時間が費やされた.しかしながら,これらについては基本的に発生してみないとわからないことであり,なんらそれらの議論を支持するエビデンスもないため,最終的には国のガイドラインの作成は,危機管理の視点から病原性が高いことを想定に入れつつも,最終的な想定は明示されず,いかにも日本的な曖昧なかたちで作成された.しかしながら,当時は全体的には病原性が高いことが想定され,ガイドラインはそれらを基本として策定され,そして,完成後まもなくパンデミックの発生となったのである.

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