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長い時空を旅する血液

第2回 血液は循環する:“流れる組織=血液”の運河

丸山征郎

血管医学 Vol.12 No.2, 93-100, 2011

 本エッセイ“長い時空を旅する血液”の第1回(血管医学2011年2月号)で「血液の長い旅路」と題して,血管が“ライフライン(life line)”であること,このライフラインたる血管の中を旅するのは血漿と血球であり,成人1人当たりその総「道のり」はなんと10万kmにも及ぶ長い旅路であることを述べた.10万kmというと実に赤道周囲の2回り半という長さで,フルマラソン2,300回分である.筆者はジョギングを趣味としており,余暇にはよくジョギングを楽しむが,これまでの総走行距離はまだまだこの5分の1に過ぎない.自分はまだまだ精進が足りない!というか,「血液!お主もやるなー!」とでもいうべきか,血液の旅は大変なものである.
 しかし血液はなにゆえに,かくも“せわしく”身体中を循環するのであろうか?今回は,血液がわれわれの閉鎖された循環系の内部を何回も何回も休むことなく巡ること,すなわち血液が循環するという血液循環説の成立に至る背景と歴史,そしてその意味論について述べることにする.

 “血液が身体の中を循環する”,今ではこの“当たり前”と誰もがアプリオリに受け入れている現象が,異端のバッシングのなかで学説として提唱され,それが真理として広く受け入れられたのはそれほど古いことではなく,ルネサンス後半頃からのことである.確かに,考えてみると体液が休むことなく何度も何度も身体の中をすみずみまで廻るというのは不可思議なことである.血液の中には血漿成分のほかに多種の血球が浮いている.血球はばらばらに流れてはいるが,ときにはお互いに接着・結合する.リンパ球同士の場合には神経のシナプスになぞらえて,“immunological synapse”とも呼ばれる接着を介して,ある種のレトロウイルス(Human Immnodefi ciency Virus[HIV]やHuman T-Lymphocyte Virus type 1[HTLV-1])はリンパ球からリンパ球へと感染する.また,核のない細胞である血小板は好中球や単球とハイブリッド化して炎症や生体防御の新たな戦略をつくることも最近の話題である.
 このように血管の中を不断に流れる血液は,いわばその場(炎症や外傷・損傷,出血,あるいは悪性腫瘍など)のディマンドに応じて臨機応変の体制をつくる“流動性組織”“超可塑的組織”ともいえる(図1).

酸素や栄養物質の運搬という重要な機能のほかに,止血や修復,そして炎症などを一式取り仕切る軍団を用意して常に体内をくまなくパトロールし,異常箇所をセンシングして,異常事態を発見したらその場で臨機応変に軍団に応答を命ずる,これも血液がせわしく体中を巡る大きな機能であったのである.

1 「血液循環説」の歩みとその背景 ヒッポクラテス,ガレノスからヴェサリウス

 病気の原因はすべて魔女の呪いや悪霊であり,その治癒はひたすら神の加護にすがり,祈るか,苦しい現世より楽園たる来世を夢みることしかなかった古代から中世までの生命科学の暗黒時代・・・・.この悪霊や悪魔の呪縛から人々を解放したのはもちろん近代医学である.しかしその源流は古く,古代ギリシャの医聖ヒッポクラテス(Hippocrates, BC460頃~375頃)とその医術を引き継いだガレノス(Galenus,129頃~199)まで遡るべきである.ヒッポクラテスの説いた医師の守るべき道,倫理面についての教えは「ヒッポクラテスの誓い」として,今でも米国医師会をはじめ,各国の医師会や医学校の綱領に奉られていることは周知のとおりである.彼らが2000年も前に確立した医学には,当然のことながら今からみると多くの誤謬と荒唐無稽な非科学的言説が多々みられる.しかし,それでもなお自然治癒力の概念を提唱したヒッポクラテス,感染症の原因としての外傷を強調したガレノスはやはり慧眼のもち主であったといえよう.
 この古代の医学から脱皮し,科学としての道を歩き始めるには,アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius,1514~1564)という天才解剖学者の出現まで待たなければならなかった.実に1000年以上もの歳月を要しているのである.ヴェサリウスがその数多くの人体解剖により,眼前に曝け出された臓器の精密な観察を「ファブリカ─人体の構造について─」全7巻の大著にまとめたのはなんと,弱冠28歳のときである.今のわれわれが見ても驚嘆させられるのは,その機能をも類推させる精緻,しかもダイナミックな人体の解剖図である(図2).

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