Glaucoma Archives
緑内障疫学調査結果の検証と問題点
Frontiers in Glaucoma No.41, 64-70, 2011
はじめに
近年,緑内障をめぐる国際的認識は大きく変貌し,これまでの眼圧を中心に据えた診断法から一転して眼底所見による緑内障性視神経症(glaucomatous optic neuropathy)の特定が決め手とされた.一方,眼圧は診断基準から除外されるようになったものの,治療上は眼圧を下げることが最も有効な手段であることがあらゆる観点から強調されている.このような結論は近年実施された国内外の緑内障疫学調査結果によるもので,現在,2000年実施の多治見スタディ1)が“日本最初の疫学調査”として日本緑内障学会で認定されている.その主たる内容は正常眼圧緑内障(normal tension glaucoma:NTG)を含めた原発開放隅角緑内障(primary open angle glaucoma:POAG)が全体の3.9%に達し,NTGがそのうち92%を占めるというものである.最近,「臨床眼科」の緑内障特集号のサブタイトルに“グレイゾーンを越えて”と記されているが,緑内障の病態認識にはいまだ理解しがたい部分があることを意味している.特に一般の認識を困難にしているのはこれまでの眼圧中心の概念との整合性に加え,どのような不具合があったのか実態の経緯が一般にはほとんど知らされていないのが現状である.
これまで緑内障に関する知識や研究の方向性はすべて欧米先進国の成果を後追いする形で進められてきた.しかしながら,今回の緑内障概念の唐突ともみえる大きな変更には日本発のエビデンスを無視して語ることはできない.
緑内障研究のあゆみ
筆者は,1970年代から日本を代表する総合健診施設にあって,年間2万人に達する人間ドック受診者を対象として独自の視点から4半世紀にわたって緑内障の早期発見法の確立と疫学的研究を進めてきた.当時では一般健康人を対象としたこのように膨大な眼科的研究は日本はおろか世界でも前例のないことで,特に暦年統計で得られたデータはのべ40万人に達した.しかし,ここで得られた眼圧に関する多くの知見は学会関係者の常識に逆らう形となり,他の研究者のコンセンサスはほとんど得られなかったのが実情であった.筆者にとっての拠り所は膨大な日本人健康集団のありのままの姿をコンピュータ管理のもとで精細な解析ができたことである.眼科領域において眼圧は眼内事象の一つとして取り上げられることが多いが,本来はいくつかの全身要因の影響下で維持されており,これまで国際的にも知られていなかった人種間の眼圧動向の違いや,性,年齢別眼圧の様相が筆者のデータから明らかになった.
日本におけるこれらの新知見の集成は世界で最も権威ある眼科評論誌Survey of Ophthalmologyの1990年号Major ReviewにIntraocular pressure-New perspectivesと題して特集記事で取り上げられた2).日本でのみ実施された眼圧研究成果がMajor Reviewの主題として採用されたのはSurvey史上前例のないことで表紙デザインにまで登用されたのはこの上ない名誉なことであった.特にこの総説論文は高名な米国人学者の強い要望と支援があって実現したものであるが,日本では参考文献としてほとんど引用されていない.しかしながら,これは日本の緑内障疫学調査結果を理解する上で不可欠な背景因子を明らかにしたものである.つねにデータの厳格さや整合性を求める欧米人学者に対しては十分説得力をもつものになった.
上記論文発表と全く同時期の1990年3月にシンガポールにおいてInternational Glaucoma Symposiumが開催され,その主題が「緑内障の疫学」であった.私はEpidemiology of glaucoma in Japanと題して日本全国7地区共同研究の疫学調査結果3)について報告したが,これが国際学会において日本から出された最初の公式疫学発表となった.この席では次演者がSommer主任教授(Johns Hopkins大学)で米国を代表する有名なBaltimore Eye Survey4)の全容について初めて公表される場ともなった.会場には数多くの日本人研究者が出席していたのでご記憶の方も多いと思われるが,Sommer教授は講演に先立ち壇上から日本の発表についての祝意とともに“私がこれから話そうと思ったポイントはすべて日本から報告されたのであらためて言うことはないが”と異例の前置きをされて本論に入られたのが今も強い印象として残っている.実際には日米両国とも視神経を中心とした検診法を採用することにより,NTGの比率が従来の認識よりはるかに高まった点においては共通していたが,特に日本のデータではNTGが異様に突出していた.いずれにしろ,この学会を機に緑内障の概念が国際的にも大きな転換期を迎えたことに疑いの余地はない.
その後,日本人でNTGが異様に高い有病率を示すことに対して米国のZimmermann教授,Schwartz教授らは強い関心を示され,日本人の眼圧が全般的に低いことも考慮して眼圧cut off値を21mmHgではなく低めに設定して緑内障各病型別の頻度変化が見たいと筆者に対して要望が寄せられた.筆者にとっても結果再検証の意味から8,000例を超える全対象のcut off値を段階的に変更した一覧表を作成したが,この試みだけでは日本で突出したNTG有病率の十分な説明にはならなかった.すなわち40歳以降の眼圧動向が日米で逆転することが本態だったからである.
疫学結果に影響する眼圧要因
筆者がこの研究を始めた頃は,日本では緑内障に関する疫学的基盤もなく,わずかに少数の眼圧統計が報告されていたのみであった.眼圧に関するドックの膨大な統計から最初に得られた新知見は日本人の眼圧は40歳以降に加齢とともに規則的に下降する事実であった2).この傾向は男性のほうに顕著に認められ眼圧計の種類を変えても全く同様であった(Schoetz, noncontact tonometer).ところが欧米の数多くの年齢別眼圧統計についてみると,日本人とは逆に40歳以降の眼圧は徐々に上昇することが認められ,これが欧米人学者の常識であることがわかってきた2).本来,人種により固有の眼圧レベルを示すのはよく知られており,欧米では黒人のほうが白人より眼圧が高く40歳以降の眼圧上昇率も顕著であるが日本人のように下降するという報告はなかった.これまで内外を通じて多くの緑内障疫学調査があるが,ほとんどすべての年齢区分が40歳以上であることから,筆者は日本で新しく疫学調査を始めるには国際的見地から眼圧を基準とするのは不適切であると結論し,1974年には緑内障特有の眼底所見読影を軸としてスクリーニング法の開発に着手した.1981年には人間ドック受診者を対象として眼圧,眼底読影法を含めた緑内障検診法を世界で最初に報告し,その方法と結果はShields著“Textbook of Glaucoma”にも詳細に紹介された.
●眼圧と全身諸因子
ここでは1973年データを引用するが眼圧計はSchoetzであった.眼圧と相関係数の高いものは肥満に関する指数,血圧,血液成分などが正相関で,年齢は負相関であった2).房水動態の面からみて図1に示すメカニズムが想定される.
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※記事の内容は雑誌掲載時のものです。