Summary  東北大学病院は東日本大震災後によって大きな被害を受けたが,幸いにも人的被害がなかったことで,比較的早期から県の内外に対する医療支援を行うことができた。交通手段や通信手段の混乱するなかで,震災当日に被災地に出向いていた医師からの情報をもとに,現地の要望に沿ったかたちでの医療支援を実施できたと考えている。津波の被害が甚大であった沿岸部の病院を中心に医療スタッフの派遣は延べ人数2100名余で,入院患者の受け入れに際しては,送る側の負担を軽減するために手続きを簡略化し,氏名,年齢,病名の情報だけで一括して受け入れる体制にした。また,透析患者を一時的に当院に入院させ北海道へ搬送する中継基地としての役割も果たすことができた。避難所への医療を維持するために新しいエリア・ライン制度を提唱し,長期滞在の医療チームに地区の医療を担ってもらうことで,この半年の医療を維持することができた。全国からの食料・医薬品の供給,医療チームの派遣など物心両面での暖かいご支援のおかげで,東北大学病院は医療の最後の砦としての機能を果たすことができた。