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大震災後のよりよい医療の復旧・復興を目指して

特集によせて

後藤満一

Surgery Frontier Vol.18 No.4, 9-11, 2011

 はじめに,2011年3月11日に発生した東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また,被災された皆様に対し,心よりお見舞いを申し上げるとともに,被災地の1日も早い復旧・復興を祈念いたします。被災地の再生のために,国内の多数の施設から沢山のご支援をいただいております。被災地に居住するひとりとして,この場をお借りして,厚く御礼を申し上げます。本特集は,東日本大震災後の復興を祈念した特別号であり,このような企画をお許しいただいた編集顧問ならびに編集主幹,編集委員の先生方に心より感謝いたします。


 さて,震災当日の午後2時46分,私は福島県立医科大学構内の教授室でコンピュータに向かっていた。大地震の経験はこれが2度目である。前回は16年前の早朝,兵庫県宝塚市の自宅で阪神淡路大震災を経験した。その揺れは,当時の私にとって強烈なものであり,今後どんな地震に遭っても,そう驚くことはないと思っていた。しかし,今回の大地震はそんな私の想像を遙かに超えた。揺れの大きさや方向,そして持続時間が,前回とは全く異なっていた。阪神淡路大震災は大きな縦揺れが数十秒続いたと記憶している。しかし,今回の地震はいつ終わるとも知れない横揺れが10分間にもわたり,生きた心地ではなかった。
 前者はマグニチュード7.3,後者は9.0であり,そのエネルギーの差は約1000倍である。並べて比較するには,その規模があまりにも違いすぎることに驚かされる。地震発生時の様子を振り返ると,揺れのおよそ5分後に大津波警報が出され,その10分後の午後3時には6m超級の大津波が,宮城沖に到達すると予測されていた。しかし結果として,2万人を超える尊い命が奪われたのである。亡くなられた人々の多くは水死であり,阪神淡路大震災をはじめとする大規模地震の主な死因となっている,倒壊した建物の下敷きになる圧死者は非常に少なかったという。
 明治三陸津波(1896年),昭和三陸津波(1933年)と,津波被害の経験は,その後の時代の防災対策に活かされてきた。堤防や防波堤が構えられ,海岸地帯の危機管理は十分であると評価されていた。しかし,今回の水害は東北地方の東沿岸全域を覆う,スーパー広域災害となり,医療施設もその多くが水没した。道路,鉄道,電気,電話,都市ガス,上下水道を含むすべてのライフラインが絶たれ,地域医療も機能不全をきたしたのである。
 さらにこの津波は,安全神話に守られてきた原子力発電所の冷却機能をすべて破壊し,福島県を中心とした東北地方にトリプルパンチの複合災害を引き起こすことになった。家屋が水没し流されたり,家屋は無事でも原発事故により避難を命じられたりと,複合災害による避難者は35万人を超える。
 原発事故後の人体への放射線障害のリスクは軽視できない。現在,最も必要なのは正確に現状を把握して先を予測するシステムである。対策として,まず自分たちで周辺の放射線量を経時的に測定することから始め,それをインターネット上で誰もが閲覧できるようにした(図1A,B)。

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