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医療と哲学

第62回「悲しみによって清められる怒り―グリーフケアと日本人(6)―」

島薗進

THE LUNG perspectives Vol.27 No.3, 71-74, 2019

事故や事件によって,多くの方々が亡くなった場合,そこには怒りと悲しみがうずまく.2018年から19年にかけて,高齢者が運転する自動車の暴走によって,多くの子どもらが死亡する事故があいついだ.2014年4月には韓国で修学旅行中の高校2年生生徒325人と引率の教員14人と一般客108人,そして乗務員29人の計476人が乗船していたセウォル号が,全羅南道珍島郡の観梅島付近で沈没した.この事故は乗員・乗客の死者299人,行方不明者5人,捜索作業員の死者8人という大惨事となった.船長らがいち早く船外に逃げ出したことなどもあり,激しい怒りが渦まいたことは記憶に新しい.
事故や事件による死者と災害による死者は非業の死を遂げたことで,生き残った者の心にひときわ重く残る.だが,事故や事件による死者と災害による死者を比べると,後者の方が数としては多い.2011年の東日本大震災では死者・行方不明者をあわせて18,000人を超える犠牲者が出た.1995年の阪神淡路大震災での犠牲者は6,000人を超える.災害の死者を悼む慰霊祭や慰霊の施設は各地に設けられた.遺族らの,また地域住民のための喪の仕事に資する祈りの場が不可欠と感じられたからだ.
こうした慰霊の場の歴史は,近代以前に遡る.東京の両国にある回向院は,1657年の1月に江戸で起こった「明暦の大火」の犠牲者を慰霊する場として設けられた.この大火では10万人を超えるとされる多数の死者が出た.身元不明の死者が多く,それらを集めて現在,回向院がある土地に集団埋葬した.そして,その集団埋葬地の近くに諸宗山無縁寺回向院が設けられた.現在の回向院のホームページには,その経緯が以下のように要約されている.「当時の将軍家綱は,このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸,当院の現在地に土地を与え,「万人塚」という墳墓を設け,遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました.このとき,お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです」.
回向院は浄土宗に属するが,「諸宗山」との山号があるように,所属宗派を超えてすべての犠牲者と供養をしようとする者に開かれた慰霊追悼の場という性格をもっていた.また,「無縁寺」という寺号があるように,縁ある者が見付からないかもしれないすべての犠牲者に対する慰霊の場であり,また,ここで祈るのは家族を初めとする有縁の者だけでなくすべての人に開かれた「回向」の場なのだ.現在の回向院のホームページには,「この起こりこそが『有縁・無縁に関わらず,人・動物に関わらず,生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの』として現在までも守られてきた当院の理念です」と記されている.こうした開かれた慰霊の場は,平安時代の御霊会にまで遡る.八五三年,京都の神泉苑で行われた御霊会がその最初のものとして記録されている.

※記事の内容は雑誌掲載時のものです。

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