<< 一覧に戻る

第一線で働く医師たちからのオピニオン

高原で暮らす方たちとともに

中川理子

THE LUNG perspectives Vol.19 No.4, 82-86, 2011

高原地・南牧村と医療の特徴
 南牧村は長野県の東南端に位置する南佐久郡内に位置し,山梨県との県境にあります。人口は約3,200人。高齢化率は30%弱で,山間部僻地といわれている地域の中ではそれほど高齢化率は高くないかもしれません。ほとんどの住民が高原野菜を栽培する農業を生業としており,いったんここを離れた若者も代々の土地と仕事があるためか,戻ってきやすいことが原因として考えられます。
 この村は標高1,000~1,500mと高低差のある土地からなっていて,なかでも八ヶ岳の麓の野辺山地区にあるJR小海線野辺山駅は,標高1,345mとJR最高地にある駅として有名です。気候は内陸性のため寒暖差が激しく,夏は30度を超す期間が少なく,涼くて過ごしやすい半面,冬の朝は氷点下20度まで下がることもあります。標高1,200~1,300m地帯には,夏の冷涼な気候を活かしたレタス・白菜をはじめとする高原野菜を主生産とする野菜畑が広がり,また広大な牧草地には乳牛が放牧され酪農業が営まれています。別荘地やさまざまな自治体の合宿所・保養所もあり,夏には各農家が受け入れている海外からの農業研修生や,別荘地やさまざまな自治体の合宿所・保養所へ滞在者が来たりと,一時の賑わいがあります。

高原地・南牧村と医療の特徴(続き)

 村の交通は,JR小海線と千曲川に並走する国道141号線に依っています。国道は野辺山へ向かって南下するにつれて高度が上がっていき,途中に標高差約400mを一気に上がる急カーブの連続する勾配の強い坂があり,この坂によって村は大きく2つに分かれます。村の診療所はこの坂の上下に1つずつあり,南牧村出張診療所(標高1,040m。以下,南牧村診療所),野辺山へき地診療所(標高1,349m。以下,野辺山診療所)と2ヵ所あります。
 この2つの診療所は村立ですが,佐久市にある佐久総合病院(以下,本院)から代々医師が派遣されており,数年ごとの交代ではあるものの継続した医療が提供されています。また,佐久市と南牧村の中ほどにある小海町には佐久総合病院小海分院(以下,小海分院)があり,専門科への受診は本院へ,ちょっとした検査や入院が必要なときは小海分院へ,と医療の分担ができています。他にも佐久総合病院系列以外の病院・開業医が点在しており,また県境の特徴で,山梨県の医療機関への受診もそれほど難しくはありません。患者さんや家族は,村の診療所,小海分院,本院,他の医療機関への受診を自由に選択され,上手に使い分けておられます。村内は山間部特有の峠越えを要する地区もあり,救急搬送には救急車の他にドクターヘリを依頼(受け入れ先は本院)することもあります。
 2つある診療所は,医師1人,看護師3人,医療事務1人の計5人が毎日行き来しています。午前は外来,午後は訪問診療を行っており,2つの診療所を合わせると,外来患者数は毎月のべ500人ほど,訪問診療は毎月のべ80人ほどとなり,特に訪問診療の患者数は年々増加傾向にあります。診療日は,南牧村診療所は月・水・木曜日,野辺山診療所は火・金曜日で,診療所によって診療がある日とない日があるため患者さんも大変です。いつもかかっている診療所での診療がない日に具合が悪くなると,もう一方へ受診されたり,自分で分院や他の医療機関へ受診されたりします。そこは数十年の診療所の歴史の中で,馴染んだ使い分けになっているようです。

「顔」と「流れ」のみえる医療

 佐久総合病院は,開設から半世紀以上にわたって「農民とともに」を理念に掲げ,プライマリ・ヘルス・ケアを包含する農村・地域に密着した医療を展開してきました。佐久総合病院の初期研修医の中で地域医療を志す者は,初期研修終了後も本院・小海分院で研修し,村々の診療所に出向するなどして数年の経験を積み,佐久に残ったり,自分の目指す地域へと移っていきます。
 本院の多くのスタッフ医師はマッチング制度以前の初期研修から在籍していて,診療所勤務の経験がある医師もたくさんおり,佐久周囲の地域・村々の事情をよく知っています。診療所医師も本院・小海分院での勤務を経てから出向するため,病院や各診療科事情を熟知しており,患者さんの相談や紹介をしやすいといえます。診療所での仕事後に本院や小海分院に入院されている患者さんに会いに行ったり,担当医に治療経過を尋ねたり,また退院前面談に同席したりと,診療所以外でも患者さんと関わっていやすい環境にあります。患者さんは診療所から医師がひょっこりと訪ねて行くととても喜んでくれますし,入院中の経過を把握しておくことは退院後の診療に色々と役立ちます。
 佐久総合病院系列以外の病院・開業医との連携も密で,年に数回,連絡会や懇親会などがあり,患者さんを通した紹介状だけではない関係を築けていることも特徴です。そういう意味では,この地域には医療者と患者,医療者間の「顔のみえる医療」関係があるといえます。
 限られた検査機器しかない当診療所は,生活習慣病をはじめとする慢性疾患や軽症の急性疾患(外傷含む)の診療をしています。そんな診療所の大きな役割の1つに,「重症化する前に適切な医療機関への紹介をする」というものがあります。採血でいえば当院では血糖値はすぐに出ますが,その他は検査機関へ依頼しているため結果が出るまでにタイムラグが生じてしまうのです。また悲しい哉,レントゲンやエコー検査機械も古く,詳細な検査となると甚だ怪しい場合もあります。おかしいな?と思ったときには小海分院や本院や他の医療機関への紹介をします。離島のように医療の選択肢が限られているわけではなく,自前で完結しなければいけない環境ではないため,抱え込みすぎないようにすることも大切なことだと考えています。患者さんもよくわかっていて,診療所で対応できない場合は小海分院や本院へ,という流れが認知されています。本院までは車で約1時間の距離であるため,患者さんもこの流れにそれほど大きな抵抗はないようです。また自分で本院系列以外の医療機関先を選択されたりすることもあります。行った先で「外来で大丈夫だったよ,よかったね」となるか,「入院になったけれど,早く受診できた」となるかわかりませんが,どちらにしても今後の患者さんの不利益にはならないよう最大限努めるようにしています。
 診療以外に,「患者さんの話を傾聴する」ことも大きな役割です。病気とは関係のない話になることもしばしばで,畑のことや家・親戚のこと,デイサービスでの出来事,昔話などあちこちに話が飛んでしまうこともあります。楽しいことや嬉しかったこと,切ないことや不安なことなど話の内容はさまざまです。特に身体の不調の訴えは深刻で,年齢を重ねていけばどうしても出てくる不具合が大きな病気ではないか,と心配になりすぎる高齢の方はたくさんいるものです。この場合検査を行っても年齢的な変化以外の大きな異常はなく,不具合とうまく付き合っていく方法を患者さんと一緒に考えていかなければなりません。このような話は,限られた診療時間内では大変なことですし,次の外来で同じ訴えが繰り返されたりすることもありますが,患者さんが話すこと,それを聴くことが,一時でも不調を受け入れたり,不安の軽減になるならば,それはそれで仕方がない,と思っています。
 認知症が進行してきたようだが,どのように対応したらいいのか?など患者さんの家族からの相談もあります。主に周辺症状が活発になることでご家族は困って来るのですが,年齢の要因が大きく,現在種々出ている薬で速やかに軽減した経験は残念ながらありません。もちろん,症状の改善が図れるように色々な薬を処方しつつ,生活環境を整え,種々のサービスを利用して本人と家族の負担を軽減していき,家族が認知症にまつわる症状をしんどいながらも受け入れてくれる時間を作っていくことが重要です。さまざまなサービスの調整にはケアマネージャーの役割も大きいですが,病状説明については何回でも時間をかけて家族と話をしていかなければいけない場合もあります。
 また,他の医療機関で説明されたことについての相談もあります。急性期の病院では短い診察時間で伝えきれなかったことや,患者さんも一時は理解したようでも家に帰ってきてよくわからなくなってしまうことがあります。それらをもう一度わかりやすいように整理して説明する機会を設けるのです。この場合は診療所医師としてある程度の情報がないと話ができませんが,前述したように近隣の医療機関から診療情報提供を受けやすいという利点があります。
 患者さんや医療者にとって,診療所や村の福祉や近隣の医療機関が緩やかに連携している状態は,「流れのみえる医療」ともいえます。

患者さんとより近いところで

 まだ高校生で進学について考えていたとき,医師になろうとしたきっかけになったのが佐久総合病院の故若月俊一 著の『村で病気とたたかう』でした。医学部5年生の夏休みに,本院と今より古い建物だった小海分院で実習し,医師と患者さんとの距離の近さに新鮮な感動を覚えました。
 患者さんと近いところで仕事をしていきたい,とずっと考えていた半面,高度な技術も習得したいなど色々考えた末,卒業後は川崎医科大学の救急部で2年間の初期研修を行いました。大学病院の救急部は超急性期医療ですから,ある程度の段階までもち直すと患者さんを転科させたり,地元の病院に転院させます。今なら入院後の経過を大体把握できるようになりましたし,転院転科の必要性も理解できます。しかし,当時は未熟ゆえに全体を見通すことができず,患者さんとの距離があまりにも遠く感じてしまいました。
 もう少し患者さんと近いところで仕事をしたいと考え,佐久総合病院で後期研修をしました。最初の1年目は胃腸科・総合診療科をローテートしつつ,川上村診療所への出向も週1回ありました。その後2年間は小海分院での研修を中心として,リハビリ科へのローテートもしました。小海分院は今は99床の新しい建物になりましたが,当時は60床にも満たない小さな古い病院で,十分な設備はないものの,患者さんはもちろん,看護師・薬剤師・検査技師・事務職員などスタッフ全員の顔がわかり,融通が利く,昔懐かしい医療の形があったように思います。
 後期研修期間が終了した後は,総合診療科スタッフとして本院ではなく小海での勤務となり,そこで3年を過ごしました。小海分院から1kmほど離れた所には佐久総合病院付属小海診療所があり,最後の1年間はそこの所長として勤め,小海分院に入院されている患者さんへの治療と診療所での外来・訪問診療という,2つの医療機関を行き来する日々でした。
 小海分院の入院は,外来診療だけでは難しいが,さりとて専門科のある本院で診るほどではないような方(ほとんどが高齢者)が多く,内科外科の枠を越えた全科的な対応をしています。また南佐久郡内の在宅患者の入院受け入れ機関でもあり,在宅療養中,入院中,退院後の生活と一連の経過を自分で診ていくことできました。
 佐久に来て7年目から現在勤務している南牧村へ出向となり,南牧村診療所と野辺山診療所で診療することになりました。2つの診療所に受診される方たちの人柄は同じ村内ではありますが,ちょっとずつ違います。昔から代々生活してきた方たちや農地開拓で入植してきた方たちなど,各々がもつ家系の歴史が複雑に混ざり合って深みが増しているのです。南牧村や近隣の村々でそれぞれ異なる気風を,本院・小海分院・診療所といった患者さんとの距離感が違う場所で感じられることは面白い経験です。
 患者さんのカルテを遡ってみると,代々の医師たちの筆跡が残っていて,本院が守ってきたこの地域と村民の医療の歴史に容易に触れることができます。患者さんからも,今は本院にいるけれどこの医者には世話になったとか,あの医者は若いころから知っているなどといった昔話をよく聞きます。診療所医師の交代はありますが,患者さんも医師もお互いがよくわかりあっていることを感じます。出向してくる医師は徐々に若くなってきている傾向にあります。今まで受け継がれてきた「佐久総合病院の医師」であることの信頼がバックにあることで,数年ごとに交代している医師をスムーズに受け入れてくれていることを実感する半面,その責任の重さを感じる毎日です。

記事本文はM-Review会員のみお読みいただけます。

メールアドレス

パスワード

M-Review会員にご登録いただくと、会員限定コンテンツの閲覧やメールマガジンなど様々な情報サービスをご利用いただけます。

新規会員登録

※記事の内容は雑誌掲載時のものです。

一覧に戻る