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循環器疾患研究を支えた人々

細田瑳一(ほそださいち)

笠貫宏

CARDIAC PRACTICE Vol.22 No.2, 82-85, 2011

 細田瑳一先生は,循環器疾患領域における基礎および臨床医学者としての枠を大きく超えた臨床医であり,教育者であり,さらに社会医学者である。かつ各領域における大所高所からの見識の深さは私の理解を遥かに超えている。強いて挙げれば,時代も立場も異なるが,私にとって恩師の一人である故 武見太郎 日本医師会長を彷彿するような医学界の巨星に思われる。

 私が細田先生の教えを受けたのは,先生が30歳代の東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所循環器内科(以下,心研内科)講師時代の1970年代と自治医科大学循環器内科教授から心研内科主任教授に移られてからの時代である。先生の循環器疾患領域を超える医学研究への貢献度の膨大さをご紹介するには,私の能力の限界を痛感するばかりである。

先生の全人的医療の背景

 先生のように医師の枠を遥かに超えた人格形成が如何になされたかは私にとって大きな謎であった。先生の祖父が京都府立医科大学初代学長で,ご尊父が教授であったことは大きな要因であったと思うが,驚くことはその天賦の才に加えて,小,中,高校時代の英才教育である。武道,馬術,能,茶道という日本伝統文化の文武両道に加え,音楽(作曲,指揮)を学び, 漢文,英語,日本史,社会学等所謂liberal artを身に付け,自然科学の基礎科学(数学,物理,化学,生化学)については大学教授の個人指導を受け,その過程で人間として不可欠の考え方(倫理)を醸成された。先生は1950年に京都大学理学部生化学にご入学されたが,ご尊父が生化学者への道ではなく医師になることを強く薦められたため,1952年東京大学医学部医学科にご入学された。その後の大学時代の活動がまた並外れており,陸上競技部,硬式テニス部,合気道部,オーボエ等の部外活動に加え,倫理学,西洋史研究室,社会医学,労働科学,統計学(疫学)という医学という枠を超えた自然科学と社会科学の各領域における超一流の教授の薫陶を受けている。さらに2年間にわたる農村僻地調査(80名の専門領域の異なる他学部学生で結成)の実践を行い,社会医学研究会を主催された。当時は国民皆保険制度導入という激動期にあり,先生は厚生省,労働省,大蔵省,自治省等への運動を含め,わが国の医学・医療の在り方をまさに体験を通して学ばれたと述懐されている。インターン終了後の1957年に東京大学内科学第三講座(冲中重雄先生)に入局された。初め臨床神経学を志されたが,患者との強いコミュニケーションの可能な領域を希望され,冲中先生から循環器学を勧められたと聞くが,冲中先生はまさに弟子の素質を見抜く慧眼の士であった。第三内科の循環器班には村上元孝先生,池田正男先生,新谷博一先生, 廣澤弘七郎先生,石見善一先生,橋場邦武先生,藤井 潤先生,蔵本 築先生, 村田和彦先生,小澤利男先生,とわが国の循環器領域の大家が綺羅星のごとく並ぶ。同内科には神経学,循環器学,消化器学,血液学,放射線医学,老年医学,検査学,医原病,医療倫理,死の臨床,機械開発改良など専門家が居られ,細田先生の現在の医師の基盤が形成された。3年間の一般内科病棟担当医(現在の研修医)の間には,「医師としての医療技能の習得研修」と「医療の精度向上」を第一の目標になされ,何科の技能であれご自分の技能習得のためにできるだけ多くの患者を自分の能力の限り検査・治療し,一般に用いられている技能を習得するためできるだけ多くの診療技能を学び続けられた。機会のある限り日当直を積極的に引き受け,正月や夏休みの連直はもとより,40数日間連続当直されたという逸話もある。また診療能力向上のためには少しでも精度の高い科学的方法の工夫,改善,その方向の研究開発,実践をなされた。担当の患者の病状のニーズに応じた検査法として,血小板粘着能測定法,circulating anticoagulantの測定,中性脂肪測定法の標準化,グルクロン酸抱合解毒能(オルトグルクロナイド)測定,各種色素稀釈検査の精度改善,血漿レニンやアンジオテンシン水解酵素活性測定(薄層クロマト法)の開発・改善に努められた。放射線医学総合研究所病院の創設に参加した時には,放射性同位元素の取り扱いを学び,NaI結晶を用いたシンチレーションカウンターシンチグラム開発,放射性同位元素を用いた心拍出量・冠血流量測定法・循環血液量測定法等の開発考案と改良に携われた。実験研究ではロタメーターや電磁流量計の作製とそれを利用した心拍出量,各動脈血流量の測定と,自律神経刺激による血流調節の研究,実験的高血圧と動脈硬化に関係して,動脈・静脈・心臓・腎臓の組織学,C14コレステロールやH3チミジンを用いたオートラジオグラフィーでの血管代謝の研究,赤血球膜を用いた血中ジギタリス濃度の生物学的測定法開発,日常臨床研究ではご自分で作製されたトロンボプラスチンによるプロトロンビン時間測定や個人輸入したトロンボテスト(Owren)を用いての抗凝血薬療法の評価基準の標準化,ワルファリンに関連した薬物相互作用の検討,トロンボエラストグラムの応用,輸血肝炎に関して供血者登録制の確立等に深く関与された。この間,抗凝血薬使用中の卵巣出血や有機水銀薬による亜急性有機水銀中毒による中枢神経障害等を経験された。これらの経験から,医原病を予防し,被験者の被害を最小にして薬効を科学的に検証する多くの薬剤開発に関与し,硝酸薬やCa拮抗薬の薬物動態と薬物相互作用等を研究し,後に自治医科大学で臨床薬理学教室と臨床薬理学会の創設に尽力された。

わが国におけるCCUのパイオニア

 1964~1967年まで,先生は西独Würzburg大学(E Wolheim教授,H Wernze教授),そして St,Louis市Washington大学老年病学(JE Kirk教授)に留学され,高血圧や加齢による血管壁の代謝(レニン-アンジオテンシン系)について研究された。その大学病院にはCCUが開設され,ラジオアイソトープを用いた循環血流量測定や高血圧に関連したホルモンの研究と共にCCUの基本を体験し,また米国留学中に南アフリカ共和国のバーナード教授の心臓移植やインフォームド・コンセントの有名な判決があり,それに対する識者の考え方を学ばれ,客観的かつ科学的な臨床そしてチーム医療の実践と同時に,患者の利益を考え納得できる医療を行う倫理の基本について常々考えるようになられた。西独に留学中,先生は故 榊原 什教授にお会いし,心研での公開実験創設の構想をお聞きになったという。そして帰国後,故 榊原先生から心研での基礎研究を勧められ,心研内科に移られた。しかし基礎研究に止まらず,外来診療から臨床現場の業務が次第に増加し,榊原先生の下,三浦 勇先生を中心にわが国で初めて創設されたCCUで,5年間の診察と研究に励まれた。換言すれば,わが国におけるCCUでの冠動脈研究の真の先駆者の一人である。特にVarient Anginaにおける冠動脈スパズムの薬物による誘発,早朝のスパズム誘発による副交感神経の関与等の病態解明はすべて先生の発想と指導によるものである。その後,Prinzmetalが最初に認めた異型狭心症の発生機序と病態解明はわが国で急速に進歩した。薬剤開発,心臓カテーテルの技術を中心とする血行動態と電気生理,また非侵襲的検査の開発,そして学生と専門医の教育に関与する上で常に行動の規範を示された。臨床研究病棟としてのCCUで,冠動脈造影,電気生理,各種モニター,リサーチレコーダーを用いた長時間多チャンネルの血行動態・不整脈・脳波・呼吸の記録と各種負荷試験,循環内分泌学,日差・日内変動とその破綻の研究,薬効評価,循環器救急とMobile CCU,心肺蘇生法,除細動と各種ぺ一シング等の研究開発から救急冠動脈造影,カテーテル治療の開発にそれぞれ指導的役割を果たされた。さらにはホルター心電図,His束心電図,自律神経評価,血液凝固線溶評価,エコー造影法,X線造影像の自動解析等々の研究開発を行い,さらにコンピュータの利用,マークシートを用いた病歴記録から病院情報システムの開発を進められた。

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