循環器疾患研究を支えた人々
荒川規矩男(あらかわきくお)
―高血圧・循環器研究のペースメーカー―
CARDIAC PRACTICE Vol.22 No.1, 87-89, 2011
荒川規矩男先生は1929年(昭和4年)に鹿児島県末吉町で生誕した。第七高等学校(旧制)から九州大学医学部へ進学後,勧誘されるまま外科へ入局した。ところが入局後すぐに急性糸球体腎炎に罹患し,九州大学第三内科入院となった。3ヵ月間の入院の後,外科から内科転向の意を固めたが,その前に病後の体力でもマイペースでやれそうな基礎(医化学)の大学院に入った。そこで博士論文を終了し,体力も回復した後に,晴れて第三内科へ入局した。しかし直ぐ半年後には,その頃アンジオテンシンの研究拠点になっていた米国Cleveland ClinicのPage博士の元へ自らの意志で留学した。約3年後に帰国して,2年余りの八幡製鉄所病院出張中に,今度は九州大学に新設された循環器内科助教授に赴任した。そこでヒトアンジオテンシン抽出などの輝かしい業績をあげて,9年後には福岡大学に新たに付設された医学部の内科学教授として1973年(昭和48年,43歳)に就任した。27年間在職して2000年3月に定年(70歳)退職し,現在は日本高血圧協会理事長としてご活躍中である。
荒川先生は多くのすばらしい業績を残された,いや,いまも残されつつあり,私たちにとっては今でも手の届かない雲上人である。このような文章を私が書かせていただくのは単に僭越である上に,多くの先輩諸氏のおられる中おこがましいが,本誌より依頼を受けたので,荒川先生の指導を受けた者を代表して書かせていただく。
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※記事の内容は雑誌掲載時のものです。