─まずは先生の小~中学校の頃のお話からお伺いします.
「私は兵庫県の田舎の出身です.今は加西市になっていますが,当時は幼稚園も保育園もない山村です.西在田村立小学校といって,1クラス44人で1学年2組しかなく,同級生88人の小さな小学校でした.エジソンやダヴィンチの伝記を読んでは『世の中には偉い人がいるなあ』と感心していましたが,宿題をこなした後は家の近くの友達と遊んでばかりいました.中学校も村立の西在田中学校に行きましたが,その後3つの村がまとまって町になったので,卒業は泉町立中学校の西在田分校です」
「結構モノをつくるのが好きだったので,将来は設計士になりたいと思ったことがありました.勉強の成績はよかったのですが,88人しかいない田舎のことですから.高校を選ぶときに,兄には『田舎にいると井の中の蛙になる』と言われ,親父には『灘高に合格したら行ってもよいが,落ちたら地元の県立北条高校へ行きなさい』と言われて,灘高を受験しました.しかしいざ試験会場に行ったら,都会の子が賢そうに見えて圧倒されてしまい,結局僕は落ちて北条高校へ行きました.当時は決して学者になりたいとか研究をしたいとか,そういう思いはなかったです.ガリ勉なんてしないで,遊ぶときはすべて自分で考えたりモノをつくったりして非常に素朴に育ちました.そういうところは田舎育ちでよかったと思っています」