「戦後間もない東京郊外の新興住宅地で育つ.理系科目から消去法で決めた医学部志望」
―先生はどのような幼少期をお過ごしになられたのでしょうか?
「私は昭和21年の生まれです.東京郊外の世田谷区の一般的な新興住宅地で,ごく普通の少年時代を送りました.戦争の影響もまだ残っていて,焼夷弾で家が焼けた跡の原っぱで米軍の子供たちと野球をやったりしました」
「そんな環境ですから,将来の夢とか希望というようなことを真剣に考えてはいなかったように思います.ただ,周囲には,子供を慶應や麻布に行かせようと中学受験用の勉強に早くから取り組む家庭があったのも事実です.うちも両親が教育には熱心で,小学校から進学塾に行っていましたが,中学校は地元の区立に行きました」
―先生はどのような幼少期をお過ごしになられたのでしょうか?
「私は昭和21年の生まれです.東京郊外の世田谷区の一般的な新興住宅地で,ごく普通の少年時代を送りました.戦争の影響もまだ残っていて,焼夷弾で家が焼けた跡の原っぱで米軍の子供たちと野球をやったりしました」
「そんな環境ですから,将来の夢とか希望というようなことを真剣に考えてはいなかったように思います.ただ,周囲には,子供を慶應や麻布に行かせようと中学受験用の勉強に早くから取り組む家庭があったのも事実です.うちも両親が教育には熱心で,小学校から進学塾に行っていましたが,中学校は地元の区立に行きました」