約30年前の精神医学の教科書における典型的なうつ病は,診断も治療もそれほど迷う病気ではなかった。奏効すると考えられる一定の治療があったわけではないとしても,対象となる疾患の概念も主要な治療も,精神科医間で,あるいは社会的な理解を含めても,それほどの食い違いはなかったように思う。それは「社会機能にあまり問題のない人に起こり,ゆううつ感を主として,趣味などへの関心をなくし,食欲低下,体重減少,不眠などを伴う。対応としては休養を勧め,重大な決断をしないようにアドバイスし,抗うつ薬もある程度効くことが多い」と理解されていた。
近年,うつ病と捉えられる範囲が広まった。新型うつ病などという新しい用語まで登場し,性格や環境,職域などとも深く関係するものとして取り上げられるようになった。また「うつ病が増えたから抗うつ薬の売り上げが伸びた」のではなく,「抗うつ薬の売り上げを伸ばすためにうつ病患者が増えるように診断基準が変えられた」などという声も聞く。Disease mongering(疾患喧伝)という言葉もうつ病の今日的意義を考えるうえでは不可欠であるし,どこまで医療化(medicalization)すべきかも新たな課題である。