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発達障害の診断と治療・支援をめぐって

発達障害のある成人の診断と支援;その意義と問題点

Diagnosis and support for adults with developmental disorders.

田中康雄

Pharma Medica Vol.30 No.4, 45-48, 2012

はじめに
 現在の精神科臨床において,発達障害のある成人への医療対応は,その需要の高さと診断の困難さから,今後,慎重に丁寧に拓いていく必要があると実感している。
 それは,依頼された表題がすでに,診断(評価)と支援(治療)には一定の意義をもたせながら,問題点もあることを前提にしている点からも自明である。
 筆者自身も発達障害のある成人を前にその意義と課題を抱えて,四苦八苦している。その現在進行型の苦悩を共有していただくことを,とりあえずの本論の目的にしたい。

KEY WORDS
●発達障害 ●成人期 ●診断 ●治療

Ⅰ.発達障害のある子どもと診断

 従来の発達障害は,幼少時期,あるいは学齢期にある子どもたちの育ちを心配した養育者や周囲の関係者からの求めにより,診察が始まる。子どもたち自らが希望して受診する例としては,育ちの面よりも,いじめや学力不振,人間関係の衝突や誤解といった生活面の生きづらさに苦しんでの相談に限る。当事者は,自分の育ちの過程,発達の程度を不審がることはない。
 その意味で,子どもの発達障害は,当事者が直接困っている事態ではなく,その事態が何によって形成されたかを周囲が知ることで,間接的に,困っている事態を改善できうることを目的として診断される。そして,その理解に立って,本人にとって益あるさまざまな手段を構築実践していく。それが支援となる。
 そうした支援を年齢や状況に応じて変遷して受け続けてきた発達障害のある人については,どのように自分自身を理解し,診断との折り合いをつけた生活を構築していくかが課題であるが,それは丁寧な継続性,途切れない支援のなかで,可能であろう。
 ここでの診断は,その子の生活を側面的に継続的に支援するために役立つことに意義がある。診断名があることで,その子の言動を一定程度ぶれることなく理解することができる。少なくとも,一生懸命頑張っている子どもたちを非難したり,叱責したりして追い詰めることからは遠のくことができる。事実を知ることで,当然の関わりが生まれる,それが,子どもにある発達障害への支援の在り方の理想である。
 これが診断の意義とすると,発達障害のある子どもにおける診断と支援の問題点とは,当初,自分が強く求めたものではないところから始まっている点である。
 受診も治療的関与も,主に養育者が求めて始まる。己にある課題を明確にされる前に,ある支援を受け続けることを彼らは体験する。その時に生まれる,どうして僕だけがこういった支援を受けるのかという思いが,曖昧から聞いてはいけないような事柄,あるいはタブーにならないように,その子どもにわかる言葉で,子どもの状態を伝え,支援の必要性を,本人の自尊心が傷つかないように配慮して説明することがどれほど十分に丁寧になされているか,自戒をこめて大きな課題としておきたい。次にあるのは,自分自身を形成している特性の1つである発達障害と,いつ頃直面するか,という課題である。これらについては多くの議論を必要とするだろうが,筆者は,大きな課題,あるいは傷つき体験にもなり得ることであるため,その子との関係性を最大重視して,ゆらぎながら行うべき医療行為であるとだけ述べておきたい。
 問題は,子ども時代に,大きな壁にぶつかるようなことがなかったかのように思われて生活してきた人が,成人になり,自らあるいは周囲が発達障害を疑うことで,受診する場合である。

Ⅱ.発達障害が疑われる成人の診断と支援

 成人に至り,はじめて発達障害を疑った場合でも,われわれの診断面接は,基本は精神科診断学に依拠する。
 そもそも診断とは,当事者の求めに応じて行う医師の行為から始まる。当事者の言葉に耳を傾け,今語られている事柄は,どのような背景で,どのような契機で,誰によって,どう評価され,それを当事者はどのように感じているのかを聞き取る。そこにはさまざまな心の動きがあるが,その人の訴えを中心にして周囲の事情を確認し,何度も刷新していく。

事例(これまでの筆者の複数の事例を複合して創作している)

 筆者の外来に31歳の男性Aが相談に訪れた。
 両手をせわしくなく動かし,額の汗を何度もぬぐうといった強い緊張がうかがえた。本人は「僕は,ADHD(attention deficit/hyperactivity disorder:注意欠如・多動性障害)ではないかと思うんです」と躓きながら語り始めた。どうしてそのように思ったのか尋ねてみると「大学を卒業後,大手商社に入社しました。しばらく事務仕事をしており,そのときはただ要領が悪いぐらいにしかいわれていませんでしたが,30歳になり,外商を担当するようになったとたんに,何をどうしてよいかわからなくなりました」とAはうな垂れた。「最初はうつ病かと思って心療内科を受診しました。でも薬を飲んでも逆に体が変に疲れやすくなって,ぼーっとしてしまうだけでした。仕事はうつ病の診断書で休めているのですが,きっと別の病気じゃないかと思って,調べていろいろと本を読んでみたら,集中力が劣っていて,注意が散漫になるADHDに該当するように思いました」何度も額の汗をぬぐいながら,一生懸命にAは語り続ける。
 周囲はどういっているのかと問うと「大学まで出て,その程度かと思われているようですが,確かめたことはないです。上司に相談しても,だんだん慣れるからとしかいってくれません」という。家族について聞くと「実家の親には,心配かけられません」ときつい表情で返答される。
 ここまでではっきりしたのは,Aは終始非常に緊張しており,今の仕事の中身,特に日々に求められる急な対応に難しさを感じていた。具体的にはセールスに訪問した先で,どう言葉を出せばよいか,まったくわからない,それでどうしてもマニュアル通りの対応をすると,即座に断られてしまうという。Aは,購買意欲が不明な顧客にどう対応してよいか,「まったく言葉が浮かんできません」と困惑している。
 そこでこれまでの育ちを確かめてみた。先ほどの口調からは家族に状況を尋ねるのは,難しいとも判断した。
 子ども時代のことを尋ねると,小学校時代から遺跡が好きで1人でよく遺跡巡りや関連する本を読んでいたと,急に楽しそうな表情をみせた。しかし,競争の激しい高校に入学してからは,特に休み時間が「まるで無法地帯のようで恐ろしかった」と述懐し震えてみせる。大学は,一転して自分のペースでやれたので,結構自由だったというが,結局友人関係などはほとんど過去の話に登場してこない。その点を尋ねると,「1人が結構好きなんです」といい,瞬時に「人の考えていることって,よくわからないので,声かけするタイミングとか,いつもどうしたらよいかと思っていました」と述べ,だから人と会うときは非常に緊張するという。
 あなたの元々の性分からすると,地道に1人で仕事をこなすほうが向いているのに,もっとも向いていない外商,セールスになったことで,大変な苦労をしているのではないでしょうか,と筆者が話すと「でもこれまでの人は,それなりにこなしてきたので,僕は,どこかが変なのではないか,ADHDのために対応がちゃんとできないのではないかと思うんです」と答えた。
 そこで, Aに何か仕事面で躓きやすい得手不得手があるかも知れず,そのための心理検査を行うことを説明し,承諾を得た。知的,認知面の傾向を知るために行ったWAIS-Ⅲでは,言語性IQ120,動作性IQ123,全検査IQ124で知的な面では高い機能をもっていることが明らかになった。同時に下位項目でのばらつきが確認できた。理解,積み木,行列推理で高値を示すが,数唱,絵画完成,組み合わせでは低値を示し,課題解決が場当たり的で,一度躓くと立て直しできにくい傾向があり,見通しの有無で能力の発揮度が決まると判断された。これがAの得手不得手として理解できるだろうと説明した。
 大切なことは,その得手を活かし,不得手を回避した仕事選びであろうと結論し,職場環境の整理を行った。幸いなことに,事前に提出されたうつ病の診断書が功を奏し,2年間の社史編纂室勤務となり,そこで筆者と相談して作成した,詳細な時間割に沿っての業務遂行を図った。当初筆者が提案した時間割をどんどんと詳細にしていくことで,「これで次の仕事への切り替えがうまくいきます」と驚くほどの緻密さで生活を立て直していった。2年目には,休日に遺跡巡りができるようになり,偶然にもふらりと立ち寄った居酒屋で同じ趣味の友人を得た。現在は職場を移り,事務的仕事に戻っているが,自分の身の丈に沿った仕事を上司に直訴しては,よいペースで仕事を継続している。
 医療的支援は,詳細な時間割に沿っての業務遂行が軌道に乗った段階で遠のき,すでに終結した。

Aの診断は広汎性発達障害とすべきか,広汎性発達障害の傾向を強くもった人が,一過性の職場不適応に直面し,広汎性発達障害の傾向が強くあるがゆえに,自力で対処することに困難を抱えていたと考えるべきだろうか。
 少なくとも,Aの性分に見合った生活再建の助言が,驚くほど合致し生活を広げることができたことは確かであり,その自信から,次の職場適応に対しては,無理をせず,自分の身の丈に沿った主張ができるようになった。
 筆者は,相談のなかで,広汎性発達障害の特性を念頭に入れながら,支援策を構築していったことも事実である。
 なによりも,その間,非常な交通費を掛けてでも,筆者との相談に力点を置いてくれたAの思いに応えようとした筆者の思いは少なくない。
 本来,診断とは,患者の個別的な語りのなかの出来事から,共有可能な障害概念に重ね判断したものである。
 しかし,同時に支援が作動するためには,分類名への型はめではなく,何度も刷新して聞き続ける態度のなかで,どのような障害名がつくのだろうかという思いから,どうしてこの人はうまくいかないのだろうという疑問へと関心を移動し,その人の心へ重なり合おうとする必要がある。それを治療的関係性と呼ぶ。正しい診断は,診断体系を正しく使えるという技術以上に,この丁寧な寄り添い,侵襲性を極力控えた近づきからの関係性の樹立である。
 筆者は,Aに「医学的には広汎性発達障害と診断してもよいかと思われるが,同時にここまでなんとかしのいで生きていた力を僕は評価したいと思います」とこれまでの人生を尊重したかった。そのうえで「今の課題は,仕事への対処方法,あるいは内容への不向きといった問題をクリアすることで乗り切れるように思います」と伝え,広汎性発達障害という律儀な特性を活用して,詳細な時間割に沿った業務遂行なら,充実感をもって行えると思った。

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