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文学にみる病いと老い

第67回 「乳房」伊集院静

長井苑子泉孝英

Pharma Medica Vol.30 No.2, 162-166, 2012

 愛しい妻*1は癌に冒されていた。その現実から逃れるように夜の街へ出た「私」が,病室に戻って妻と眺めた月は…。何気ない会話の中に潜む情愛(平成3年,第12回吉川英治文学新人賞を受賞)。
(文春文庫版,カバー裏表紙より引用)

 病気が日常生活に不意に進入してきたときに,われわれはどのように生き続けるのであろうか。多くの文学やエッセーから,個別の情報を集めることができる。また,臨床の毎日では,それぞれの病気と人間模様を見ざるをえないし,知ることができるし,また考えさせられることも多い。
 私が研修医*2の頃,妻が肺がんになって放射線治療*3をしている場合,治療の場の女性の放射線技師*4さんが静かに話してくれた。「奥さんがこうなると,かなりの頻度で,ご主人が逃げ出すことをみていますよ」。今から30年くらい前のコメントであった。医者としての経験からは,妻が難病であることを告げたときに,夫が,「生命保険に入れますか」と妻のいる前でさらりと私に質問されてギョッとなったことがある。一方では,妻の不自由な身体を常に支え,家事をこなし,付き添い,最後まで献身的に看病した夫もいる。私に,「先生,来世*5では,僕は人間にはなりたくないですよ」と,少し考えさせられる言葉を発せられたこともある。最近では,自宅で癌死していく妻を家族とともに見送った夫が,歌人同士である2人の心境を赤裸々に歌に書き残しているという状況もある*6。それでも,妻亡きあとの日々の歌には,死にゆく妻のさみしさをわかっていなかった,わかろうともしなかったとの想いが書かれている。
 ここで紹介する短編では,妻が癌と告げられて以後の長い入院生活が綴られている。男には女性遍歴*7もあるが,「病気をもった女」,「妻」という存在に対する経験にとまどう男の心が描かれている。
 
 下川憲一と里子夫婦は,11歳年齢の違う夫婦である。里子が短大をやめて,舞台照明の仕事の助手として,舞台演出をしている憲一の前に現れたときはまだ10代であった。憲一は,結婚していながら,別の女性と生活しているという状況であった。里子は,はじめて憲一の仕事の助手としてきて一ヵ月経過したときに,女性と住んでいるアパートにまで,仕事のことでやってきて,そのまま明け方まで飲み,渋谷の連れ込みホテルで,憲一に抱かれたという一途な女性である。
 里子は,男の予想に反して,適当に離れていくどころか,7年もの間に,少女から女性へと変貌していった。『私が40歳になろうとするころには男の身体になじむ大人の女性になっていた』。やがて入籍して鎌倉にアパートを借りて一緒に生活をはじめた。
 7年間の間に4回,憲一との間にできた子供を堕胎*8していたために,医者から,もう子供はできないといわれていた。『私はそれでいいの。子供ができてパパがその子に夢中になると怖いから』という里子であった。雑記帳に,『憲一は私のキリストであるのだ』とまで書いている。
 女性を知り尽くしているはずの男と,一途な女の組み合わせの生活の中で,4回中絶をするという経緯は,尋常ではないように思えるが,家庭をつくるよりは,男と女でありつづけたいという男女の行方の不安定さに,病気というものが具体的にも,象徴的にも登場してきたという物語である。

 入籍して2年目の秋に身体の不調を訴え,病院にいくと,すぐに,夫である憲一が主治医から呼び出され,癌であり,予後が大変きびしいことを告げられた。入院は半年におよび,化学療法*9は2回行われたが,結果は芳しくなかった。3回目の化学療法がはじまろうとしていたころから,この短編ははじまる。

 栗崎三郎という15年来のつきあいのある,舞台監督*10をしていた友人が,長引く入院生活のなかで,ときに寡黙*11になりがちな夫婦のところに訪ねてくれて,おもしろおかしく話をしてくれる時間を持つことができた。当初,憲一は,妙に第六感がはたらくところのある妻に,他人をいれて,病気を勘づかれることを恐れて,一切の見舞い客を断っていた。しかし,三郎の屈託ない*12性格なら,『少し湿りがちになっているわたしたちの病室を明るくしてくれそうに思った』からだった。
 妻に少しでも食事を食べさせようと,病院の前にある蕎麦屋*13まで,どんぶりをもって蕎麦をもらいにいく憲一は,化学療法をきちんと無事にうけられるようにと,『入院したときから叱ることが半分わたしの役目のようなところがあった』。
 妻は,三郎に、夫の気分転換*14にと,外へ連れて行ってほしいと頼んだ。ひさしぶりに,憲一は友人と外出をすることとなった。憲一と三郎は20代で出会って,三郎のもつ嗅覚に従い,あちこちの遊郭*15めいたところに出かけた思い出のある二人である。二人とも20歳で結婚し,離婚し,やがて三郎は再婚して,憲一も里子と出会い,4名で一緒に旅行をしたりしていた。しかし,三郎は,また,一年前に離婚している。気のあったふたりであったが,妻の里子の病気については,憲一は妻に知らせたくない一心で,三郎の言動を細心に気遣っていた。
 居酒屋*16にはいった二人は,酒をのみながら,話をはじめたが,三郎は,『「憲さんさ,少し善人すぎるんじゃないか」』と切り出してきた。『三郎の言っているのはわたしが仕事をやめて,里子につきっきりになっていることだろうとぼんやりとわかった』。『「善人すぎるとまずいかな」私も手の中のグラスの氷を見つめて言った。「やっぱりまずいよ」……「急に善人なんかになっちゃうと,上手くいくものも上手くいかなくなるんでないの」』。
 半年前の告知のときに医師からいわれた癌という病名,さらには,治癒率の数字が30%などという数値になると言われても,『生還することと,死ぬことしかなかった』と憲一は感じていた。
 深夜までふたりで飲んで,三郎から遊んでいくかと誘われても断ってしまう。『「私(憲一)は,自分ひとりがたしかに変わった役目を演じているような錯覚をおぼえた。それでも里子の大きな目が浮かんで,運転手に病院の名前を告げていた」』。
 
 三度目の化学療法は,体力の回復を待ってから行われたが,激しい嘔吐を伴い,つらいものであった。しかし,妻はよく耐えて治療を終えたのである。
 治療経過も良好で,病室であれこれビデオを見たりする時間ももてた。「ローマの休日*17」のキスシーンを見たりしている中で,里子は,『「ねえ,パパ」「何だ」「どうしてるの,身体の方は?」……「私が抱っこしてあげられないから…」妻は小さな声で答えた。……「大丈夫だよ,適当にやってるから」私は笑っていった。「ごめんね」「退院したら半年分つとめてもらうさ」「うん,ちゃんとするよ」「ちゃんとか」「うん」妻はこくりとうなづいた。その目が真剣で,私には切なかった。……でもね,我慢できなかったら、遊んできていいんだよ』。
 このような会話のあとで,『妻は,パジャマのボタンを外して,自分の乳房を出して眺めていた。……「ちいちゃくなったな」』憲一がパジャマのボタンをかけてやるために,そばによると,妻は,夫の胸元に犬がするように鼻をよせて,『「パパのにおいがする」』というのであった。……『「ちゃんとあるんだよ。パパのにおいはずっと知っているもの」』。定食屋の隅のテーブルで,妻の性欲,自分の性欲を考えながら,二人のセックスの状況をおもいおこしながら,憲一は,自分ひとりが興奮していた。

 化学療法3回目の良好な経過にかげりが見えてきた時期は,熱帯夜*18の季節となっていた。体温を計測に病室にきていた看護師のうなじからの甘い香水の香りや弾力のある肩先などに,あとずさりする憲一だった。しかし,この看護師が待合のソファで横になっていた憲一の耳に,待合の公衆電話で恋人の医師と,セックスでもしているかのような応答を電話でしているのを聞くともなく聞いていた。『私は先刻見た彼女の白衣の下に隠れている肉体を想像した。生々しい肢体があらわれて,私は息苦しくなった』。

 憲一は三郎に連絡して,六本木のビルの7階にあるバーで落ち合った。三郎の仕事の愚痴などを酒の肴にして,やがて,彼女のいない三郎に誘われて,女性のいる店にいく。深夜2時まで女性たちと飲み交わして,店をでて,三郎の誘いで,女と遊ぶことを決意する。ホテル街に入り,窓を閉め切ったホテル独特の畳のにおいの中で,女を待っていた。『ふいにドアが開いて里子があらわれるような気がした。……パパ遊びにきたの。そういわれると,たぶん私は黙ってうなずけばいいのだと思った。私はそういう人間なのだ。道徳心もなければ,信じるものもないのだ。以前もそしてこれからも,こうやって生きていくのだ』。
 白いブラウスに黒いスカートの女性があらわれて,先に一万円を支払い,機械的に裸になって憲一がぬぐのを待っていた。『私は女の乳房をさわった。やわらかい大きな乳房だった。女が急に声を出した。のどになにか引っかかったような声だった。私は女の上に乗っかると,乳房をつかみ,肩の肉を掴んだ。色の黒い女だったが,それが女のたくましさを感じさせた。この女は健康なのだと思った。どんな男をも受け入れる健康な肉体が,私が掴むたびに号令のようにあえぎ声をあげていた。病巣を拒絶する強い肉体を女はもっているのだ。それだけで,この女はゆるぎのない自由を持ち合わせている。私は里子があわれに思えた。悪い籤を引かされた妻とこんな自分が情けなかった。肉体の形などどうでもいいのだ。トランプの総とっかえのように,里子の肉体とこの女の肉体をかえることはできないのか』。

 遅い帰りを病室で窓を開け放って待っていた里子は,髪にリボンをして新しいパジャマを着ていた。『「おしゃれをしているんだね」,「暇だったから」ちいさく笑った顔を見た瞬間に,私は妻を抱き上げてこのまま誰もいない場所に連れて行き,草原の中を駆けてやり,岸辺にたたずんで水遊びも,大声で歌うことも……すべての自由を,当たり前にできていたことをかなえさせてやりたい衝動にかられた』。
 汗を拭いてやるために,ナースセンターに蒸しタオルをもらいに行き,『タオルを受け取り洗面所で水道の蛇口をひねると,ふいに涙があふれてきた。タライをもった手が震えだし,奥歯を噛みしめても身体が震えた。自分に対する憤りと,見えない何者かへのどうしようもない怒りがこみあげて,拳を握り続けた。水音だけが洗面所に響いた』。
 病室にもどって妻の身体を拭いて,背後からパジャマを着させると,『妻は私の手を両手で掴んで,その手を自分の乳房にあてた。細い指が私の手を乳房に押し付けるようにした。掌の中に,妻の確かな重味があった。里子は静かに私の手に頬ずりをしながら,顔を少し斜めにして窓の外を見上げていった。「なんか,ロマンチックだね」私は妻の髪に頬を寄せた。赤いギンガムチェックのリボンから,木綿のにおいがした』。

 この物語では,男は仕事まで放棄して,妻に本当の病名を知られたくないために,必死の守りをしているさまは,確かに,けなげというよりも危なっかしいのかもしれない。結末が妻を失うというシナリオであることは,その結末がどれくらいの時間でやってくるかという違いだけで,避けがたいものであろう。このような場合に,閉鎖的な空間の中にどっぷりと浸かりこんで,2人の時間を第一に考えていくのは,「風立ちぬ*19」の結核療養所の世界とも変わらないかもしれない。「風立ちぬ」の世界では,男はずいぶんと観念的で女は弱々しく,小説のなかでは性のにおいがきわめて少なかった。
 この短編では,「ちいさくなっちゃったね」と自らいう妻の乳房,商売女の健康な乳房,夫の手を誘導して押し当てさせた妻の乳房と3回,乳房が描かれている。ここに病気と健康がまた重ねて描かれている。「乳房」には,性,そのものだけでなく,女性という存在を象徴的に示唆し得る特性があることは確かである。
 このあたりに,この作家の面目躍如たるものがあろうかと感じられた。

『……』は本文中より引用。
文=長井苑子・注記=泉 孝英

注記

*1 妻(つま):配偶者のある女,内縁関係も含む,元来は,男女にかかわらず配偶者を指した。
*2 研修医(けんしゅうい):法律上「研修医」の用語はない。医師法・歯科医師法においては,医科で2年以上,歯科で1年以上の臨床研修を受けねばならないと規定されている。以前は努力義務とされていたが,医科では平成16年,歯科では18年より義務化された。臨床研修病院では,病院独自の体制として,研修を前期(1~2年),後期(3~5年)と区分していることが多い。通常,研修医とは前期研修医を指すことが多い。
*3 放射線治療(ほうしゃせんちりょう):電離放射線(放射線:被照射物の電子を電離する能力を持つ粒子線もしくは電磁波)を人体に投与する治療法。癌が対象の大部分を占め,単独で治癒が得られる根治的照射,顕微鏡レベルでの腫瘍細胞の死滅を目指した術後照射,癌増大による痛みの除去などを目的とした対症的照射などがある。
*4 放射線技師(ほうしゃせんぎし):正確には「診療放射線技師」,診療放射線技師法(昭和26年6月公布の診療エックス線技師法に由来するが,58年12月,この名称に変更)では,「厚生労働大臣の免許を受けて,医師又は歯科医師の指示の下に,放射線を人体に対して照射を行うことを業とする者をいう」と規定されている。
*5 来世(らいせ):三生(前世,現世,来世)の一つ。死後の世界。未来の世。
*6 永田和宏(ながた・かずひろ,1947年5月~),河野裕子(かわの・ゆうこ,1946年7月~2010年8月):短歌結社「塔」の主宰者,選者。河野裕子,永田和宏,その家族(著)「家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日」(産経新聞出版,2011)を参照。
*7 女性遍歴(じょせいへんれき):さまざまの女性との交際(いろつきあい)の経緯。
*8 堕胎(だたい):胎児を人工的に流産させること。
*9 化学療法(かがくりょうほう):抗癌薬を用いた癌治療,抗菌薬による感染症治療をいう。
*10 舞台監督(ぶたいかんとく):舞台で行われるコンサート,イベント,演劇などで演出家の意図を理解して具現化するスタッフの調整・指揮・進行管理をする責任者。映画監督は演出家であることとは同じ監督といっても異なる役割である。
*11 寡黙(かもく):言葉数がすくないこと。
*12 屈託ない(くったくない):あることが気になってくよくよすることのないこと。
*13 蕎麦屋(そばや):蕎麦屋は現在では,主として蕎麦を提供する飲食店であるが,戦前の蕎麦屋は蕎麦を食べる以外のさまざまな用途があった。一階は蕎麦の飲食店,二階は小座敷になっており込み入った相談,男女の逢引き,小会合に用いられることが多かった。
*14 気分転換(きぶんてんかん):不快な気分を明るく楽しい気分に変えることを目的にした行為。具体的には,別のことに意識を向けるようにして,一時的に対象のストレスへ意識が行かないようにして,心に余裕を作ることで,ストレス学説のハンス・セリエ博士(1907~1982)が,ストレス解消策として重視していた方法である。
*15 遊郭(ゆうかく):女郎屋が集まっているところ。
*16 居酒屋(いざかや):店頭で,安く酒を飲むことをさせる酒屋。簡単な酒の肴も用意されている。
*17 ローマの休日(・・・のきゅうじつ):ウィリアム・ワイラー監督が1953年制作した「王女と新聞記者の恋愛を描いたコメディー」。初出演のオードリー・ヘプバーンは,この映画でアカデミー主演女優賞を得た。
*18 熱帯夜(ねったいや):その日の最低気温が25゚C以上の夜。非常に寝苦しく,夏の暑さの指標として用いられる。
*19 風立ちぬ(かぜたちぬ):堀辰雄(1904~1953)によって1936年に発表された作品。結核薬のない時代,堀自身と婚約者矢野綾子との療養体験を背景とした自伝的小説(長井苑子:続 生きつづけるということ 文学にみる病いと老い,メディカルレビュー社,2009 参照)。

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