1927年にジュリアン・グリーン(1900~1998年)が発表した『アドリエンヌ・ムジュラ』1)には,フランスの田舎町で,圧制的な父親と病弱な姉のもとで息の詰まるような生活をしていたアドリエンヌという娘が,恋愛問題を契機に病的な世界に陥っていく過程が描かれている。
幼くして母を亡くしたアドリエンヌは,「自分の安楽のためにしか生きていない父親と,自分の病気のことしか考えていない姉に育てられた」こともあって,父親の機嫌を損ねはすまいかということばかり恐れて生きていた。また,姉のしかめた眉を見て育ったために,「あまり笑わないことと,口数を少なくすることを習いおぼえてしまった」彼女は,「遊び友だちもなければ,ひとと交際したいというはっきりした欲望もなく」,一人で庭を散歩したり自分の部屋に閉じこもって,幼少期を過ごしたのである。