少量のアスピリンと機械的予防法を併用したTHA450例,TKA450例,計900例につき検討した.致死性PE発生率はTHA0%,TKA0%,計0%で,症候性PEもTHA0.2%,TKA0%,計0.1%と低率であった.またDVT発生率はTHA6.3%,TKA31.2%,計18.7%だったが,近位DVTはTHA0.2%,TKA0.4%,計0.3%と低率で,重篤な副作用も認められなかった.アスピリンと機械的予防法の併用は安価で安全であり,大部分の人工関節術後のPE,近位DVT予防に有用と考えられた.


緒 言

 下肢の整形外科手術,なかでも人工関節置換術(人工股関節置換術:THA,人工膝関節置換術:TKA)後には深部静脈血栓症(deep venous thrombosis;DVT)がしばしば発生することが知られており,このDVTを主因とする肺塞栓症(pulmonary embolism;PE)はきわめて重篤な合併症で,各種の予防法が試みられている.

 米国では,わが国ではその存在すらほとんど知られていなかった頃(1990年代)からDVT,PEの危険性が指摘され,各種の予防法,ガイドラインが試みられてきた.2004年の「第7版ACCP(米国胸部内科学会)ガイドライン」1)では,ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬などの強力な抗凝固薬が推奨され,機械的予防法,アスピリンなどは効果が望めないとされた.しかし,人工関節術後にこのガイドラインに沿って強力な抗凝固薬を投与したところ,重要臓器の出血,局所の血腫,感染などが頻発して深刻な問題となり,AAOS(米国整形外科学会)とACCP(米国胸部内科学会)は真っ向から対立することとなった.その結果,2007年にはAAOSは独自のガイドライン2)を作成し,このなかではアスピリンと機械的予防法が再評価されている.この流れを受けてACCPも方向転換を余儀なくされ,2012年のガイドライン3)では,強力な抗凝固薬の推奨グレードは1Aから1Bに下がり,アスピリンは1B,機械的予防法は1Cにと推奨グレードは上がっている.

 一方,わが国での「2008年整形外科ガイドライン」4)5)は機械的予防法も推奨しているが,薬剤に関しては2004年の「第7版ACCPガイドライン」を踏襲しており,アスピリンの効果は疑問視されている.当院では2000年より,人工関節症例に対してアスピリンと機械的予防法とを併用し,十分な効果が得られているので報告する6)-8).



1 適応(対象)

 当院では,特殊な症例を除くすべての人工関節置換術(THA,TKA)症例に対し,少量のアスピリンと機械的予防法を併用している.除外された症例としては,近位DVTの既往がある患者,抗リン脂質抗体症候群などの血管内凝固能亢進素因をもつ最高リスクに分類される患者,アスピリンにより増悪が予想される喘息患者などであった.

 アスピリンと機械的予防法を併用した人工関節症例に対しては,原則として全例に術前および術後10日に静脈造影でDVTの有無を確認しており,静脈造影を施行したTHA450例,TKA450例,計900例を対象とした.THAの平均年齢は62歳(26~85),男性62例,女性388例,変形性関節症(OA) 410例,関節リウマチ(RA) 21例,骨壊死(ON) 19例で,TKAの平均年齢は70歳(43~92),男性71例,女性379例,OA 323例,RA 102例,ON 25例であった.これらの900例について,PE発生の有無を調べ,DVTの有無と発生部位を調べた.静脈造影は術前および術後10日に行い,透視下に,ひらめ筋静脈,腓骨静脈,後脛骨静脈,前脛骨静脈,膝窩静脈,大腿静脈,腸骨静脈を検査し,この結果をもとに危険因子の検討も行った6)-8).



2 治療の実際(DVT予防措置の実際)

 アスピリンは,術後2日目の硬膜外チューブ抜去後2時間以降に,アスピリン(81mg×2錠 分2)を内服開始している.原則として術後2日~1ヵ月までは1日2錠,分2(朝夕食後),術後1~2ヵ月には1日1錠(夕食後)に減量し,術後2ヵ月で終了している.

 機械的予防法としては,術直後より両下肢にフットポンプを装着し,術翌日からは昼間は足関節の自多動運動を励行して夜間はフットポンプを装着し,術後5日前後でフットポンプは終了する.また,術直後より両下肢に弾性包帯を巻き,術後5日前後に弾性ストッキングに切り替え,術後3週前後で患側のみとし,術後2ヵ月で終了する.

 以上のように,薬物的予防法としては少量のアスピリン,機械的予防法としては,フットポンプ,弾力包帯およびストッキング,足関節の自多動運動を中心に行っているが,その他の予防措置も含めて以下に列挙する.


【術前の予防法】

・術前1ヵ月から術後まで「NSAID」(COX-1阻害薬)を投与し,若干の血小板凝集抑制効果を期待している.

・静脈血栓塞栓症(VTE)の危険性,予防法を「十分に説明」し,足関節自動運動の練習を行う.


【術中の予防法】

・下肢血流改善効果のある「硬膜外麻酔」を併用する.

・健側は大腿近位まで「弾性ストッキング」を履かせ,患側はTHAの場合は大腿中央まで,TKAの場合は下腿中央まで滅菌弾力包帯で巻き上げる.

・駆血帯使用時は十分に綿包帯を下巻きし,「駆血圧=血圧+100mmHg前後」と低めに設定する.

・麻酔,手術,駆血帯使用時間を「可及的に短縮」する.

・「手術操作は愛護的に」行い,軟部組織の損傷を最小限に留める.

・脂肪塞栓軽減のため,骨髄内操作では「十分な洗浄と吸引」を行う.

・THAの場合,大腿骨の骨髄内圧上昇により脂肪塞栓が誘発されると考えられるため,原則として「セメントは用いない」9).

・THAでは股関節の過伸展,過度の内外旋,TKAでは深屈曲などの「非生理的な肢位をとる時間を最小限」に留める.

・閉創後「弾力包帯」を足尖から大腿まで巻く.

・「大腿,下腿を十分マッサージ」し,足関節を他動的に底背屈させる.


【術後の予防法】

・帰室直後より「フットポンプ」(足部型の間歇的空気加圧装置)を装着する.

・術翌日からは,昼間は「足関節自動運動」を行い,夜間はフットポンプを装着する.

・通常術当日は120~150mL/時,翌日は80~100mL/時,2日目以降は40~60mL/時と「十分な補液」を行い,また「十分な飲水」を指導する.

・術後2日目にドレーン,硬膜外チューブを抜去し,抜去後2時間以降に「アスピリン(81mg×2錠 分2/日)」の内服を開始する.

・通常術後4日目に「全荷重歩行」を開始する.車椅子や免荷の早期離床は,むしろDVT発生を助長する懸念があり,なるべく避ける.

・初回起立歩行時は,PE発生に備えて静脈を確保し,必ず医師または看護師が同伴する.

・術後5日目前後に抜糸後,弾力包帯から大腿タイプ(above knee)の「弾性ストッキング」に変更し,フットポンプを終了する.

・術後2週前後での退院まで「足関節自動運動」および「十分な飲水」を指導する.


【退院後の予防法】

・「アスピリン」は,術後1~2ヵ月は1日1錠に減量し,通常2ヵ月で終了する.

・「弾性ストッキング」は,退院後は患側のみとし,通常術後2ヵ月で終了する.

・長時間の座位は避け,とくに夏期は脱水にならないよう十分な飲水を指導する.



3 成績(結果)

1.PE(肺塞栓症)の発生頻度

 術後に少量のアスピリン投与と機械的予防法を施行したTHA450例中,致死性PEは0例で,症候性PEは1例(0.2%)に認められたが,臨床症状は胸部痛と軽度の呼吸苦のみで軽微であった.またTKA450例中,致死性PEは0例で症候性PEも0例であった.合計すると,下肢の人工関節900例(THA450例,TKA450例)中,致死性PEは0例で,症候性PEは1例(0.1%)にのみ発生していた(表1).




2.DVT(深部静脈血栓症)の発生頻度,部位

 静脈造影におけるDVTの発生頻度は,THAでは450例中28例(6.3%)と比較的低率であった.近位静脈とされる腸骨,大腿静脈にDVTを認めた症例はなく,膝窩静脈発生例も1例1静脈のみで,それ以外は下腿静脈(ヒラメ筋,腓骨,後脛骨,前脛骨静脈)発生例27例(40静脈)であった(表1).一方TKAでは,450例中140例(31.2%)と比較的高率にDVTを認めたが,近位静脈とされる腸骨,大腿静脈にDVTを認めた症例はなく,膝窩静脈発生例も2例2静脈のみで,それ以外は下腿静脈発生例138例(243静脈)であった.

 合計すると,下肢の人工関節900例(THA450例,TKA450例)中168例(18.7%)にDVTを認めたが,近位静脈とされる腸骨,大腿静脈にDVTを認めた症例は0例で,膝窩静脈発生例も3例3静脈のみであり,それ以外は下腿静脈(ヒラメ筋,腓骨,後脛骨,前脛骨静脈)発生例165例(283静脈)であった.臨床症状に関しては,DVTを認めた168例のうち局所症状を呈した症例は48例(27%)と比較的低率で,腫脹44例,鈍重感21例,把握痛9例であった(重複を含む).


3.アスピリンによる副作用

 軽度の皮下出血のためアスピリンを2錠/日から1錠/日に減量した症例が,THAで1例,TKAで4例認められたが,重要臓器の出血,局所の出血,血腫などの重篤な副作用が発生した症例は認められなかった.また,消化器症状や,湿疹,喘息などが誘発された症例も認められなかった.


4.DVTの危険因子

 静脈造影でのDVTの有無をもとに,DVT発生に関与する危険因子を検討したところ,統計学的有意差を認めたのは,性別,年齢,BMI,術前の膝関節可動域(ROM),術式であった.

【性別】THA,TKAともに女性のDVT発生率が高く,THAで男性3.2%,女性6.7%,TKAで男性18.3%,女性33.5%と有意差を認めた.

【年齢】年齢とともにDVT発生率は上昇し,THAではDVT発生群(28例)は69.8±6.7歳,非発生群(422例)は61.7±10.2歳,TKAでもDVT発生群(140例)は73.8±4.9歳,非発生群(310例)は68.4±6.3歳と有意差を認めた.

【BMI】BMIが高い症例でDVT発生率が高く,THAでは発生群で26.5±3.5,非発生群で23.7±4.0で,TKAでも発生群で28.7±3.5,非発生群で25.6±4.4と有意差を認めた.

【術前の膝ROM】TKA症例では術前の膝ROMと術後のDVT発生率のあいだに負の相関を認め,術前の拘縮が強い症例ではDVT発生率が高かった.

【術式】THAで6.3%(28/450例),TKAで31.2%(140/450例)であり有意差を認めた.



4 長所と短所(考察)

DVTの予防法には機械的方法と薬物による方法があり,また薬物としてはワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬などの強力な抗凝固薬と,ヘパリンやアスピリンなどの作用の穏やかな薬剤に大別される.したがって,DVT予防の選択肢は,

 1.機械的予防法単独

 2.機械的予防法+穏やかな薬剤(アスピリン,ヘパリンなど)

 3.強力な薬剤(ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬など)単独

 4.機械的予防法+強力な薬剤

 5.機械的予防法+強力な薬剤の少量使用

と考えられるが,これらの選択に際しては,VTEの分類,発生機序,危険因子,薬剤の特徴,歴史的推移などをある程度理解する必要がある.


1.PE(肺塞栓症),DVT(深部静脈血栓症)の分類

 PEは慢性と急性に分類され,さらに急性PEは手術や外傷後に発症するPEと,内科的基礎疾患や凝固異常などを基に発生するPEに大別される10).後者には,主として発症後の症例に対して強力な抗凝固薬を用いた治療や再発予防が呼吸器内科で行われるが,前者(術後)の場合,予防目的で重篤な副作用をもつ抗凝固薬を用いるべきかは,外科医の立場として大変難しい問題である.ここに呼吸器内科と外科医の立場の相違があり,2004年の「第7版ACCP(米国胸部内科学会)ガイドライン」1)と2007年の「AAOS(米国整形外科学会)ガイドライン」2)の相違が生じたと考えられる.

 DVTは,近位型(腸骨,大腿,膝窩静脈)と遠位型(ヒラメ筋,腓骨,後脛骨,前脛骨静脈)に分類されるが10),PEの主因は近位型と考えられ,遠位型は問題ないとする報告が大部分である2)10)11).したがって,術後には近位型DVTの予防が最重要で,遠位型の予防の必要性は低いと考えられるが,両者を混同した予防法,報告も多い.2004年の「第7版ACCPガイドライン」が遠位型を含めたすべてのDVT予防を目的としているのに対し,2007年の「AAOSガイドライン」では,最大の目的はPE発生防止と,近位型DVT予防であることが明記されている.


2.DVTの発生機序と予防法

 DVTの誘発因子として1956年Virchowは,①血流停滞,②静脈内皮障害,③血液凝固能亢進の3徴を提唱した.下肢の手術後は比較的安静期間が長く,また腫脹などによる循環不全も加わって「血流停滞」をきたしやすく,手術の侵襲や術中の無理な体位による「静脈内皮障害」,出血と血液濃縮による「血液凝固能亢進」をきたし,Virchowの3徴がすべて揃った状態といえる.

 これらを改善するために,「血流停滞」に対してはフットポンプ,弾性包帯やストッキングの使用,足関節自他動運動,早期の荷重歩行などの機械的予防法が12)-15),「静脈内皮障害」に対しては,手術侵襲の軽減や体位の工夫などが,「血液凝固能亢進」に対しては,十分な補液や飲水とともに,薬剤が用いられる1)11)16)17).


3.薬剤による予防法の特徴と原則

 薬剤としては,ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬などの強力な抗凝固薬と,アスピリン,ヘパリンなどの作用の穏やかな薬剤に分けられる.抗凝固薬は静脈内の血栓形成を直接抑制する効果があり,理論的にはDVT予防に最も有効な薬剤とされる1)18)-20).一方,アスピリンは抗血小板薬であり血栓形成抑制はあまり期待できないが,血栓の成長,進展を防止すると考えられている6)8)21)-23).これらの薬剤の問題点は副作用を伴う危険があることで,強力な薬剤では,比較的高頻度に患部の出血,血腫,感染や重要臓器の出血などの重篤な副作用を有することが死亡例を含めて知られている2)11)16)17).これに対し,作用の穏やかな薬剤の重篤な副作用はきわめてまれと考えられる6)-8)14)21)22).

 DVT予防効果が高くかつ副作用の少ない薬が理想的であるが,現在これに該当する薬剤はなく,予防効果が高いが副作用も多い強力な薬剤(ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬など)か,予防効果は高くないものの副作用も少ない穏やかな薬剤(アスピリン,ヘパリンなど)かの選択になっている24).いずれにしても薬剤を選択する際の原則は,薬剤による利益(PE発生率の低下)が副作用による不利益(患部や重要臓器の出血など)をはるかに上回るということである.


4.各種薬剤のコスト

 薬剤の選択に際してはコストも無視できない問題であり,以下に列挙した.

 低分子量ヘパリン:1A:約1,000円,1日:2,000円前後

Xa阻害薬:注射:1A:約1,500~2,100円,1日:1,500~2,100円前後

経口:1錠:約400~730円,1日:400~730円前後

 ワルファリン:1錠:約10円,1日:20~40円前後

 アスピリン:1錠:約6円,1日:12円前後

 ヘパリン:1A:約150~200円,1日:300~1,200円前後

 Xa阻害薬注射,低分子量ヘパリン注射では1日で2,000円前後かかるが,アスピリン内服では1日12円前後と格段の差がある.


5.歴史的推移

 わが国の5~10倍の人工関節手術が行われ,PEや心血管系疾患の罹患率も高率な米国では,VTEに対する取り組みもわが国より5~10年先行して行われてきた.その歴史的推移は便宜上,①黎明期,②過剰予防期,③修正期に分けると理解しやすい.

①黎明期:1990~2000年前後の時期で,人工関節術後のPEやDVTがほとんど知られておらず,予防法も不十分で死亡例が増加した時期だが,一方で研究が進められた.

②過剰予防期:2000~2007年前後には積極的な予防が勧められ,その象徴が2004年の「第7版ACCP(米国胸部内科学会)ガイドライン」1)で,ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬などの強力な抗凝固薬が推奨され,アスピリンや機械的予防法は効果が望めないとされた.しかし,人工関節術後に重要臓器の出血,局所の血腫,感染などが多発して深刻な問題となり,2005~2007年にかけてACCPとAAOS(米国整形外科学会)のあいだで激しい対立が生じた.

③修正期:2007年以降の時期で,2004年の「第7版ACCPガイドライン」の弊害が深刻化したため,2007年にはAAOS独自のガイドラインが発表された2).このなかではアスピリンと機械的予防法も推奨され,またワルファリン使用時のINR基準も下方修正された.またPE発生リスクと出血リスクに応じて,アスピリン,ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬などを使い分ける予防法が推奨された.この流れを受けてACCPも方向転換し,2012年の「第9版ACCPガイドライン」3)では,強力な抗凝固薬(ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬など)の推奨グレードはいずれも1Aから1Bに下がり,一方2004年に否定したアスピリン,低用量未分画ヘパリンはグレード1Bで推奨され,機械的予防法もグレード1Cで推奨している.

 わが国でも,そろそろ修正期(強力な抗凝固剤に対する反省期)かと思われるが,薬剤による予防法に関しては2008年の「日整会ガイドライン」4)では2004年の「第7版ACCPガイドライン」と同様にワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬などの抗凝固薬が推奨され,アスピリンは効果が望めないとされている.また米国では薬価の低いワルファリンやアスピリンの使用頻度が高いのに対し,わが国では高価な薬剤に偏った傾向が認められる.


6.危険因子の重要性

 一般に薬剤の使用に際して,患者の体格,年齢,感受性,副作用なども考えて種類や用量を選択する必要がある.VTE予防に際しても,リスクが高い患者には比較的強力な薬剤を,リスクが低い患者には穏やかな薬剤を投与することが望ましく,また出血などの副作用も考慮する必要がある.一元的ガイドラインが多いなかで,「AAOSガイドライン」は,VTEリスクの高低,出血リスクの高低によって推奨する薬剤を選択する画期的な取り組みが成されている2)25)が,リスクに応じて薬剤を選択するためには危険因子の研究が必須であり26)-28),このためには多数例に対する静脈造影を用いた検討が必要と考えられる.当院では人工関節症例に静脈造影によるDVT検査を行って危険因子を検討しており,薬剤選択に利用可能なデータの蓄積を目指している6)-8).


7.欧米と日本

 術後のDVT発生率はわが国と欧米で大差はなかったとする報告もあるが19),PEの発生率は欧米ではるかに高率であることが知られている10).また,危険因子である肥満や心血管系疾患が高率であることからも,術後のPEの危険性は欧米でより高いと考えられる.わが国での予防薬剤は欧米を参考にしているが,PEの危険がより低いと考えられるわが国では,欧米同様かそれ以下の基準(より穏やかな薬剤)にすることが適切と考えられる.


8.各予防法の長所と短所

 まず機械的予防法に関しては,ほとんど副作用がないことが最大の長所で6)8)11)-15)29),機械的予防法を十分に行うことが基本であり,これと薬剤の組み合わせが基本的スタイルと考えられる.その意味では2004年の「第7版ACCPガイドライン」のように,機械的予防法を行わずに強力な抗凝固剤にのみ頼るのは危険な選択と考えられる.一方短所は,医療サイドの熱意と患者の努力に左右されることであり,このリスクを回避するためには薬剤の併用も必要と思われるが,機械的予防法単独で十分との意見もある.

 強力な抗凝固薬(ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬など)の長所は,静脈内の血液凝固を直接抑制することで,通常DVTの発生を1/5~1/2程度に減少させるため1)16)18)20)30),血栓リスクが非常に高い患者に対しては有効と考えられる.短所は,患部の出血,血腫,感染や重要臓器の出血などであり,死亡例も報告されている.これらの重篤な副作用の発現率は2~4%(1/50~1/25)前後とする報告が多く2)11)17)31),予防措置を行わなかった場合のPE発生率(0.5~1.9%前後)と比較してもかなりの高率である.また,薬価が高い薬剤が多いのも欠点といえる.

 重篤な副作用を回避するため,強力な抗凝固薬を低用量で使用する試みも行われており,ワルファリンに関して2004年の「第7版ACCPガイドライン」ではINR:2.0~3.0が推奨されたが,2007年の「AAOSガイドライン」ではINR:1.5~2.0が推奨されている.低用量ではDVT抑制作用も減少するが,重篤な出血を回避するためには有効かもしれない.

 穏やかな薬剤(アスピリン,ヘパリンなど)の長所は重篤な副作用が少ないことで,抗血小板薬であるアスピリンは長い歴史を有し,薬価が安いことも長所といえる8)14)21)-23).一方,アスピリンの短所は,抗凝固薬でないためDVTの発生率を1/2~2/3程度にしか減少させられないと報告されているが,血栓の成長を防止して遊離血栓を予防すると考えられている.したがって,薬剤単独ではなく機械的予防法との併用が適切と考えられるが,血栓リスクが非常に高い患者に対しては若干力不足の感は否めない.

 以上,各予防法の長所短所を考えると,機械的予防法はすべての患者に十分に行うべきであり,通常のVTEリスクの患者にはアスピリンの併用か,低用量の抗凝固薬の併用が望ましく,VTEリスクがきわめて高い症例に対しては重篤な副作用を考慮したうえでの強力な抗凝固薬の併用が妥当かと考えられる.

 VTE予防法については多くの報告があるが,DVTの正確な診断には静脈造影がgolden standardとされており,また同一施設での多数例の検討が必要とされる.Johansonらは2009年に,ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬,アスピリン単独,アスピリン+機械的予防法,機械的予防法単独につき,信頼できる文献を多数集計分析してPEとmajor bleeding(大出血)の発生率を比較した11).このなかでTHA後のPE発生率はいずれも概ね0.5%以下であったが,major bleeding発生率はアスピリン単独,アスピリン+機械的予防法,機械的予防法単独ではほとんど0だったのに対し,ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬では2~3.5%前後と高頻度であったと報告している.またTKAではアスピリンでも0.5%前後に出血を認めたが,THAとほぼ同様の結果と報告している.

 当院では2000年よりアスピリンと機械的予防法を併用した結果,計900例のうち軽微な症候性PEがTHAに1例発生したのみで,致死性PEと重篤な出血は0例で,アスピリンと機械的予防法の併用は安全かつPE予防に有効と考えられた.一方静脈造影では,THAで6.3%にDVTを認めたものの,PEの危険が高い腸骨,大腿静脈発生例はなく,膝窩静脈発生例も1例のみで,それ以外はPEの危険が低い下腿静脈発生例であり,予防措置非施行下のDVT,PE発生率に比し明らかに低率であった(表1).




TKAのDVT頻度は31.2%と比較的高率だったが,膝窩静脈の2例以外は下腿静脈発生例であった.

 術後のVTE予防では致死性PEの防止が最重要で,次いで症候性PE防止と近位DVT予防が重要である.また予防の大原則は,予防法による不利益がPE,DVT自体の不利益を超えないことである17)31).以上の目的のためには,アスピリンと機械的予防法の併用は,安全かつ有効な方法と考えられ,また経口投与で薬価が安いことも利点である.2012年のACCPガイドラインでは強力な抗凝固薬(ワルファリン,低分子量ヘパリン,Xa阻害薬など)の推奨グレードは1Bで,アスピリンの推奨グレードも1Bであり,同じ推奨レベルであれば,より安全で安価な薬剤を選択することが当然と考えられる.繰り返しになるが,通常のVTEリスクの患者に対しては機械的予防法とアスピリンの併用か,副作用が低い範囲での低用量の抗凝固薬の併用が望ましく,VTEリスクがきわめて高い症例に対しては重篤な副作用を考慮したうえでの強力な抗凝固薬の併用が適当と考えられた.「機械的予防法はやり過ぎるくらい十分に,薬剤による予防法はやり過ぎないよう程々に」というのが現時点での結論かと推察される.



結 語

1.THA450例,TKA450例,合計900例に対し,少量のアスピリンと機械的予防法を併用したが,重篤な出血などの副作用は認められなかった.

2.アスピリンと機械的予防法併用下での致死性PE発生率はTHA 0%,TKA 0%,合計0%であり,症候性PE発生率もTHA 0.2%,TKA 0%,合計0.1%と低率であった.

3.アスピリンと機械的予防法併用下でのDVT発生率は,THA 6.3%,TKA 31.2%,合計18.7%であったが,近位DVT発生率は,THA 0.2%,TKA 0.4%,合計0.3%と低率であった.

4.アスピリンと機械的予防法の併用は安価で安全であり,またPE,近位DVT予防効果も十分に認められ,大部分の人工関節術後のPE予防に有用と考えられた.

5.VTEリスクがきわめて高い特別な症例に対しては,重篤な副作用の危険性を考慮したうえでの強力な抗凝固薬と機械的予防法の併用が適当と考えられた.


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千葉労災病院整形外科部長/人工関節センター長

清水 耕 Shimizu Koh



総論/齋藤知行

DEBATE 1 理学予防単独/松原正明 ほか

DEBATE 2 フォンダパリヌクス/小野寺智洋 ほか

DEBATE 3 エノキサパリン/高平尚伸

・DEBATE 4 アスピリン/清水耕

コメント/齋藤知行