当科にて施行した491例の人工股関節(THA)術後に施行した物理療法のみによる血栓予防の結果につき検討した.術前血栓のない症例では術直後に4.3%血栓がみられ,術直後に血栓のなかった症例で術後1週を過ぎ血栓ができる症例が0.8%程度みられた.通常のTHA術後の血栓予防には物理療法のみで十分であるが,術後D-ダイマーの変化が大きい場合には静脈超音波検査が有用である.
緒 言
国内外を問わず,外科手術周術期における静脈血栓塞栓症(VTE)予防ガイドライン1)において股関節手術はハイリスク群に位置づけられていることは周知の事実である.これはとりもなおさず,人工股関節置換術(THA)術後周術期の静脈血栓塞栓症(VTE;深部静脈血栓症〔DVT〕・肺血栓塞栓症〔PTE〕)がTHA術後早期に発症し,時には生命予後を左右する重篤な合併症となるからである.これらのガイドラインによれば,THA周術期にはカーフポンプ・フットポンプなどの物理療法2)とフォンダパリヌクスやエノキサパリンなどの薬剤を使用した化学療法による血栓予防が推奨されている3)4).VTE発症予防対策はTHAにとって非常に重要であるが,その一方で薬剤による予防法は時に頭蓋内出血などのmajor bleeding(大出血)をきたすことが報告されており5),必ずしも安全な予防法とはなっていない.さらに物理療法はmajor bleedingなどの合併症はないものの,その効果については不十分ではないかとの疑問も残っている.そこで当科では,major bleedingをきたさずに何とかVTEの予防ができないかとの考えから,1996年から術直後にフットポンプ・カーフポンプを使用したうえで,術後可能な限り早期からの離床と積極的な可動域訓練,荷重歩行訓練といったリハビリテーションを組み合わせて行ってきた6).さらに,全股関節手術症例に対して離床直前に静脈エコー検査を行い,術後DVT発生の有無ならびに危険度を視覚的にとらえることも同時に行ってきた.今回これらの物理的VTE予防ならびに術後早期リハの予防効果につきD-ダイマー値ならびに下肢静脈エコー検査の結果より検討した.
1 適応(対象)と治療の実際
2011年1月より2012年3月までに当科にて施行した初回セメントレスTHA症例の491例568股をレトロスペクティブスタディとして検討した.症例の内訳は,表1のごとくである.
術前スクリーニングとしては,Yokoteら7)によるRCTスタディと同様にD-ダイマー値2.0μg/mLをカットオフ値として,Duplex法による下肢静脈エコー検査を行い,血栓の存在する症例は除外した.また,手術は全例全身麻酔単独で行われ,すべて側臥位,筋非切離前側方アプローチ(modified Watson-Jones approach)で行った.離床に先立ち,離床直前に両下肢静脈エコー検査を行い,総大腿静脈から下腿静脈レベルの範囲でDVTの検索を行った.具体的な検索方法は,大腿部レベルでの検査は仰臥位,膝窩レベル以遠の下腿静脈は端座位で行い,断層法,探触子による血管圧迫法とカラードプラによるmilking法で判定した.離床は全例術当日夕方もしくは術翌日午前中に行い,その後は可及的に全荷重歩行訓練を行った.全例で術中は両下肢ともに大腿部まで弾性包帯による圧迫を行い,術後は帰室後24時間のフットポンプ・カーフポンプによる間歇的空気圧迫を行い,足関節自動運動も積極的に励行した.離床後は荷重制限なく歩行を許可し,術翌日からリハビリ室での立位歩行訓練を行った.
これらにつき,術直後のDVT発生頻度と部位,ならびに術直後に発生したDVTの経過,術直後にはDVTは発生していなかったが,離床後に発生したDVTとその経過,発生部位,症候性VTEの有無などにつき観察し検討した.なお,PTEの発生の検討は臨床評価とした.離床時のDVT陽性例では7日後に再検し,その後も症例に応じて再検を繰り返した.術後に発生したDVT発見目的でD-ダイマー検索は術後3日,7日,14日で行い,D-ダイマー値が10μg/mL以上を示した場合に下肢静脈エコー検査を前述同様に行い,浮遊血栓が発見された場合には,血栓溶解再発防止治療を開始したが,浮遊血栓が認められない場合には下肢の積極的な自動運動の励行を行うのみで特段の血栓溶解療法などは行わなかった(図1).
離床時のDVT陽性例に準じて各検査時にDVTのサイズを計測・記録し,その増大・縮小・消失を評価した.統計学的評価は,Mann-Whitney U検定を用い,p<0.05を有意差ありとした.術後に浮遊血栓が観察された場合には,循環器内科にコンサルテーションのうえ,へパリン,ワルファリンによる血栓溶解療法と再発予防を行った.
2 成績(結果)
1.VTEの発生率
術前にD-ダイマー値が正常もしくはカットオフ値以上でも両下肢静脈エコー検査にて血栓のみられなかった全491例中,離床時に発見された超音波診断によるDVTは21例(4.28%:21/491)であり,このうち18例(85.7%)がヒラメ筋内もしくは膝窩までに限局した遠位型DVTであった.また,近位に限局したDVTを3例(0.61%:3/491)に認めたが,浅大腿静脈内に3mm大,36mm大の器質化した血栓が1例ずつと,総大腿静脈内に14mmの器質化した血栓が1例みられた(術直後に発生したDVTの14.3%)(図2).
これら,術直後にエコー検査にて観察されたDVTでは,浮遊血栓はみられなかった.一方,術直後にはエコー検査上血栓を認めなかったが,術後経過中にD-ダイマー値が10μg/mL以上を示したため,その時点で下肢静脈エコー検査を行った症例中4例(0.81%:4/491)にDVTの発症を見た.これらはいずれも無症候性DVTであったが,4例中2例で浮遊血栓が観察された.この浮遊血栓が観察された症例は,60歳代前半女性の両側同時THA例の1例(BMI:28)と80歳代半ばの片側THAの1例(BMI:21.8)の計2例であり(図3),これらの症例は循環器内科と合同でヘパリン投与後ワルファリン内服3ヵ月の血栓溶解,再発予防策をとることにより血栓は器質化もしくは消失を見た.
また,DVT陽性例のうち症候性のものはみられず,症候性PTEもみられなかった.症候性PTEが画像的に確定されたものは皆無であり,突然の呼吸苦を訴えた1例に対し造影CTを実施したが,PTEは陰性であった.下肢DVT治療に対するフォローアップ目的で実施した造影CTにおいて偶然発見されたPTEがTHA群で1例あったが,無症候性であった.
危険因子とDVTの関連については,術直後の下肢静脈エコー検査にてDVT陽性を示した例で有意に高齢であり,術直後にはDVTは検出されなかったが,術後経過中にD-ダイマー高値を伴うDVT発症例では,術直後にDVTを検出した群やDVT(-)群に比し有意にBMIが大きかった(図4a,b).
2.術直後に検出されたDVT症例とその経過
術直後に発生した遠位型DVTならびに近位に存在したDVT症例は,血栓形成のみられなかった群に比し有意に高齢であった.また,これらの症例は浮遊血栓ではないか,もしくは近位型にもかかわらず血栓が器質化した小血栓であったため,DVTなし群と同様のリハビリテーションプログラムで術後訓練を行い,術後14日までに17例(81.0%)で血栓の消失を見,残りの4例については器質化が観察された.
3.術直後にはDVT(-)ながら経過中に血栓が形成された症例とそのDVTの経過
術後経過中D-ダイマーが10μg/mL以上を示したため,経過中に下肢静脈エコー検査を行い,浮遊血栓が発見された全4例中2例はヘパリン投与3週以後に血栓の消褪または器質化が確認された.他方,浮遊血栓のみられなかった2例は,DVTなし群と同様のリハビリテーションプログラムで術後訓練を行い,術後14日までにすべて血栓の消失を見た.これら術後に血栓が発見された症例は,血栓形成のなかった群や術直後に血栓形成が観察された群に比し,有意にBMIが高値を示した.
4.血栓形成部位とTHA術側の関係(図5)
DVTを検出した症例中,右側のみにできたものは13例(56.5%)であり,左側のみに血栓が形成されたものは6例(26.1%),両側に出現したものは4例(17.4%)であった.また,少なくとも術側と反対側に血栓形成がみられた症例は9例(39.1%)であり,反対側のみに血栓形成がみられたものは7例(30.4%)(全体の1.4%:7/491)であった.
5.術前スクリーニングマーカーとしてのD-ダイマー値
THA群で術前検査のDダイマー値がカットオフ値2.0μg/mL以上であった4例に下肢静脈エコーを行ったが,いずれもDVTは陰性であった.
3 考 察
待機的手術であるTHAにおいて,VTEの予防は,整形外科医にとって必要不可欠のものとされるが,その第一の目的は生命予後を左右する重篤なacute PTEの発生を予防することにある.過去においては欧米諸外国での報告が多く8)9),近年数多くのVTE発生予防策が講じられてきており,ガイドラインについても作成がなされてきた10)11).しかしながら,真の意味で整形外科手術後血栓の形成過程や深部静脈血栓から肺梗塞・塞栓症への伸展様式については未知の部分が多く,このためにVTE予防に対する見解も統一されていない12)13).ところで手術などの侵襲が生体に加われば,血管内微小血栓が生じることはよく知られているところである.したがって,臨床の場においては,術後に血栓を形成させないこと,ならびに術中もしくは術直後にすでに形成された血栓をいかに増大させないか,もしくは血栓が微小なうちに肺へ遊離させることによって,いかに肺動脈本管の塞栓を引き起こさないようにするかということが最も重要であると考えられる.
近年,人工関節術後症例に対して全例に肺動脈から下肢静脈までのmulti-detector CT,MRA,核医学検査を行うことでPTEをスクリーニングするという報告14)や発表なども少なからずあり,VTEの発症機序などの研究としては非常に興味深いが,日常臨床においては,循環動態に影響を与えない微小な無症候性PTEを血眼になって検索する意義は乏しく,患者にとっても医療経済的にも過重負荷と思えなくもない.また下肢静脈エコーについて,術者の技量の差や,外傷例では疼痛のため端座位がとれず詳細な評価ができにくい,といった理由であまり評価しない向きもある.しかし,検査の環境が十二分に整い,かつ熟練した術者の手で行われた結果,ようやく同定し得るような程度の血栓が果たして危険な存在とは考えにくい.さらに,造影剤が進歩した現在に至っても,欧米では造影剤腎症による急性腎不全は,病院内で起こる急性腎不全のうち,低血圧や脱水による腎前性腎不全,薬剤性腎不全に次いで3番目に頻度が高く,またわが国での調査では造影剤による腎不全は2.1%で第7位と高率8)であり,安易な造影剤使用は厳に控えるべきである.
ところで,現在VTEの発症予防に用いられている薬剤は,そのほとんどが血栓の形成を抑制する目的で開発されているために,術後はmajor bleedingのみが問題となるばかりでなく,minor bleeding(小出血)も術後のリハビリや在院期間を延長する悪化因子となり得る.
われわれは周術期VTE予防として,物理療法,とりわけ早期離床・早期歩行訓練の実施という運動療法が有効であると考え,以前より報告してきた6)が,近年同様の報告も散見される15)16).横手らの報告17)においても,静脈エコー検査におけるDVTの発生頻度に関してTHA術後に抗凝固薬を使用しなかった群(A群)201例のうちDVT陽性であったものは13例で,使用した群(B群)では300例中20例と発症率に有意差なく,7日後の再検エコーではDVT消失・縮小がA群で85%,B群で80%と同等であったと報告しており,THA術後の遠位型DVT陽性例において,物理療法のみを行った群と抗凝固薬を併用した群間で同等のDVT消失・縮小効果が認められており,早期運動療法の有用性を証明するものと考える.さらに,PTEの発症に関して,物理療法のみによるVTE予防と抗血栓薬使用によるVTE予防のあいだにPTE発生率には差がみられなかったとする報告18)19)もみられることから,術前に明らかな血栓形成傾向がなく,術直後より(術翌日までに)全荷重可能な手術を行えた症例で,術後リハビリを積極的に施行できる意思をもつ症例にあっては,物理療法以外に特段の化学的血栓予防策を講じなくともよいものと推察された.また,もし可能であれば,離床直前に低侵襲かつ簡便な静脈エコー検査による下肢DVTのスクリーニングを行い,近位型や浮遊型などの危険性の高い血栓の有無をチェックすることで十分なPTE予防を行い得ると考える.なお,今回の症例では,全症例の1.4%(血栓形成を見た症例の30.4%)で非術側のみに術直後より血栓が形成されていたことから,術中に固定を余儀なくされる非術側に関しては,カーフポンプ・フットポンプなどによる積極的な静脈灌流励行により,さらなるVTE発症や重篤化を防ぐことが重要であると考えられる.
4 長所と短所
物理的血栓予防法の長所としては,まず何より輸血を必要とするような予想外の部位での出血の危険(major bleeding)がないということである.しかしながら,単に物理療法のみによる血栓予防では術直後に4.3%,術後約1週で0.8%の血栓ができていたことから,この方法で予防すればすべて安全であるとは言い切れない.また,大腿骨頸部骨折など術前の活動性が低下している症例では,術前よりの持ち込み血栓があることも知られていることから,術前ならびに術後の血栓形成の有無については細心の注意を払う必要があると考えられる.一方,器具が若干高価であることが問題であり,1日の手術件数の非常に多い施設においては各自に24時間以上連続の装用をするとなると多数の器具の保有を要するため問題となると思われる.したがって,今後はさらなる検討を加え,物理的血栓の予防が不要である症例と物理的血栓予防のみでよい症例,薬剤を併用した血栓予防が必要な症例,術前より厳重な血栓予防管理が必要な症例に分類し,それぞれに適切な治療を行うことが望ましいと考える.
結 論
術前にVTEの既往や高度危険因子がない症例のTHAにおいては,早期離床を行えば,あえてVTE予防薬の投与を行う必要はなく,物理療法単独でのVTE予防が可能であると思われた.また,片側THAでは,47.4%(9/19)と高率に非手術肢にDVTが認められており,術中の非手術肢に対する予防措置が重要である.
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日産厚生会玉川病院股関節センターセンター長
松原正明 Matsubara Masaaki
日産厚生会玉川病院股関節センター
奥田直樹 Okuda Naoki
日産厚生会玉川病院股関節センター
木村晶理 Kimura Akimasa
日産厚生会玉川病院股関節センター
小川博之 Ogawa Hiroyuki
日産厚生会玉川病院股関節センター
平澤直之 Hirasawa Naoyuki
・DEBATE 1 理学予防単独/松原正明 ほか