うつ病は,現代日本において重要な疾患のひとつであろう.うつ病は,長期にわたってストレス状態が続いたときに起こると考えられている.アスリートにもこのような症状はみられる.とくに,完璧主義などの性格傾向があるとうつ病になりやすい面がある.また,うつ病と類似した状態にオーバートレーニング症候群があるが,これも身体的なストレス(高強度トレーニング)が続いた場合に起こり,発症についてもうつ病と類似点がある.このようなアスリートのうつ状態への対応について,具体的な方法も含めて述べた.
はじめに
一般にスポーツ選手は,「強い肉体と精神をもっている」,「心技体がひとつになって高い競技力が発揮される」と考えられている.実際の競技に接してみると,心技体がひとつになって初めて高い競技力が発揮できることはよくわかる.
ところが,スポーツ選手もほかの人たちと同じように,精神的な問題を抱えることがある.こういった問題には,競技に関連した精神的なストレスや,競技以外のストレスなどさまざまなものがかかわっている.さらに,スポーツ選手の場合には,高強度の持続的なトレーニングの結果として出てくるオーバートレーニング症候群の問題もある.
このような状態では,心技体がひとつになれないわけであるが,少なからぬ場合,ここでスポーツ選手は,心技体がひとつになれないのは自分の努力が足りないからだと考えてしまう.また,競技に関連した周りの人たちも,心が弱くては競技者として適格でないと考える風潮もある.そのようななかで,不調を隠しながら何とか1人で頑張るという結果になるケースが多くある.医学的な視点に立てば,このような問題のなかには治療によって軽快する可能性の高いものが多く含まれているにもかかわらず,このような背景から,多くのケースはかなり具合が悪くなってから受診することになってしまう.しかしながら,こういったケースでも,精神科・心療内科などを受診する前に,チームドクターには相談する場合もあり,スポーツ選手を診療する機会の多い整形外科スポーツ医もこういった病態に出会うことが多くあると思われる.
ここでは,こういった治療の対象になるスポーツ選手の精神的な問題について,とくにうつ状態を呈する代表的な疾患であるうつ病について,スポーツとの関連で述べたい.
うつ病とは?
うつ状態は,気分の低下した状態である.気分とは精神状態全体のエネルギーのレベルと考えるとよい.エネルギーが低いので,物事に対する興味を失い,集中力も低下してしまう.嬉しいという感情の表出もなくなってしまう.また,時にはわけもなく泣き出してしまうということも起こり得る.加えて,多くの場合には身体症状も同時に出現する.多くは,頭痛,吐き気などの不定愁訴のほか,下痢,便秘,胃痛などの消化器症状,動悸などの循環器症状がある.整形外科との関連では,疼痛も挙げられる.画像診断などとの比較で,不相応で長期にわたる疼痛の訴えが続く場合には,うつ状態を疑ってみてもよい.こういった症状は,たとえば練習場に行くと出現するが,家ではまったく問題がなく元気であるというようなものではなく,状況に依存していないのが原則である.表1に典型的なうつ症状を示した.
一般の落ち込みは,実際にきっかけがあって起こることは多くあり,こういったものは一定期間を過ぎると元気になってくる.しかし,時にこういった気分の低下が長期にわたって継続することがあり,これが病的な問題となり,うつ病と呼ばれる.精神科でよく用いられる,米国精神医学会の診断基準では,一連のうつ症状が2週間以上持続した場合をうつ病としている(表2,診断基準参照).
うつ病になりやすい性格
うつ病になりやすい性格として,執着性格あるいはメランコリー親和型性格が挙げられている.これらは非常に似た性格傾向で,一般には非常に社会に役に立つ性格といってもよい.このような性格の人は,非常に几帳面で完璧主義で,責任感も強い.他人や集団が秩序立って,うまくいくためには自己犠牲的な努力をする.したがって多くの場合は,周りから信頼されて仕事も頼まれることが多い.うつ病の外来をやっていると,そういう方が多いので,「もう少し楽に考えても」とお話ししても,本人も「わかっていながらついそうなってしまう,そうしないと気が済まない」ということを言われる.したがって,治療的には「ドクターストップ」をかけて,自分の責任の範囲外で仕事をできなくすることが効果的なこともある.
このような性格傾向は,スポーツ選手にもよくみられる.競技者として良い競技成績をとるためには,素質だけでは十分でない.人並み外れた努力が必要である.トレーニングをどのくらいの強度で,どのくらい継続させるのかというのはなかなか自分のペースで行うことは難しい.選手はよく,「練習をしないのは非常に不安です」と話す.このような選手は,うつ状態となっても練習には参加し,体を動かすということも起こり得る.このような人に対して,「ドクターストップ」は必要になるし,「ドクターストップ」によって自分の責任でなく休めるようになると,選手はかえって安心することもある.
このようなうつ病は「メランコリー親和型うつ病」と呼ばれて,後述する「新型うつ病」あるいは「ディスチミア親和型うつ病」と対比される.
うつ状態のアスリートのケース
ここで,ケースを紹介したい.このケースは,複数のケースなどからそのエッセンスを抽出したもので,実際のケースからは変更してある.
症 例
24歳の個人種目女子競技者.家族は両親と姉で,とくに家族内の問題などはない.高校時代より頭角を現し,インターハイの上位の記録を保持している.大学3年生の頃から強化選手としてナショナルチームの合宿に呼ばれることがしばしばあったが,ナショナルチーム監督とはあまり合わないと感じていた.大学在学中は大学内での活動も多かったため,そちらで気持ちを切り替えていた.卒業後,入社し仕事をしながらの練習という新しい環境のなかで緊張した.とくに,自分に与えられた仕事を完全にこなさないといけないと思い,ちょっとの間違いについても気になり完璧に行おうと努力した.一方で,仕事の時間が長引くと練習時間が少なくなる.周りはなるべく練習時間を取れるようにと気を使ったが,本人自身が仕事も気になるので状況に変化はなかった.また,ナショナルチーム合宿に呼ばれても練習にも身が入らず,もともと相性の悪い監督からも競技について注意を受けるようになった.自分自身の努力が足りないと悩み,次第に眠れなくなり,食欲も落ちた.また,仕事にも集中できなくなり,やらなければならない仕事を前に時間だけが経過するという日が増えた.友人との会話や以前楽しんでいたテレビ番組なども楽しくなくなり,外出の誘いを受けても1人で家に閉じこもりがちになった.このような状況のなかで,同僚が心配して受診を勧めた.
このようなケースは,メランコリー親和型うつ病と考えられるもので,自分自身の努力が足りないということを真剣に悩むケースが多い.
新型うつ病
近年,「新型うつ病」という名前が新聞や雑誌に紹介され,目にされた方もおられると思われる.新型うつ病は「ディスチミア親和型うつ病」と呼ばれており,従来の「メランコリー親和型うつ病」と対比される(表3).
このようなうつ病は未熟な性格がその根底にある.現代の社会における,個人の権利の拡大とともに,良い意味での組織の中での役割,他と協力しながら時に自分を抑えて人間関係を構築し,ひとつのことを成し遂げるということについての経験が非常に薄いなかで社会に出た青年層が多い.自分の考えや自分の時間を排除して,組織の中で努力をすることが強要されると,非常にストレスに感じ,またそれを指導する上司の言葉を批判ととらえて相手を攻撃する.自分のやり方が正しいと主張するが,自分自身が指導的に全体を取りまとめることは非常に困難である.他人のせいで自分がうつ病になった,うつ病なので休職したいと,うつ病の診断を喜んで受け入れるところも特徴である.
トップアスリートにはこのようなケースは少ないように思う.しかしながら,時にはこういうケースがみられることもある.治療は難渋する場合が多いが,監督や指導者に対して批判的なケースが多いので,監督や指導者の立場には立たずに,あくまで患者サイドに立って話をするという姿勢が必要となる.そのなかで,あくまでサポートするけれどもこんなところは直したほうが良いという指導のなかで,本人が成長していく可能性が生まれる.
オーバートレーニング症候群
持続する高強度トレーニングののちに起きる,長期にわたるパフォーマンスの低下を主症状とする症候群が,オーバートレーニング症候群である.スポーツ選手がうつ状態を呈すると,パフォーマンスが低下する.そのため,スポーツ選手のうつ状態はしばしば「オーバートレーニング症候群」と診断される場合が多い.実際のところ,オーバートレーニング症候群とうつ病の違いというのは明確でない.スポーツ選手も,精神的なストレスが多く加わることは多いので,うつ状態となればうつ病と呼んでもよいと思われる.一方で,精神的なストレスのレベルはさほど高くないのだが,パフォーマンスが低下し,うつ状態を呈するケースは存在する.このように,精神的なストレスレベルが主たるストレスでなく,トレーニングという身体的ストレスが主たるストレスであるケースをオーバートレーニング症候群と呼んだほうがよいと思われる.オーバートレーニング症候群のケースを呈示する.
症 例
20歳の個人持久レース系種目女子競技者.競技は中学時代より始め,高校時代には国際大会にも出場した.性格は,まじめで指導者の言いつけをよく守る.家族構成は一人っ子で両親と3人暮らしである.中学時代から家族は競技に協力的であった.家族や競技指導者との関係は良好で,問題はとくに確認されなかった.受診3ヵ月前から,記録が伸びず,練習中も以前のように調子が上がらず,疲れが目立つようになった.しかしながら大きな競技会が続いたため,休むこともできず,調子の出ないまま競技を続けていた.次第に不眠も出現したため受診した.治療に関して,家族や競技関係者は協力的であった.診察時は,覇気がなく苦悶様顔貌で症状を訴えた.まずは,トレーニングをやめ休息を指示したが,1週間ほど休息するとある程度気分も良くなり睡眠も取れるようになった.そうすると次の試合に向けてまた練習を始めるため,また具合が悪くなるというくり返しが1~2ヵ月続いた.このためしばらくは試合に出場しないことを約束し,また重要な試合もなかったため3ヵ月ほどの休息期間をおいた.休息期間には気分は回復し,睡眠も十分取れるようになった.その後徐々に練習を開始し競技に復帰した.
こういったケースは,再び同じ高強度トレーニングを過剰に行って具合が悪くなることが非常に多い.うつ病の治療と同様に,継続的に行えるレベルのトレーニングを認識できるようになると良いのであるが,自分ではこれを行うことが難しいケースも多くみられる.こういうときに,指導者やトレーナーの役割は非常に大きい.なお,オーバートレーニング症候群という病名はICD-10にはなく,保険病名としても認められていないので,他の病名をつけて治療を行う必要がある.
うつ病の薬物療法
うつ病やオーバートレーニング症候群には,SSRI,SNRIなどの抗うつ薬を用いている.不眠には,付加的に睡眠薬を用いる.詳細なうつ病の薬物療法は他書に譲るが,筆者の経験では,うつ病はもとよりオーバートレーニング症候群にも薬物療法は有効で,中程度のオーバートレーニング症候群には,休息とともに本人に効果や副作用を十分説明して薬物療法を行うようにしている.この場合,薬を飲みながら運動を続けることがよいかなど,スポーツ選手特有の問題が出てくる.
うつ状態のスポーツ選手への対応
うつ状態のスポーツ選手も,一般のうつ状態も治療という点で変わらない面もあるが,スポーツ選手にみられる特徴もある.これらについて,以下に項目を作ってまとめた.
1.来なくなってしまう
どの患者もそうかも知れないが,とくにアスリートの場合,薬を飲むことに対して抵抗が強いように感じられる.したがって,薬についての説明を十分にしないと,自分で量を調節する,やめてしまうなどのケースが多くみられ,あまりに早くやめてしまい,2~3ヵ月後に再受診するというパターンが比較的多い.一旦再発すると,前と同じように治らないこともあり,このような問題を回避するために,できれば監督など管理者を含めて治療を相談するようにしている.
2.試合までの期間が決まっているので,それまでに治したい
整形外科の場合も同様のことがよく起こると思われるが,精神科の場合は時間的経過による改善の予想がさらにつきにくく,なんとも言えないという回答になりがちになってしまう.しかし,それでは選手も治療に対して信頼ができないので,長期的な試合計画を聞きながら,出場する試合,しない試合,優先すべき休息などについて選手の視点も踏まえながら相談するようにしている.
3.薬を飲みながら競技に出ても大丈夫か
精神科の薬はドーピングにはならない(リタリン®,ベタナミン®,モディオダール®などナルコレプシーなどに用いられる精神興奮薬を除く).したがって,薬を飲みながら競技に出ることは,規則上の問題はない.しかし,薬を飲んでいると競技力が落ちるかどうかということになると,たとえば正常者に抗うつ薬とプラセボを飲ませて,厳密に競技力を測定すれば,抗うつ薬による競技力の低下がみられる可能性はある.しかし,すでにうつ状態を呈して薬物療法が必要な人について,薬物療法をせずに競技を行った場合と,薬物によって症状を改善させ競技に出場する場合を比べると,後者の利点は大きいと考えている.また,薬を飲んでいて,心拍数の上がる競技を行うことで,心血管系への影響はないかどうかについては,十分なデータがないのが現状であると思う.抗うつ薬を服用しながらプレーをしているケースは少なからずあるが,これらについてはスポーツ医学のなかで,研究を行うべき重要なテーマであると思われる.
4.もとのような競技力に戻れる可能性があるのか?
一旦うつ状態に陥った人が競技に復帰できるかどうかは,正直なところ予想がつかない.これまでのケースでも,競技に復帰して今まで以上の競技成績を上げる人もいるが,結局引退ということになるケースもある.これらのケースをみていると,途中で怠薬するなど治療が中断するケースはうまくいかないという印象もある.いずれにしても,競技に復帰できるかと聞かれれば,可能性は十分あると答え,そのために治療は大切であると言うようにしている.
5.うつ病の治療中に,運動をするのは良いのか?
うつ病にしてもオーバートレーニング症候群にしても,運動ストレスを与えるのは良くない.一方で,うつ病の運動療法についての研究も進んでいる.一見矛盾するように思われるが,適度な有酸素運動は気分を向上させ,うつ状態を改善させる.多くの場合,中等度程度のうつ状態であれば,息がさほど上がらない程度のジョギングやウォーキングはするように奨めている.それによって,選手が安心する面もある.一方で,選手は時に過度に運動することに傾きがちな面があるので,その点については十分に注意を払う必要がある.
早稲田大学スポーツ科学学術院教授
内田 直 Uchida Sunao