認知症研究の第一人者が、
認知症になって伝えたいこと

現在、65歳以上の高齢者における認知症患者数は約7人に1人の462万人(有病率15%)と推定されており、2025年には約5人に1人が認知症を発症すると予測されています。今後、急増が見込まれる高齢者や認知症高齢者の地域での生活を支える枠組みとして、地域包括ケアシステムの構築が急ピッチで進められるなか、認知症研究の第一人者で、「長谷川式簡易知能評価スケール」の開発者としても知られる長谷川和夫先生は、2017年に嗜銀顆粒しぎんかりゅう性認知症であることを公表されました。わが国における認知症の研究・診療・ケア職育成の先駆者として「認知症と共に生きる社会」を繰り返し提言されてきた長谷川先生に、これまでの歩みを振り返るとともに、認知症の当事者として生きる上で感じている思いを伺いました。

恩師、新福尚武先生との出会いから
認知症研究・診療の道へ

長谷川 和夫 先生

先生が認知症の研究や診療に進まれたのは、どのような経緯からでしょうか。

私が今日ここにあるのは、恩師の新福尚武先生のおかげです。私は東京慈恵会医科大学を卒業後、精神神経科に入局しました。そして医局長を務めていたときに鳥取大学精神科の教授だった新福先生が教授として赴任してこられました。この新福先生との出会いが、私のキャリアのなかで一つの大きな出来事でした。
私が精神科医になった当初は、認知症に対する薬剤はなく、認知症の方へのケアも十分に行えているとはいえない時代でした。
1968年に東京都内の老人ホーム入居者の健康調査を行うことになり、新福先生の指名を受けて初めて認知症の方の診断を担当することになりました。そこで、認知症かどうかを評価する尺度が必要となり、その指標づくりを任されたのです。認知症の見立ては昨日と今日で変わってはいけないので、認知症と判断できるような一定の基準が必要だから、という理由でした。結果が数量化されて、誰が検査してもほぼ同様の結果が得られる客観的な指標として発案しました。
その後、研究を進めて、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」(以下、長谷川式スケール)として発表しました。そのとき、私は聖マリアンナ医科大学の教授でしたが、「長谷川式スケール」を開発したこともあり、認知症患者さんが全国から紹介されてきたほか、韓国からも患者さんが訪ねてこられました。当時、他の病院では行われていなかった外来患者さんのためのデイケアも始めました。有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになったのもこの頃です。今は認知症でなくても、死ぬ前にはたいていの人が認知症になります。ですから認知症の問題というのは、高齢者だけの問題ではなく全ての人の問題になるということに気が付き、本格的に研究に取り組む必要があると考えたのです。

長谷川 和夫 先生

認知症を公表したことで
地域に支えられていることを実感

先生は、2017年にご自身が認知症であることを公表されましたが、どのように診断を受けられたのでしょうか。

時間の感覚があやふやになり、外出後に「鍵をかけたかな」と何度も家に戻って確認するといったことを繰り返すようになり、アルツハイマー病を疑いました。私は「長谷川式スケール」の答えを暗記してしまっているので検査に使うことはできませんでした。そこで専門病院でCTやMRI、心理テストなどを行ったところ、「嗜銀顆粒性認知症」と診断されました。これは80代や90代の人に多くみられ、晩節期に発症する認知症です。普通の状態と認知症の状態が日常で行ったり来たりする特性があります。
私は米寿を迎えてから認知症と診断されましたが、多くの人が卒寿、百寿を迎える時代です。認知症になるリスクは加齢とともに高まるので、長寿化に伴い、私のように80歳や90歳を過ぎてから晩発性認知症を発症する人はこれから増えていくでしょうね。

認知症研究の第一人者であるご自身が認知症であることを公表されたのは、なぜでしょうか。

なぜカミングアウトしたかというと、こういうことは自分一人で抱え込んでいたら駄目で、多くの人に知ってもらい、皆がそれぞれの立場で工夫をして受け止めるようにした方が良いと思ったからです。要するに、地域で認知症の人をケアする地域ケアが重要であり、そのことを広く知ってほしいとの思いからです。認知症というのは、地域、まち全体で取り組まなければならない問題です。自分が住んでいる地域全体で認知症の人をケアするという、そういう文化をつくることが絶対に必要な時代になってきたと思っています。
それを具体的にしたのが、福岡県の大牟田市が進めている徘徊高齢者を隣近所や地域ぐるみで見守り保護していく「大牟田方式」です。海外では、認知症の地域ケアというと「大牟田」といわれるぐらい有名になりました。

まち全体で見守ることにより、徘徊は散歩に変わるので患者さんの尊厳も保たれますし、その地域で安心して暮らし続けることができますね。

そうそう。地域で認知症の人をケアすることが必要な時代になってきたのです。

先生は認知症を公表されたことで、生活に何か変化はありましたか。

近所に行きつけのコーヒーショップがあるのですが、そこへ出かける途中で、知らない女性から「長谷川先生ではありませんか」と声をかけられました。びっくりして「そうです、長谷川ですけど」と答えると、「そうですか。ご苦労さまです」と、その人は行ってしまいました。そんな風にまちなかで話しかけられることが増えました。あるときは通りを歩いていて転倒してしまったのですが、たまたま通りかかった女性が家まで送ってくれました。後日、新聞を見て私のことを知ったその女性が家まで訪ねて来てくれたことがありました。新聞に載ってしまったので、地元ではちょっとした有名人になってしまいましてねぇ。でも、こんなふうに地域の人が「この人は認知症だ」と気付いて適切なケアや手助けをしたり、見守ったりするようなまちにするのがこれからの課題で、地域ケアとはそういうことだと思うのです。私自身、地域のなかで支えられていることを実感しています。
今、私はデイケアに通っているのですが、そこでは、今までの生活ではあまり出会わなかったような同年代の人と親しくなったり、地域の床屋さんや喫茶店のマスターと親しくなったりというのも、これまでにはない経験です。
今の暮らしについては、毎日新鮮な気持ちで過ごしています。認知症になったからといって、最近の新しい出来事をすべて忘れるわけではないんですね。新しい出会いもありますし、新たに興味を持つこともあります。認知症になっても、今までと変わらない部分もたくさんあることを知っていただきたいです。

長谷川 和夫 先生

今を大切に
経験や思いを伝える活動に注力

認知症と診断されてから、どのような思いで毎日を過ごされていますか。

今日、今という瞬間が一番若いと思って生活をしています。あと5分か10分すれば、もうそれだけ年を取るわけですからね。ですから、今一番若いときにできることをしようと思っています。どういうことかというと、明日やることがあったら、今日それに手をつける。例えば、明日から今までの体験をもとに本を作ろうというときに、序文を書くことは今できるわけです。今が一番若いのだから、今できること、やれることがあったら手をつける。つまり、未来を先取りするということですね。そういうことを生活の基本にしようと心掛けています。やるといっても大したことをするわけではありません。小さいことですが、でもそれをやるとほっとするというか、やることができたという達成感を感じます。

先生が生きがいとされていることはありますか。

自分が今まで蓄積してきたいろいろな事柄を人様に伝えていくことで、皆さんのお役に立ちたいと思っています。それができるのは、今しかありません。

先生は、認知症をテーマにした絵本を2018年に出版されました。絵本を通して、どのような思いを伝えたかったのでしょうか。

この絵本は、我が家で実際に起きた出来事をベースにしています。絵本ではおばあちゃんの設定ですが、認知症になったのは私の義父で、私はこの男の子の父親の立場でした。長生きしたら、誰でも認知症になる可能性があるわけです。認知症になると子どもにとっては不思議なことがいろいろと起こるわけですが、疾患の特性を知ることで、子どものうちから認知症に対して偏見なく接することができたり、生活の一部として認知症の人を受け入れることができるのではないかという思いで出版しました。
設定を親子関係ではなく、孫とおばあちゃんにしたのは、子どもは親に何かあったときには責任を感じてあれこれと手をかけてしまいますが、孫と祖父母なら、親子間とは感じ方や捉え方が違いますので、よりソフトな対応になると思ったからです。また、認知症の人であっても、周囲の理解があれば安心して暮らせることを多くの人に知ってもらいたいという願いも込めています。

長谷川 和夫 先生

認知症の診療で最も大切なことは
患者さんを人として尊重すること

認知症の診断や治療が進歩する一方で、患者さんを取り巻く環境の変化についてはどのように見ておられますか。

私が認知症の研究を始めた当初は「痴呆」と呼ばれており、患者さんは馬小屋の隣にあった納屋のような小屋に閉じ込められていたり、外出できない状態におかれていたりと、人権も尊厳もないような時代でした。2004年に「認知症」と改称されてからは認知症に対する理解が進むようになり、ようやく最近になって認知症患者の尊厳を守ろうという考え方が広まってきたと思います。
認知症の診療で最も大切なことは、患者さんと同じ目線に立ち、人として尊重することです。「長谷川式スケール」を使うときも、この点に気を付ける必要があります。「100から7を引くといくつになりますか」など、患者さんのプライドを傷つけかねない質問もあります。患者でなくても、突然そのような質問をされたら気分を害する人がいるのは当然ではないでしょうか。ですから、患者さんやご家族とコミュニケーションを取り、診断に必要なことを丁寧に説明し、納得してもらった上で行う必要があります。
認知症の本質は暮らしの障害であり、暮らしがうまくいくかどうかが一番大事なことです。暮らしのなかで困っていることがあるかどうか、家族の話にも耳を傾け、総合的に判断することが大切です。

長谷川 和夫 先生

(後編に続く)

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