医療に「生活の視点」

急速に進む少子高齢化という人口構造の激変を受けて、住み慣れた地域で必要な医療・介護サービスを受けつつ安心して最期まで自分らしい生活を送れる社会を実現すべく、国は地域包括ケアシステムの構築と、その核となる在宅医療の充実を推進しています。本稿では前・後編にわたり、制度としての在宅医療が整備される以前から先駆者の一人として地域で在宅医療に取り組んできた太田秀樹先生と、厚生労働省の医系技官として医療政策の立案から実施に深く携わり、行政官、医師、そして市民としての立場から在宅医療の現場を間近で見続けてきた迫井正深先生をお迎えし、入院、外来と並び第三の医療として定着しつつある在宅医療の過去、現在、そして未来について、「在宅医療の本質」をテーマに対談いただきました。

在宅医として、医系技官として
それぞれが歩んだ28年

太田秀樹 先生

【司会】 太田 簡単に自己紹介させていただきますと、私が在宅医療を始めたのは1992年で、今年で28年目になります。当初からグループ診療で、訪問看護を基軸に24時間365日支えるというスタイルをとっています。やっていることは28年間変わっていませんが、在宅医療を取り巻く環境は随分変わってきたと感じています。

迫井 私が行政の世界に入ったのは1992年ですので、私の行政官としての人生の長さと、太田先生の在宅医としての長さは奇しくも同じになります。私自身は身内に医師はおらず、医学部進学までは常に医療を受ける側の立場で医療を見つめてきました。1989年に東大を卒業した後は消化器外科医として勤務していましたが、臨床の現場に出てみると、医療技術ばかり突き詰めても社会は良くならないと感じる場面を幾度となく経験しました。行政と医療が二人三脚で問題に取り組んでいかなければ医療全体は良くならないと思い至り、行政官として医療にかかわる道を選びました。

太田 先生は現職に就かれる前、保険局医療課企画官、老健局老人保健課長、医政局地域医療計画課長、保険局医療課長などを歴任され、診療報酬改定や介護報酬改定に携わってこられました。高齢者医療や在宅にかかわる分野のすべてを見渡してこられ、「医療には生活の視点が必要」ということを折に触れてお話しされておられます。

迫井 介護保険を初めて担当したときは、大きな衝撃を受けました。急性期医療や新しい技術・薬剤ばかりが脚光を浴びるなか、生活を支えていくということが医療の役割であることを痛感したからです。それ以降、医療保険や医療制度に携わるときには、地道に地域に向き合い、人々の生活をいかに支えるかということに腐心されている在宅医、かかりつけ医といった存在が必ず頭の片隅にあります。

迫井正深 先生

在宅医療推進の社会的背景
人口構造の激変が根底に

太田 なぜ在宅医療推進が必要なのかという社会的背景には、私は人口構造の激変が一番の根底にあると受け止めています。少子高齢化に伴い多死社会、人口減少社会へと変わるなか、医学、医療を社会の変化に適応させていくことは当然のことだと思います。高齢者が増えることで病気の概念が変わり、国民の医療ニーズも変わり、そして在宅医療という新しい概念が生まれてきました。一方で、財政論が優先されて在宅医療を牽引しているのではないかという見方や、在宅医療の質についてミスリードするようなメディアの報道もありました。この点についてはどのように捉えておられますか。

迫井 おっしゃるように、在宅医療は人口構成や住まい方の変化に対応する医療の供給体制をいかにつくっていくかという問題意識から生まれたものだと思いますが、10年ほど前までは、医師会や現場の医師からは「厚労省、政府は医療費を削減したいから在宅医療を推進したいのだろう」と受け止められていたように思います。
一方で私たち行政官は、在宅医療が浸透するにつれて医療の質が上がり、結果として医療費は削減されるかもしれないが、少なくとも医療費削減が絶対的な第一義の目的ではないと感じていました。ここ10年ほどは、なぜ在宅医療が必要なのかということ、在宅医療には難しい課題もあるが、上手にやれば本人・家族のQOLは上がり、それほど医療費もかからない、ということを丁寧に説明してきたこともあり、そうした誤解はだいぶ解消されてきたと感じています。

地域包括ケアシステムと
地域医療構想のリエゾンとしての在宅医療

太田 現在、在宅医療は「地域包括ケアシステム」と「地域医療構想」という2つの大きな医療政策の流れのなかに位置付けられています。地域を基盤とした地域包括ケアシステムは、住まい、医療、介護、予防、生活支援という5つの領域から成り、市町村が地域の特性や実情に配慮して構築する役割を担っています。一方、団塊世代が75歳以上の後期高齢者となる2025年に向けて、病床の機能分化と連携を進める「地域医療構想」の角度から眺めると、在宅医療というのはあくまでも病床の受け皿というイメージが強いように感じます。私自身は、いずれも本質は同じで、地域医療構想と地域包括ケアシステムのリエゾンとして在宅医療があると思っているのですが、病院医療を上流として、「上流から下流へ」といった表現で在宅医療が表現されている場面も見受けられます。

迫井 急性期医療のニーズという目線だけで見ると在宅医療は受け皿に見えますが、慢性期、あるいは生活期と言ってもいいかもしれませんが、そこでの医療ニーズ、例えばがんの終末期などの人生の最終段階では在宅医療の機能が求められるので、病床の受け皿という見方は適当ではないと思います。地域包括ケアはむしろ生活を基軸に、高齢者に限らず全世代を包摂するものであり、それぞれの世代、それぞれの疾患のニーズに応じたサービス提供が求められます。地域包括ケアでは、生活を支える医療の核となるのが在宅医療で、急性期医療や高度医療は脇役です。このように、現行の地域医療構想は入院医療機能を基軸にしたもので、生活を基軸にした地域包括ケアとは違いがあります。どちらの基軸から見るかで医療の機能として見たときの在宅医療の捉え方が違ってくるのだろうと思います。

太田 慢性期医療を中心に在宅医療を行っている側としては、むしろ受け皿が病床であってほしいという願いがあります。病院か在宅かという二元論で語る時代ではなく、病院も地域包括ケアシステムのなかの極めて重要な要素であり、互いに補完し合いながら共に在宅を考えていく時代に入ってきたと受け止めています。

介護と医療の連携に不可欠な
「生活支援あっての医療」という共通理解

太田 地域包括ケアシステムの構築が進むなか、医療と介護の連携の必要性が求められています。病院と在宅医療の関係性については迫井先生のお話できれいに整理されましたが、医療と介護の連携という点については、まだ課題を残しているように思えます。2015年からは「在宅医療・介護連携推進事業」が介護保険法上に位置付けられたことから、市区町村が中心となって、情報共有の支援や多職種研修などさまざまな事業に取り組んでいます。
私も連携会議などによく参加しますが、専門職としての背景が異なるので、実際の現場では介護職の影が薄いような印象が否めません。医療と介護が共に同じ立ち位置で議論できなければ連携などできないと思うのですが、そうすると介護職をもっと力強くするために、痰吸引研修のときのように介護職に医療技術を学んでもらうといった議論になりがちです。介護職のエンパワーメントは極めて重要だと思いますが、介護職に必要なのは、何も医療職に仕立て上げることではないと思うのです。介護職の職能をしっかり理解して、彼らが誇りを持って生活支援に関われるような環境をつくることが大切なのです。介護職に頑張れ、もうちょっと医療職に近づけ、知識を持て、と一方的に求めるのは違うのではないかと思うのです。

迫井 介護職の側にも技術のスキルアップやキャリア形成を含めた対策など改善の余地はあると思いますが、先ほども申し上げた通り、地域包括ケアには地域の生活に根差した目線が不可欠です。急性期医療に携わる方々が日夜頑張って技術を磨いて治療成績を上げ、疾患を治癒させてQOLを上げるべく努力をしているのは何のためか、医療職の皆さんに改めて考えて欲しいのです。病院に入院している期間は一瞬であり、患者さんの生活のメインステージは地域にあります。白い壁に囲まれた病室の中だけではなく、退院して地域に戻った後の日常生活をいかに快適に過ごすかという点について、もっと考える必要があります。「患者中心の医療」とよく言われますが、私は「患者の生活中心の医療」が大切だと思っています。ですから、介護職に医療をもっと理解してもらうのではなく、逆に医療人が生活を理解することの方が大事なのかもしれません。

太田 昨夏、医療スタッフも設備も整った病院で薬も点滴もあるのにエアコンが故障したために入院患者が死亡するという事故がありましたが、いかに生活環境が大事かということの裏返しともいえます。生活支援あっての医療であることを、医療職は謙虚に顧みる必要がありますね。

迫井 従来の医療は疾患を治癒させることにフォーカスを当ててきました。医療技術が進歩するなか、単に生き永らえるだけではなく、いかに快適に、充実した人生を歩んでいくのかが問われるようになった今、人々のニーズやフォーカスが生活にシフトしてきています。医療と介護の連携は、一緒に生活の質を上げていくという意味での連携なのです。単に一緒に会議すればよいというのは事の本質を見誤っています。

太田 会議は目的ではなく手段であり、生活の質をいかに高めるかを一緒に考えていくのが連携の本質というお言葉、腑に落ちます。

現場の医師の矜持と行政の先見の明が結実した在宅医療

太田 2018年9月に、日本医師会と日本在宅ケアアライアンスの主催で国際在宅医療会議が東京で開催され、迫井先生にもご登壇いただきました。社会の高齢化は東アジア共通の課題であり、地域医療の一つの形として在宅医療を推進する日本の医療政策は諸外国から注目されています。わが国の在宅医療の成り立ちを振り返ると、1980年代の社会的入院の是正に関する議論に端を発し、在宅医療の一つの流れができました。それから40年経った今、ようやく在宅医療が市民権を得たわけですが、当時の官僚たちが日本の将来を見据えて1980年代にその方向性を打ち出していたということは、日本の誇りだと思います。

迫井 もちろん当時の官僚たちも問題意識を持って頑張ってきたのだと思いますが、同時に、診療報酬に評価されるわけでもなく自ら率先して老人医療を考えていこう、クオリティを上げていこうというフロントランナーの先生方がおられたからこそ、今の高齢者医療、在宅医療があるのだと思います。在宅医療の源流はいくつかあると思いますが、いずれもお金や名声ではなく、ひたすら使命感と信念とでやってこられた先人たちがいました。

太田 医師の矜持ですよね。

迫井 そう、医師の矜持が原動力だと思います。行政は将来を見据えて動く必要がありますが、現場には必ずそういった方々がいます。そういう医療人とわれわれ行政とで開拓していくことがとても大事だと思います。

太田 行政と専門職とが足並みをそろえて一緒に動くという理想の形ですね。今や制度として市民権を得た在宅医療は、行政の先見の明と、患者の人生を丸ごと支えようという医師の矜持・マインドが結実したものといえるのではないでしょうか。

後編に続く

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