自然災害から感染症対応まで、
災害医療は新たな時代に
日本の災害医療は1995年の阪神・淡路大震災を機に大きく発展してきました。その後、2011年の東日本大震災では多くの場面でその教訓が生かされたものの、調整を担う本部機能やロジスティクスの強化、広域医療搬送、通信体制の確保など新たな課題も明らかとなりました。近年、全国各地で自然災害が頻発し、災害医療を担う人材のニーズはますます高まっています。さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に代表される感染症対応をも含めたより強固な災害医療の在り方が期待されています。限られた医療資源をいかに効率的に用いることができるか、いかにより多くの患者に最良の医療を提供できるか、そして災害医療が目指す「防ぎ得る災害死」を減らすために一人ひとりの医療者ができることは何か――。岩手医科大学医学部救急・災害医学講座教授の眞瀬智彦先生に、災害医療の歩みを振り返りながらお話を伺いました。
災害の種類で医療ニーズは異なるものの
求められる本部機能は共通
災害医療ではどのような疾患や病態への対処が求められるのでしょうか。
阪神・淡路大震災では、多発外傷やクラッシュ症候群への対応が求められました。東日本大震災のときは主な被害は津波でしたので、津波肺への対応が問題となりました。この津波肺は特殊な肺炎のため難しい治療が求められ、低体温症の方も多数いました。これらは誰もが対応できる病態ではないので、訓練が必要です。
岩手医科大学災害時地域医療支援教育センターでは、こうした訓練を行えるシミュレーション設備を整えており、いわば災害医療の臨床に当たる訓練を行うことができるようになっています。なお、実災害での実働も臨床と捉えており、これまでに2016年の台風10号や熊本地震、2018年の西日本豪雨や北海道胆振東部地震などの際には被災地支援に入り、対策本部の立ち上げやロジスティクスの整備などに携わりました。1週間前後の滞在ですが、災害ごとにパターンも課題も異なるので、今後の対策を検討する上で有益な経験となっています。
先生の講座は人材育成やロジスティクスを中心とする災害医学講座ですが、臨床となると、やはり被災地に行かれるのですね。
そうです。そして、私が行くところは、ほとんどが都道府県庁です。災害対策本部がうまく機能しなければ、災害対応もうまくいかないですからね。
災害と一言でいってもさまざまな違いがあると思いますが、各地の災害に共通した課題というものはありますか。
都道府県庁ごとに対応は異なりますが、やることは基本的には同じです。被災地の情報を集め、問題を抽出し、対応策や手段を検討し、人材や物品をどのように調達、配備し、患者さんを搬送するのかをマネージしていくという点では、どの災害でも基本的な考え方は一緒です。
災害の種類によって必要な医療は異なりますが、それは訓練を受けた医療者が対応すればよいことです。医療者や必要な物品をどうしたら効率的に被災地に送ることができるのか、それを調整する災害医療のベースになる本部機能がしっかり整備されていれば、たとえ想定外の災害が起きたとしても災害対応が想定外となることはなく、どのような災害でも同じように対応できると考えています。
災害対策本部の在り方は、全国で統一されているのでしょうか。
2014年から厚生労働省が被災地の医療ニーズの把握や保健医療チームの派遣調整などを担う災害医療コーディネーターの養成を開始し、各地で研修会が行われています。こうした人材育成が進むことで、共通認識が醸成されてきているように思います。
災害医療とパンデミック対応に共通点
政令指定都市や中核市の保健所との連携が課題に
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により、医療逼迫が深刻な状況となりました。感染症によるパンデミック対応と災害医療に共通点はありますか。
災害医療の定義は、多数の傷病者が一度に発生した状況を指します。医療が必要な患者数(需要)と医療資源(供給)のバランスが崩れた状況下で診療や治療を行うのが災害医療なので、パンデミック対応は災害医療に近いものがあると思います。
災害医療も行政や各関係機関との密接な関係が不可欠ですが、COVID-19対応でも同様です。私自身もCOVID-19対応に当たっており、毎朝7時半頃から県庁に登庁しています。岩手県では2021年12月下旬にオミクロン株による市中感染が確認されましたので、2022年は正月三が日以降、1日も休むことなく勤務先に向かう前に県庁に登庁し、入院や救急要請の調整などを行ってきました。
2022年4月には、災害派遣医療チーム(DMAT)の任務に感染症対応が正式に追加されました。
今回のCOVID-19のパンデミックが始まった当初、政府は航空機をチャーターし、中国の武漢から邦人を帰国させました。その際、療養施設で健康管理を担ったのがDMATです。COVID-19とDMATとの関係はそこから始まりました。その後のダイヤモンド・プリンセス号における船員や乗客の健康管理や患者さんの入院・受け入れ調整を担ったのもDMATです。DMATは国から現場まで一貫した組織としての仕組みが確立しており指揮系統が明確なので、こうした有事の際には高い機動力を発揮します。
今回のパンデミック対応を通して、災害医療における新たな課題も見えてきましたか。
盛岡市は中核市なのですが、中核市や政令指定都市は独自に保健所を設置しています。保健所が1つの医療圏に2つあると方針が統一されなかったり、それぞれの保健所から病院に入院や検査の調整依頼を直接行うために、医療圏全体で調整することがなかなかできず、うまくいかないことがあります。これは、自然災害においても今まで経験してきたことです。ですから、これまでの経験を踏まえて、現在、盛岡医療圏においてはCOVID-19患者さんの入院調整は岩手県庁で行っています。複数の機関から別々に入院の要請が入るよりは、1カ所から集約された依頼を受ける方が医療機関としては楽なのではないかと思っているからです。地域によっては各保健所で対応した方が楽な場合もあるかもしれませんが、コロナ禍で災害が起きたときには、避難所での感染予防を含め医療救護班の調整などにも支障を来す恐れがあります。中核市および政令指定都市と都道府県の関係については、自然災害でもパンデミックでも共通した課題です。この辺りについては、国の仕組みとして整理する必要があります。
災害のフェーズで需要も変化
求められる長期的視野に立った支援
東日本大震災から約12年経ちましたが、岩手県における現在の支援の現状と問題点について教えてください。
沿岸部の医療機関は高台に移動するなどして診療が継続されており、一般的な短期・中期支援は目途が経ちました。長期的支援として、心のケアに関する支援はまだ継続されています。中核病院であれば医師の派遣を受けることができますが、被災した開業医のなかには診療をやめた方も少なくありません。もともと医療資源が不足していた地域なので、今は開業医不足が問題となってきています。
被災直後にはボランティアも多数、活動されていました。
医療については派遣元の身分証明がないと難しいので、ボランティアではなく学会や職能団体でチームとして被災地支援に入っていただくことが多いです。医療の場合は災害救助法が適用になるものもあるので、被災地の医療機関の復興の妨げにならないよう、引き揚げるタイミングに気を付ける必要があります。急性期には医療以外のさまざまなボランティアが入ってくれて、とてもありがたかったです。ただ、ある時期から避難者も元の生活に少しでも近付けるよう、ボランティアにはあまり頼らずに避難所を運営していく必要があります。
避難所の環境も「防ぎ得る災害死」の一因と指摘されています。どのような点が課題だと思われますか。
日本の避難所の環境はあまりよいとは言えません。日本の避難所は過密なイメージがありますよね。広さ的には1人当たり2畳ほどのスペースが必要とされていますが、その基準を満たす避難所は東日本大震災時にはなかったといわれています。寝る環境についても、典型的なのは体育館にゴザを敷いて雑魚寝が多いと思いますが、これは粉塵の吸い込みや音の問題などもあることから段ボールベッドなどの利用が推奨されます。食事もおにぎりや菓子パン、から揚げ弁当などが多いのですが、病気のために食事療法が必要な方もいますので、避難所生活が長期化すればするほど栄養バランスの取れた食事を提供できることが理想です。それからトイレ環境も大切です。トイレが汚いと特に若い女性などはトイレを使いたがらなくなり、水分摂取を控える人が出てきます。その結果、深部静脈血栓症、いわゆるエコノミークラス症候群と呼ばれる症状や脱水などのリスクが高くなるので、使い勝手がよい環境を整えることが大切です。
日本の避難所生活は課題が多いとのことですが、海外の避難所は、日本とは違うのでしょうか。
実際に海外の避難所に行ったことはありませんが、イタリアは素晴らしい避難所のようです。清潔なトイレ、寝所はダイニングと分けられていて、ベッドが配置された家族ごとのシェルター、キッチンカーによる温かい食事の提供、場合によってはワインも出てくると聞いたことがあります。
東北被災3県から災害医療の未来を発信
災害時には医療スタッフも被災者になることがあります。スタッフを守るためにはどんなことが必要なのでしょうか。
医療従事者自身のメンタルヘルスも重要です。メンタルチェックで問題がある場合にはデブリーフィングをして、なかには精神科医のコンサルテーションが必要になってくる人もいるでしょう。
先生ご自身は大丈夫でしたか。
あまり大丈夫ではありませんでした。発災直後から県庁に詰めていたのですが、記憶が飛ぶぐらい過酷な環境で、最初の3日間くらいは何をしていたのか全く思い出せないのです。発災から10日間くらいは県庁にいましたが、「もう災害医療はやりたくない」と思って、まだいろいろと調整が必要なことはあったのですが、私は災害医療の現場からいったん離れました。そして、2週間ほど災害の話はほとんどしませんでした。その後、災害医療対応の検証などで声を掛けられて、慢性期に入った頃に現場に戻ることになりました。東日本大震災で人生を変えられた人は多いと思うのですが、私もその一人です。
2023年3月9~11日には、先生が大会長を務める「第28回日本災害医学会総会・学術集会」が盛岡市で開催されます。
2023年3月11日を迎えると東日本大震災から12年目となります。副会長は東北大学の石井正先生、福島県立医科大学の島田二郎先生が務められます。東北被災3県から、人材育成も含めこの12年で災害医療がどのように進歩したのか、災害医療の過去と現在、そして未来について、東日本大震災の被災地から発信できたらと考えています。
最後に、読者にメッセージをお願いいたします。
災害はいつどこで起こるか分かりません。他人事としてではなく、患者さんや住民を守るという観点から、医療従事者の皆さんには最低限の災害医療の知識とスキルを身に付けていただきたいと思います。災害医療は医療機関だけではできません。急性期には行政や消防、警察、自衛隊との連携が不可欠です。各関係機関の強みを知り、それぞれの長所を引き出しながら問題解決に当たることが大切です。災害医療の一番のベースになるそうした共通認識を持っていただけたらと思います。
本日はありがとうございました。