東日本大震災の教訓を未来に紡ぐ
災害医療の人材育成に尽力~

わが国はその自然環境や地理的特性から「災害大国」といわれています。災害医療が目指すのは、通常医療が提供されていれば救命される「防ぎ得る災害死」を可能な限り減らすこと。多くの「防ぎ得た災害死」を残した阪神・淡路大震災の教訓から、災害拠点病院の整備や災害派遣医療チーム(DMAT)の設立など、さまざまな対策が講じられてきました。東日本大震災ではDMATの迅速な初動をはじめその教訓が生かされる一方で、支援の調整機能の在り方などの課題も浮き彫りになりました。2023年3月に岩手県盛岡市にて開催予定の第28回日本災害医学会総会・学術集会では、「災害保健医療の過去・現在、そして未来 “人材育成”」がテーマに掲げられています。大会長であり、災害医療の発展に尽力する岩手医科大学医学部救急・災害医学講座教授の眞瀬智彦先生に、東日本大震災の経験、そして災害医療を担う人材育成の試みについてお話を伺いました。

東日本大震災発生直後から
混乱する県庁の対策本部で奔走

眞瀬智彦先生

まず東日本大震災が発生した際のご経験について伺います。当時はどちらで診療されていましたか。

当時は岩手県北上市の岩手県立中部病院に勤めていました。脳神経外科と災害医療の科長を兼務しており、災害派遣医療チーム(DMAT)のまとめ役である統括DMATも担っていました。これは県内で災害が発生した際に県庁で調整を行う役割です。
災害発生時、勤務先の病院は免震構造が幸いして被害はほとんどなかったので、急ぎ盛岡市の岩手県庁に向かいました。県庁の災害対策本部は混沌としており、電話も通じないため沿岸の状況も把握できていない状況でした。テレビから情報を得ながら、県庁や災害対策本部の医療部門の人たちと医療チームの派遣調整を行いました。DMATや日本赤十字社の医療救護班が被災地に満遍なく配置できるよう差配を行ったのです。また、不足していた酸素や薬剤を調達して必要な地域に分配するなど、物資の調整を行いました。被災した病院の負荷を減らすため、被害の少なかった県内陸部に入院患者さんを移す調整にも奔走しました。

当初は相当混沌とした状況だったようですね。

地震発生から1~2日目は、被災地の状況は現場に入っている自衛隊から漏れ伝わってきましたが、病院の被災情報はなかなか入ってきませんでした。被害の大きい地域ほど、情報が県庁にまで届かないのです。医療チームや物品の供給と入院患者さんの搬送を同時に行う必要があるのですが、当時はライフラインや物流が途絶えていたので、全体を見ながら系統的にではなく、要請ごとに対応するといった形での調整しかできませんでした。

そうした大変な状況で対応に追われるなか、どのような課題が浮き彫りになってきましたか。

阪神・淡路大震災の教訓から、県庁や災害拠点病院にも本部を立てる必要があるという大枠はできていたのですが、それを担う人材が不足していました。県庁の災害対策本部内にも医療班が存在していましたが、そこも人員が圧倒的に足りず、役割も系統化されずに行き当たりばったりの対応になっていた部分がありました。

震災から半年後に災害医学講座を開講
ロジスティクスを支える人材育成に注力

東日本大震災から半年後には、日本初の災害医学講座が岩手医科大学に設置されました。今後の大規模災害時の医療支援の在り方を提言することを目的の一つとして設置されたそうですね。

災害はいつどこで起こるか分かりません。震災の教訓を生かし、将来の災害に備えるため、岩手医科大学では2011年9月に災害医学講座を開設しました(2022年4月、救急・災害医学講座に改編)。通常、医学部ではトリアージなどの授業が6年間で1コマあるかないかですが、本学では災害医学、災害医療に関する講義や実習を防衛医科大学校に次いで多く提供しています。
2013年4月には「災害時地域医療支援教育センター」も設置されました。同センターでは、これまでの災害医療の枠組みを超えた連携システムを構築し、災害医療の教育拠点として、将来の大規模災害に対応できる人材の育成などを目的としています。

具体的には、どのような人材を育成しているのでしょうか。

東日本大震災時に県庁の災害対策本部で活動していて実感したのが、本部が脆弱だったという点です。それから、被災地に入った医療者が現地で効率よく活動できるようロジスティクスを支える人材が不足しているということです。
災害医療というと「医師ががれきの下にもぐって診察する」といった点にフォーカスが当たるのですが、まずは医療者ががれきの下にもぐれるような環境をつくる必要があります。せっかく優秀な医師と看護師を現場に投入しても、活動する環境が整備されていなければ結果につながりません。ですから、その環境づくりが重要になります。
そこで当センターでは、こうした災害医療を下支えする災害対策本部の人員やロジスティクスを担う人材を育成するための研修会を、さまざまな職種や習得レベル別にプログラムを用意して開催しています。2013年からは「日本災害医療ロジスティクス研修会」を開始しました。これは、医療現場におけるトリアージやクラッシュ症候群の対応を学ぶといった研修ではなく、そうした医療活動ができる場をつくるための本部運営や医薬品などの物流管理、関係機関との連携調整といった医療のロジスティクスに特化した研修会です。具体的には、医療チームとして被災地に支援に入る際の生活環境の確保から、情報伝達手段の構築、各機関との協働、安全管理といったロジスティクス能力の向上を目的とした訓練を行っています。

通信手段の確保から実地訓練まで
医療従事者のほか行政、事務、消防関係者なども参加

その「日本災害ロジスティクス研修会」では、実際にどのような訓練を行っているのでしょうか。

基本的な座学と実習を行っています。特徴的なのは、研修後半に行う実地研修です。沿岸地域で災害が発生したという想定で、寝袋や発電機など必要な物品や情報をグループで検討して用意し、実際にレンタカーで沿岸の拠点に向かいます。そして、グループごとに現地の保健所に1泊して課題を抽出、解決策を検討し、最終日に盛岡に帰って振り返りを行うというプログラムです。
東日本大震災のときに難渋したのが、現地との通信手段が途絶えてしまったことで情報がなかなか入らず、いざ入ってきても情報が錯綜したことでした。災害時には、医療機関が情報を発信したり、被災地に入った医療チームが現地の状況や活動状況を報告し、全体で情報を共有できる体制を整えることが急務です。そこでロジスティクス研修会では、トランシーバーや衛星携帯電話のほか、災害医療を行う上でベースとなる「広域災害救急医療情報システム(Emergency Medical Information System:EMIS)」の実習もプログラムに盛り込んでいます。

情報が大切とのことですが、過去の研修報告書を拝見したところ、研修参加者の感想によるとEMISの使い方が分からなかった、知らなかったという方が多いようですね。

そうですね。EMIS は1回使っただけではうまくいかないことがほとんどです。ですが、EMISというものがあると知ってもらうこと、発信する一つのツールとして大切だということを理解していただく機会を提供できればいいのかなと思っています。

この「日本災害医療ロジスティクス研修会」の参加は職種不問とのことですが、実際にはどのような職種の方が参加されているのでしょうか。

これまで8年間で全国から約400人の方に受講していただきましたが、行政や保健所職員、消防士、医療従事者などさまざまな職種の方が参加されています。災害時には保健所や市町村の職員が地域の鍵となりますし、消防、警察、自衛隊との連携も不可欠です。どうしたら災害医療をよりよく展開できるか、目指すところは同じなので、職種の枠を超えて共通言語をつくれればと思っています。なお、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で開催を一時中断していましたが、2023年2月には寒冷地で冬季版の研修を行うなど、少しずつ再開していく予定です。
当センターでは、医療従事者だけではなく、各機関の関係者を対象としたさまざまな研修会も開催しています。例えば、行政職員などを対象に、災害時に保健所などで地域のリーダーとして被災地の保健・医療ニーズの把握、保健・医療チームの派遣調整などの支援を担う「災害医療コーディネーター」を養成する研修会も県の委託事業として行っています。

災害医療の基本はコミュニケーション
地域住民の教育・啓発活動も

災害時地域医療支援教育センターがこういった研修を行う拠点になっているのですね。

災害時地域医療支援教育センターが入る4階建ての「マルチメディア教育棟」は、1階が研修室などのスペースとなっており、災害発生時には全国から集まる医療チームの活動拠点にもなります。2階には備蓄倉庫があり、飲料水や長期保存可能な食糧(約5,000食分)のほか、災害医療支援時に必要となる資機材も備えています。3階には災害時の診察や治療の実際を学ぶことができるクリニカルシミュレーションセンターがあり、その一角に、倒壊した家屋などがれきの下で救助が必要な人への医療行為を模することができる災害シミュレーション室も設置しています。
当センターでは各省庁からの視察を受け入れているほか、災害医療に対する理解を深めていただくために、一般市民向けに災害医療について学ぶ見学コースも提供しています。また、小中高校で出前講義や実習を行うこともあります。「今日話したことを家族で共有してほしい」とお話しするのですが、災害が起こったときにどうすればよいのかを考える機会を持ってもらえたらと思っています。

子どもから専門職まで、幅広い方に啓発、研修を行っておられるわけですね。ところで、先生は災害医療に携わる上で、どのようなスキルあるいは資質が必要とされるとお考えですか。

さまざまな人との連携調整ができることが大切だと思います。そのためには、人の話をしっかり聞いて、人を説得できる話し方ができなければなりません。患者さんの話をじっくり聞いて、患者さんに納得してもらった上で医療を提供するということは医師として当たり前のことなのですが、これができる医師は実はそれほど多くないと思っています。特に災害現場ではアドレナリンが出てしまうのか、「私が、私が」と前面に出ようとしてトラブルが起こることがあるのですが、そういう場だからこそ冷静に判断して周囲とうまく協働できる人が求められるのではないかと思います。もちろん、住民の命を救いたい、守りたいという気持ちが原動力になるとは思いますが、そのためには丁寧なコミュニケーションが基本になると考えています。

(後編に続く)

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